10 今剣 -イマノツルギ-

 地下水道での激闘から二日後。

 じん契一郎けいいちろうの二人は、咲苗さなえからの呼び出しを受け、お馴染みの喫茶店を訪れていた。事件解決後の恒例の会合だ。


「お疲れさま二人とも。あなたたちのおかげで、事件を早期解決出来たわ」


 明るい声色とは裏腹に咲苗の目元には隈が浮かんでいた。この二日間、事後処理に追われていたためだろう。 


鰐渕わにぶちの容体は?」


 事件の黒幕だったとはいえ、仮にも元同窓生だ。容体くらいは気になる。


「幸い命に別状は無かったけど、ファントムの噛み跡はかなり深かった。経過にもよるけど、腕に障害が残る可能性はあるわね」

「自業自得ですよ」


 冷めた口調で契一郎が言った。鰐のファントムに食われたペット達に比べたら、その程度の怪我は軽いものだ。その痛みをもって、少しでも自分のしでかしたことの責任を感じてもらいたい。


「事件はどう決着させるんだ?」

「ファントムの存在以外はありのままよ。頻発していたペット消失事件は、市内に住む高校生による犯行である。といった具合にね」


 幸い、ファントムの潜伏場所が人気の無い地下水道だったため情報操作は容易く、シンプルな形に事件を落ち着かせることが出来た。愛するペットを失った飼い主たちに真実を伝えられないことは心が痛むが、だからといって巨大な鰐の姿をした怪物がペットを食い殺したのだと公表するわけにもいかない。


「鰐渕の奴、ファントムを生み出すぐらい追い詰められていたのかな」


 中学時代の鰐渕の姿を思い浮かべ、尋は複雑な心境を吐露した。

 確かに鰐渕はプライドが高く、どこかとっつきにくい印象ではあったが、図書室で調べものをしていた時に、「何を探しているんだ?」と言って、少しだけ手伝ってくれた事もあった。決して、嫉妬心だけに囚われた人間ではなかったはずなのだ。


「鰐渕の身辺調査を行っていて分かった事なのだけど、彼の両親はとても教育熱心で、優秀な成績を収めていた彼をとても可愛がっていた。だけど、中学に入って成績が伸び悩んだ結果、両親の態度は一変。教育の情熱を弟へと向けるようになり、鰐渕に対してはまったくの無関心になったそうよ。彼が嫉妬心に苛まれるようなったのも、その頃からみたい。それが災いしたのか、高校に入ってからも、部活で同級生と揉めたり、教師ともうまく行っていなかったり。色々と問題は抱えていたようね」


「あいつにも、色々あったってわけか」


 だからといって今回のような事件を起こすことは許されないが、彼が闇に堕ちるまでにも、それなりの経緯はあったということなのだろう。


「鰐渕は嫉妬心に狂った結果、自分よりも優れた人間に噛みつかずにはいられなくなった。そんな彼の心の闇が生み出したファントムが、鰐の姿をしていてたというのは、何とも皮肉な話ね」

「自分が噛みつかれていたら、世話ないですよ」


 契一郎の言葉には、鰐渕に対する同情心は一切存在していなかった。契一郎の目には、全ては鰐渕の弱さが招いた結果としか映っていないのだろう。


「そういえば尋。今回は珍しく『今剣イマノツルギ』を使ったそうね」

「ああ、格闘だけじゃらちが明かなくてな」

「やっぱり、いつでもあの技を使えるように、携帯用の武器も所持しておくべきじゃないかな。必要なら対策室の方で製作するけど」


 咲苗自身もこの提案に乗り気なわけではない。尋の心境を思えば、このような提案はしたくはないが、いつでも強力な技を使える状態にしておくことは、尋の身の安全にも繋がる。


「少し考えさせてくれ」


 尋の瞳は遠い過去を見ているかのようだった。

 今剣を使うと、どうしてもあの事件のことを思い返してしまう。


 今剣とは、かのみなもと義経よしつねが使用したとされる短刀の名だ。

 伝承ではあるが、義経の幼少期、牛若丸うしわかまると呼ばれていた時代に、彼に剣術を教えていた者がいたという。

 

 その者の名は、からす天狗てんぐ

 烏に似た頭を持つとされる、伝説上の鳥人だ。


 ※※※


「おはよう、尋」


 翌日、通学路の合流地点で、尋を世里花せりかが呼び止めた。

 別々に行く理由も無いので、二人肩を並べて学校を目指す。


「そういえば、鰐渕くんが入院したって話聞いた?」

「ああ、一応な」


 実際にはその入院の原因にも深く関わっているのだが、当然そんなことは口に出せないので、適当に話を合わせておく。


「けっこう酷い怪我らしくて心配だな。この間会ったばかりだし、今度お見舞いに行った方がいいかな?」

「止めておいた方がいいと思うぜ」

「なんで?」

「ほら、酷い怪我なら家族以外面会出来ないだろうし」

「それもそうか」


 鰐渕は回復しだい、ペット消失事件についての事情聴取を受けることになるので、関係者以外の面会は叶わない。事件に関しても、未成年なので実名で報道されることはないだろうが、噂などすぐに広まる。いずれは世里花の耳にも届くことになるだろうが、だからといって今この場でそのことを告げる気にはなれなかった。


「日差しが気持ちいね」


 爽やかな陽の光を浴びて、世里花は大きく伸びをした。


「もうすぐ五月だね」

「そうか、もうそんな時期か」


 世里花は春の陽気や、間もなくやってくるゴールデンウイークなどを指して、ポジティブな意味でそう言ったのだろうが、尋にとっての五月はそういった晴れやかな印象とは異なる。

 

 尋がファントムと戦う宿命を背負うことになったあの事件が起こったのは、四年前の五月のことだった。

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