4 怪奇事象特別対策室
「悪いなこんなところで。あまり大っぴらには出来ない話だし、勘弁してくれ」
人払いした
檜葉に案内されてきたのは尋と契一郎の二人だけで、
「気にしないでよ。その方が僕達も助かる」
警察関係者相手にも関わらず、やけに砕けた口調で契一郎が笑う。檜葉優典巡査部長は契一郎の母方の従兄であり、ファントム関係の事情についても知る数少ない協力者の一人だ。
檜葉は長身かつ肩幅の広いガッシリとした体つきの持ち主で、仕事着でもあるダークグレーのスーツ姿がとても様になっている。
「連続失踪事件にあの怪物どもが絡んでいたとはな……不覚だ」
険しい表情で檜葉は升目状の天井を見上げた。あまりにも特異な事案を除けば、通常の事件とファントム絡みの事件を見分けることは難しい。ましてや警察関係者の大半がファントムの存在を知らない現状では尚更だ。
「仕方がないよ。失踪事件は優典兄さんの担当ではなかったんだろう?」
現在檜葉は、半月前に児童公園で起こった殺人事件の捜査を担当している。担当外の事件とファントムの関連性を疑えというのも酷な話だろう。
「そうかもしれないが、所詮は言い訳にしかならない」
例え担当外の事件であろうとも、自分がファントムの存在に気づけていたならば、何らかの対策を講じて被害拡大を防げたかもしれない。人一倍正義感の強い檜葉だからこそ、すぐには割り切れなかった。
「優典さん。パーカー野郎の正体は掴めそうですか?」
尋たちはパーカー男についての証言し、似顔絵作成に協力していた。それらの情報を元に、警察の方で何か手掛かりが掴めたかもしれない。
「一人、疑いのある人物が浮かんだよ」
「本当ですか?」
「ああ。最初に失踪した女子大生絡みでな」
檜葉は抱えていた捜査ファイルを開き、二人の前へと差し出した。
本来は部外者に提示していいような代物ではないが、そこはファントムの存在を知るものとしての臨機応変な対応だ。
「最初の失踪者である女子大生が、一カ月程前にストーカー被害の相談に訪れていたようでな。そのストーカーに、お前たちの証言から描き出した似顔絵の男はそっくりだ」
「どう考えてもこいつだな」
「間違いなさそうだね」
尋と契一郎の脳内で、資料内のストーカー男の写真とパーカー男の顔が完全に一致した。双子でもない限りは同一人物だと考えて間違いないだろう。
「資料にもあるが、男の名は
「ストーカー被害まであったのに、何故今まで疑われなかったんだい?」
これまでの経緯を考えれば真っ先に疑われて然るべきなのではと思い、契一郎は首を傾げる。
「当然、毒島の名前は捜査の初期段階から上がっていたようだが、あいつには一件目の事件の際に完璧なアリバイがあったし、二件目や三件目の被害者とは接点もみられなかった。加えて、最初の被害者との間に起こったストーカー事件も一応は解決していてな。何でも示談が成立したとかで、被害にあった女子大生自身が被害届を取り下げている。その後はストーカー行為もパタリと止んだようで、女子大生の失踪を含めて、毒島が事件に関与している可能性は低いと考えられていたようだ」
「けど、ファントム絡みとなるとアリバイなんて意味が無くなる」
尋の言葉を受けて檜葉は「そうだな」と静かに頷く。
「優典兄さん。一連の失踪事件で何か気体に関する情報はないかな? 今回のファントムは、逃げる際に煙幕のようなものを利用していたし、何よりもガスマスクという風貌が気になる」
「そういえば、現場で甘い香りを感じたと言っていた捜査員が何人かいたな」
「甘い香り?」
「俺は直接現場に行っていないから何とも言えないが、何でもこの世の物とは思えない匂いだったとか」
「この世の物とは思えない匂い」
一体どんな香りなのだろうかと想像する尋の思考を遮るかのように、檜葉の携帯電話に着信が入った。
「……この番号は」
表示された番号と名前を見るなり檜葉は露骨に眉根を寄せ、渋々通話ボタンに指を伸ばす。檜葉の表情を見ただけで、尋には電話の相手が誰なのか見当がついていた。相手はきっと、自分達も良く知るあの女性であろう。
「檜葉です。ご無沙汰しています」
丁寧な口調と、眉間に皺を寄せた表情とのギャップが面白い。
「目の前にいますよ。代わりましょうか?」
二言三言捜査状況の話をした後、檜葉の視線が尋の方へと向けられた。
「
「俺の表情で分かるだろ」
「確かに」
尋は苦笑しつつ、受け取った携帯を耳元へと持っていく。
「どうも咲苗ちゃん」
『やっほー、ジンジン元気にしてた』
「その呼び方はやめろって」
『えー、可愛いのに』
いい大人のはずだが、電話口で剥れ顔をしている姿が容易に頭に浮かぶ。
「そんなことよりも、ファントムについての話をしようぜ。
電話の相手、
