5 一日の終わり

「マッドガッサーとは、また厄介な奴が現れたものだね」

「同感だ。単純な力比べの方がまだ気楽だよ」


 契一郎けいいちろうに同意し、じんは大きく溜息を吐いた。

 単純に身体能力が高いだけのファントムよりも、今回現れたマッドガッサーのような小技が利いたタイプの方が数段厄介だ。


「明日からは、いつでも戦えるようにを携帯しておいた方がいいんじゃないかい?」

「言われるまでもない」


 咲苗さなえとの会話にも登場していたとは、尋が正体をカムフラージュするために使用しているアイテムのことだ。普段は家に置いているのだが、警戒が必要な状況下では常に携帯しておくのが理想的だ。


「あれが無いと正体を隠すのが一苦労だからな。さっきの世里花せりかみたいに、毎回うまい具合に人を現場から遠ざけられるとも限らないし」


 そんなやり取りをしていると、咲苗との通話を終えたらしい檜葉ひばが、携帯をポケットにしまいつつ右肩を揉むような仕草を見せた。会話にかなり神経を使っていたらしい。


優典まさのりさんも大変そうですね」

「市民の平和のためだ。喜んでやってやるさ」


 檜葉が言うと同時に扉をノックする音がした。


「檜葉さん。ちょっとよろしいですか?」


 備品室を訪れた一人の婦警が檜葉に何やら耳打ちをした。


「尋、世里花さんの事情聴取が終わったらしい。辺りはもう暗いし、行方を眩ませた毒島ぶすじまのこともある。署員に家まで送らせるからお前も一緒に乗っていけ。こっちの話もひとまず落ち着いたしな」

「助かります。ここから家までけっこう距離あるんで」

「じゃあ、僕も一緒に」

「契一郎はもう少し残れ。話がある」

「何だい急に?」

「たまにはいいだろ。帰りは俺が送ってやるから」

「まあいいけど」

「そういうことなら、俺は世里花と一緒に先に帰らせてもらうぜ。また明日な、契一郎」


 別れの挨拶を残し、尋は備品室を後にした。


「それで、話というのは何だい?」

「単刀直入に言うが、お前はこれ以上ファントムに関わるのは止めておけ」


 従兄から発せられたその言葉に、契一郎は微かに表情を曇らせる。


「今更何を言っているんだい?」


 契一郎が尋と共にファントムに関わるようになったのは、何も昨日今日の話ではない。それなりに場数も踏んできたし、多少なりとも事件の解決にも貢献してきたつもりだ。そのことは檜葉だって理解してくれているはずだと思っていた。


「はっきり言わせてもらうが、今までは運が良かっただけだ。ファントムに関われば危険が伴う。お前が首を突っ込むことを、身内として黙認しておくわけにはいかない」

「優典兄さんの言いたいことは理解できるし、心配してくれていることも分かってる。だけど僕は、自分の考えを改めるつもりはないよ」

「お前がそこまでする必要は無いだろう」

「ファントムの存在を知った上で尋だけに全てを押し付けるなんて真似は、僕には出来ないよ」


 尋の友人だからというだけではない。これは契一郎の純粋な正義感から来る言葉だった。例え別の形でファントムと関わっていたとしても、放っておくという選択肢は存在していなかったはずだ。


「僕は尋の相棒として、これからファントムを追う」

「お前は力を持っていない者だ」


 その一言は、これまで一貫した態度だった契一郎の心を確かに揺さぶった。


「尋は戦う力を持っている、だけどお前にはそれが無い。相棒とお前は言うが、共に戦うことは出来ないんだぞ」


 確かにその通りだった。

 事実今日だって、契一郎はマッドガッサーへ一撃を与えることすら叶わなかったのだ。これが努力によって縮まる差ならばまだ良いが、ファントムと戦うための力は鍛錬によって会得出来るようなものではない。契一郎にはファントムと戦う手段など無いのだ。


 それでも、契一郎の考えは変わらない。

 

「ヒーローの相棒があまり強くないっていうのは、よくある話だよ」


 自嘲気味に言いながらも、契一郎はしっかりと檜葉の目を見据える。


「一緒に敵を倒すだけが相棒じゃない。知識面で尋をサポートしたり、逃げ遅れた人を助けたり。直接ファントムを倒すことは出来なくても、僕は僕に出来る戦い方をしていくだけだ。その考えを変えるつもりはないよ」

「意志は固いんだな?」

「頑固なのはお爺ちゃん譲りでね」

「ははっ、違いない」


 険しい表情をしていた檜葉が、この時ばかりは顔を綻ばせた。


「そこまで意志が固いならこれ以上は止めない。でも、無茶だけはするなよ?」


 契一郎の意志を尊重したうえでの身内としての願い。これだけは譲れない。


「それと、俺に頼ることも忘れるな。俺はお前の従兄アニキで、刑事で、大人なんだからな」

「そうだね。確かに独りよがりなところはあったかもしれない」

「分かればそれでいい」


 伝えたいことを言い終えると、優典は軽快に契一郎の肩を叩いた。


「帰りに何か食っていくか。最近はあまりお前と飯を食ってないからな」

「もちろん優典兄さんの奢りだろうね」

「学生に払わせる程、俺の心は狭くねえよ」


 普段通りの軽口を叩き合えるような距離感へと戻り、二人は備品室を後にした。


 ※※※


「寝不足だし、少し怠いな」

「無理もない。帰ったらゆっくり休んどけ」


 後部座席でぐったりとしている世里花を、助手席に座る尋が労った。二人は警察署員の運転する車に搭乗し、帰宅の途についている。


「……でも、これで終わりじゃないんだよね」

「ああ。あのパーカー野郎は諦めてないみたいだからな」

真由まゆのこと心配だな」

「きっと大丈夫さ」


 ファントムが絡んでいる以上、希望的観測は出来ないが、流石にそれを口には出せない。


貴瀬たかせさん。これから警察はどう動くんですか?」


 運転席の刑事に尋が尋ねる。刑事の名前は貴瀬たかせ公護きみもり。現在26歳の若手で、端正なルックスとスラッっとした長身は、刑事というよりもモデルのような印象を与える。


「当面は志藤しどうさんに護衛を付けることになると思う。もちろん、事が起こる前に事件の解決を目指すつもりだけどね」

「ということは、近いうちに犯人の確保に?」

「捜査情報だから教えることは出来ないけど、あまり心配せずに待っていてくれればとだけ言っておくよ」

「期待してます」


 安心は出来ないが、警察の護衛が少しでも毒島に対する抑止力になってくれればと思う。ファントムを伴うことを除けば宿主も普通の人間だ。警察の存在には少なからず警戒するだろう。


「尋。明日は学校を休もうと思うの。今日のことで流石に疲れちゃったし」

「そうだな、その方がいいと思う」

「尋は学校に行くの?」

「怪我とかも無いし、一応は行くよ」

「意外と真面目だね」

「おいおい、俺は模範的生徒だぞ」

「えっ?」

「おい、素で『えっ、この人は何を言ってるの?』みたいな反応するのは止めろ」

「ごめんごめん。体育の成績、だけ、は優秀だったよね」

「おい、『だけ』を強調するな。切なくなる」


 事実なので、あまり強く言い返せないのが悲しい。


「青春だね~」


 二人のやり取りを、貴瀬は微笑ましく思いながら聞いていた。

 

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