3 ファントム
しかし予想に反し、二人の男は世里花を追うような素振りは見せず、その場へと留まっていた。障害となる
「意外だね。僕はてっきり彼女を追いかけるものだと思ったんだけど」
「あの子はいつでも狙えるからね。それよりも、君達を玩具にした方が楽しそうだと思ってね」
「何故、世里花を狙う?」
「前にさらった子を付けていた時に、友人らしき彼女のことが目に留まってね。次に狙うのはあの子にしようと決めた。一目惚れだよ、一目惚れ」
「
すぐにでも真由の安否を確かめたいところではあるが、今はそこまでしている余裕は無い。問答は、間もなく戦闘へ移行しようとしていた。
「お喋りは飽きた。この二人を片付けてしまおう」
パーカー男からの指示を受け、ガスマスクの男は、尋目掛けて殺意のこもった大きな拳を振り下ろしてきた。
「遅いし軽い」
尋はガスマスクの拳を右手で軽々と受け止めた。その表情は余裕に溢れている。
突き放すようにして相手のバランスを崩すと、尋は体を捩り、強力な回し蹴りをガスマスクの左側頭部目掛けて叩き込んだ。
強烈な一撃を受け、ガスマスクの男の巨体が宙を舞う。
「今のは
「友達想いだね。嬉しいよ」
直撃を免れたとはいえ、左側頭部は契一郎が狙われた部位だ。まずはその分をお返しだ。
「馬鹿な、攻撃を受け止めただけではなく、反撃して蹴り飛ばしただと! 有り得ない! 有り得ない 有り得ない!」
パーカー男のあまりの動揺ぶりが不憫になり、尋は細やかな親切心でカラクリを伝える。
「面倒だからザックリと言うけど、俺は普通の人間には殴れないあのガスマスク野郎みたいな怪物を殴れるし、蹴れるし、ぶっ飛ばせる。後天性の特異体質みたいなものだ」
「ちなみに僕は、ちょっと腕っ節に自信があるだけの普通の高校生。あのガスマスク男を殴れなかったのがその証拠」
大して重要でも無い補足を、契一郎がわざとらしく付け加えた。
「しかし、今回の連続失踪事件にファントムが絡んでいたとはな」
「あくまでも普通の事件だと思っていたのに」
世間話でもするかのように、尋と契一郎は冷静に状況を分析していた。
「くそっ、何なんだよお前らは!」
二人の様子が癇に障ったらしく、パーカー男は興奮気味に声を荒げた。
「ちょっと変わった高校生」
「と、その相棒ってところかな」
「ふざけやがって」
答えになっていない返答に苛立ちながらも、ごり押しで二人を突破出来ると考える程パーカー男は短絡的ではなかった。
現状最善と思われる判断を、ガスマスクへと告げる。
「いったん退却だ。あれを使え」
命令を受け、ガスマスクの男はこれまでとは異なる俊敏な動きでパーカー男の元へと戻り、コートから
「何をするつもりだ」
これまでとは異なる戦術に、尋と契一郎は警戒を強める。
「やれ!」
パーカー男の一声と共に、噴霧器から得体の知れない薄紅色の気体が放出され、辺りに
「これは、一度離れた方がいいかもね」
「同感だ」
気体の正体は不明だが、敵の放ったものを無策で受けるわけにはいかない。ましてやあのガスマスクの風貌だ、どうしたって危険な気体を想像させる。
素早い身のこなしで尋と契一郎は気体から距離を取ることに成功したが、気体の発生元であるガスマスクの男の周辺は薄紅色の気体に覆われ、その姿は視界から消失してしまった。
「安心しろ。そいつはただの煙幕で人体には無害だ」
公園内に響く、パーカー男の
「今回は準備不足だったが、あの子はいずれ頂く。その時はお前らも地獄に送ってやるから覚悟しておけ」
高笑いを伴った声はだんだんと小さくなっていき、やがて完全に消失した。
煙幕が晴れ、周辺の状況が明らかになるが、すでに男達の姿は公園内から消え失せていた。
「あのガスが無害だと分かっていれば、追い詰められたのに」
「こればかりはしょうがないよ。今回は情報が足りていなかった。大切なのは今回得た情報を次に生かすことだ」
「……そうだな」
苦い顔をしながらも尋も頷く。過ぎたことを悔いても仕方がない。
「世里花もいたし、一時はどうなるかと思ったが、とりあえずは何とかなったな」