怪奇事象特別対策室の役割は大きく分けて二つ。
一つは、具現化した都市伝説――ファントムに関連した事件の捜査及び事後処理である。社会的な混乱を避けるためにファントムの存在は公にはされておらず、ファントムに関連した事件は真実をぼかした形で世間に公表されることとなっている。
過去の例では、ファントムにより引き起こされた道路の崩落を、前日から降り続いた雨に起因した土砂崩れによるものだとしたり、火を扱うファントムにより起こされた火災を架空の放火犯による犯行として報道し、逮捕した(もちろん実在しないため形式だけのもの)ケースなどがあり、隠蔽の難しい案件に関しては、事件そのものを闇に葬ってしまうこともある。
二つ目の役割は、尋のようにファントムと戦う力を持つ人間に対して積極的にバックアップを行うことだ。基本的に普通の人間では、肉弾戦、武器の使用を問わず、ファントムに有効的なダメージを与えることは出来ない。軍事レベルの兵装ならば撃破可能だとする報告も一部では上がっているが、ファントムの出現の度に大規模な戦力を投入することは難しいため、尋のように単騎でファントムと戦うことの出来る戦力は重宝されている。
「忙しくなるな」
檜葉が壁に手をつき溜息を吐く。対策室は政府直属の機関で警察組織にも大きな影響力を持っており、時には対策室の捜査員が現地に赴くこともある。情報の秘匿性から現場の警察官にもその素性は明かされることがないため、素性不明の政府の役人が捜査に首を突っ込んでくるという状況を快く思わない警察官は少なくない。そのため、檜葉のように対策室の存在を知る警察官は、現場の意見と対策室の意見との間で板挟みになり、ストレスを感じてしまうことがままある。
「それで、例のガスマスクの怪人については何か分かった?」
『檜葉ちゃんから送ってもらった資料に目を通してみたけど、そのファントムは十中八九マッドガッサーだね』
「マッドガッサー?」
『あれ、知らない?』
少なくとも尋には聞き覚えの無い名前だった。周りの反応を確かめてみると、契一郎には心当たりがあったらしく、胸のつかえが取れたような表情を浮かべている。
「契一郎は知っているみたいだ」
「流石はケイちゃん。ジンジンももっと勉強しないと駄目だぞ」
「うざいから切ってもいいか?」
冗談で携帯を耳元から話そうとしてみるが、全力でそれを阻止しようとする必死の叫びが電話口から飛び込んでくる。
『ごめんごめん、もう変なことを言わないから見捨てないで!』
思い切って見捨ててみようかとも思ったが、まだ大事なことを聞いていないので仕方がなく通話を続ける。
「それで、マッドガッサーってのは一体なんなんだ?」
『アメリカの都市伝説の一つで、1930年代に現れたっていうガスマスクの怪人よ』
「九十年も前の話なのか。それでそいつは一体何をやらかしたんだ?」
『噂には様々なパターンがあるけど、その中の一つに催眠ガスを使った誘拐というものがあるわ。ガスからは甘い匂いがしたっていう話もあるしね』
「誘拐と甘い匂いのするガスか。今回の事件そのものだな」
ファントムが具現化した都市伝説である以上、事件内容は元となった伝説に似ることが多い。今回もその例に漏れないようだ。
「ストーカー気質の男の心の闇が生み出したのが、ガスで誘拐を行う怪人か。お似合い過ぎて寒気がする」
『さらわれた女性達が心配ね』
真っ先に被害者達を心配するあたりは、咲苗はやはり良心的な捜査官だなと尋は改めて思う。
「マッドガッサーへの対処法は?」
マッドガッサーとは近いうちに再び対峙することとなる。都市伝説の一遍にでも、その攻略法が語られていればと期待する。
『やはり警戒すべきはガスね。毒ガスを使うという噂もあるし、多種多様なガス攻撃を行ってくる可能性はある。誘拐を行う怪人でもあるから、力も相当強いでしょうね』
「物理的な攻撃ならかわせば済むけど、ガスは厄介だな」
『それに関しては考えがあるわ。今までは使う機会が無かったけど、あれの機能の一つに防毒効果もあってね』
「まじか。どんだけ多機能なんだよ」
『対策室の自信作だからね。使い方のマニュアルは後で送るわ』
「助かるよ、咲苗ちゃん」
『今のところ私から言えるのはこんなところかな。少し話したいことがあるから、檜葉ちゃんに電話を戻してもらってもいい?』
尋は携帯を耳から離し、腕組みをして壁にもたれ掛かっていた檜葉に差し出した。
「咲苗ちゃんが代わってくれって」
「……面倒くさいな」
咲苗に聞こえないように、小さな声で悪態をつく。
生真面目な性格の檜葉には、咲苗のノリは疲れるようだ。
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