「相手が世里花ちゃんを追わなかったことも幸いしたね。そのおかげで世里花ちゃんをスムーズに逃がすことが出来た」
「俺がファントムと戦ってる姿は、世里花には見せたくないからな」
尋が異形の怪物と渡り合える力を持つという事実は、契一郎を始めとした一部の者しか知らず、大半の人は尋のことを普通の高校生だと思っている。
もちろん緊急事態となれば秘密など二の次に人助けをする心構えではあるが、近しい人達の前では可能な限り普通の高校生、
「尋……」
世里花にくらいは真実を話してもいいのではないかと、契一郎は以前から考えているのだが、世里花を関わらせたくないと考える尋は頑なにそれを拒む。提案したところで平行線なので、この場では口を噤んだ。
「ファントムが絡んでいるとなると、いよいよ僕達も本格的に動かなくてはいけないね」
「そうだな。あのガスマスクはどういった都市伝説を元に生まれたファントムなのか」
今回戦ったガスマスクの男のような異形の怪物を、尋達はファントムという名称で呼んでいる。至極単純なネーミングではあるが、得体の知れない怪物達にはその表現が一番しっくりくるのもまた事実だ。
この夜光市では、都市伝説の怪物が現実に実体化するという不可思議な現象が多く確認されている。夜光市に限らず、世界には他にも似たような現象が多発する地域が幾つか存在しており、地域間で連携を行いつつ、現象の解明に努めている。
ファントムは単独では存在しえない。その裏には必ず、発生の源である宿主と呼ばれる悪意を持つ人間が存在する。詳しいメカニズムは未だ不明だが、ファントムは人間の持つ心の闇に反応し、発生することが確認されている。
悪意を宿し、ファントムという強力な武器を手に入れた宿主は最終的に、犯罪行為に走るケースが多い。結果、夜光市では常識外の怪物の絡んだ不可思議な事件が発生するという厄介な状況が続いていた。
「今回は世里花を守り切れたけど、油断は出来ないな。パーカー野郎が残した言葉も気になる」
パーカー男は世里花のことを諦めてはいない。準備不足だとも言っていたし、次にあの男がガスマスクの男を伴って現れた時、今回のように撃退出来るとは限らない。
「絶対に負けねえからな」
尋は自らを鼓舞するかのように拳を掌に打ち付ける。
その音が合図だったかのように、公園周辺が慌ただしくなってきた。
「こっちです!」
世里花と声と、他数名の足音が公園内へと現れる。
入口の方へと視線を向けると、世里花が二人の制服警官を伴ってこちらへ向かってくるのが見えた。
「尋、契一郎君、大丈夫だった!」
「ああ、この通り二人とも無事だ」
尋が高々と右手を上げて見せ、契一郎は地面に腰を下ろして微笑んだ。
「犯人は逃走したのかい?」
警官の一人が辺りを警戒しつつ訪ねて来た。
「はい。犯人は二人組でした。一人はマスクをしていたので顔までは分かりませんでしたが、もう一人の男の顔なら記憶しています」
淡々とした口調で契一郎が答える。嘘は言っていないが真実を語っているわけでもない。
ファントムの存在を知らない警察官に事実を話したところで、悪戯か、頭がおかしいと思われてしまうのが関の山。警察関係者の一部にもファントムの存在を知る者はいるが、知らない者の方が圧倒的に多数派。余計なイザコザを生まぬためにも、無暗に口に出さない方が賢明だ。
「署の方で詳しく話を聞かせて貰ってもいいかな? 犯人の似顔絵も作成したい」
「もちろんです」
ファントムの宿主であろうパーカー男の正体を掴むためには、警察に協力するのが近道だ。警察署へ行けば、ファントム関連の事情を知る頼れる人物もいる。
「君もいいかな?」
警察官が誘拐の被害者になりかけた世里花にも尋ねる。
「もちろんです」
世里花は力強く頷いた。真由の消息を掴むためにも、出来る限りの協力をするつもりだ。
「それじゃあ行こうか」
警察官に先導され、三人は最寄りの夜光警察署へと赴くこととなった。
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