2 五月十日
翌日の五月十日。
キャンプ場前のバス停で、
「ここから先は歩きな」
発案者の宏人が先頭に立ち、自然公園の方へと向かうことになった。
自然公園近くの林道から、一本の古い石造りの小道が伸びており、そこを進めば件の神社に行き着くのだという。
「私、宏人と一緒に歩きたい」
「あまりくっつくな、歩きにくい」
すぐさま
「相変わらずの和人ラブだな、千佳は」
「……そうかな?」
冷かすように言う
「疲れてないか?」
「流石に心配しすぎだよ」
「こっから入るぞ」
先頭の宏人が自然公園へと伸びる舗装された道を逸れ、林の方へと伸びる古い一本道へと入っていった。
道といっても、人一人が歩ける程度の幅に石が敷き詰められているだけのもの。しばらく手入れがされていないのか、周辺には背の高い雑草も目立ち、初見ではこの場所に道が存在していることに気付くのは難しいだろう。
「いやっ、虫に刺されちゃったみたい」
千佳が短い可愛らしい悲鳴をあげ、二の腕を押さえていた。宏人の気を惹きたいのか、千佳の服装はノースリーブのブラウスだ。自然の中に飛び込んで行くには無防備すぎる。
「千佳ちゃん、虫除け使いなよ」
遥は斜めがけしていたメッセンジャーバッグから、市販の虫よけスプレーを取り出した。気が小さいが故に遥は準備もいい。
「あら、気が利くじゃない」
千佳の態度は本当にありがたいと思っているのか怪しい高飛車ものだったが、遥は満更でもないようで、照れ臭そうに頬を染めていた。
「おっ、俺にも貸してくれよ」
「うん、いいよ宏人」
自分の物でもないのに、千佳は宏人に虫よけスプレーを勝手に又貸しした。せめて元の持ち主である遥に確認くらい取ってもらいたいものであるが、彼女にはそういった常識が欠けている部分がある。
「遥、借りるな」
遥に確認したつもりが、何故か千佳から返答が返ってきてしまったので、宏人は今度は遥の名前を強調して確認した。
「……どうぞ」
わずかに間を置いて、遥は俯いたままそう返答した。
宏人は遥の様子を気に止める様子は無く、快く虫よけスプレーを使用していた。まだ中学生だ。感情の機微にはそれ程敏感ではない。
「見えて来た、あの神社だ」
まだ少し距離があるが、社らしき屋根を宏人が指差した。
あと数分も歩けば到着出来そうだ。
「よし、あと一息だ。みんな頑張ろうぜ」
運動部所属の宏人と涼、尋の三人は体力的にもまだ余裕があり、息一つ切らしていない。遥は文化部だが、いつも歩いて学校に登校しているため以外と動けており、千佳は体力に自信が無いタイプながらも、宏人の隣を歩きたい一心で粘っている。そんな中で、運動が苦手で華奢な体躯の世里花だけは少し辛そうだった。
「大丈夫か世里花?」
「うん、ゆっくり歩けば大丈夫」
額に汗を滲ませながらも、尋の問いかけに世里花は笑顔を作った。
「お前たちは先に行っててくれ。俺は世里花のペースに合わせて行くから」
「ああ、分かったよ」
宏人も世里花の疲労感は気になっていたのだろう。嫌な顔をせずに頷いてくれた。
宏人の性格を考えると、世里花の体調を気遣ったというよりも、世里花に合わせて余計なタイムロスをしないで済んだことを喜んでいるのかもしれない。
「じゃあ先に行ってるぜ」
宏人の後に千佳、遥と続き、最後尾の涼は去り際に大きく手を振っていた。
「ごめんね尋、付き合わせちゃって」
「別にいいって、焦るもんでもないしさ」
もとより尋はピクニック気分で来ている部分もある。自然の中をゆっくりとしたペースで歩くのも、それはそれで悪くはないだろう。
「尋は優しいね」
「恥ずかしいから優しいとかやめろ」
尋は照れ臭そうに頬を掻き、その横顔を世里花は微笑まし気に眺めていた。
だが、そんな和やかな時間は、唐突に終わりを迎えることとなる。
「うわあああああ!」
神社の境内の方から突如として響いてきた少年の悲鳴。
「じ、尋、今のって?」
「遥の声?」
声などという生易しいものではない。あれは悲鳴だ。
この時点では何か害虫でも出たのだろうかと少し楽観的だったが、そんな余裕もすぐに消滅した。
「きゃああああああ!」
「まさか、本当にこんな!」
遥だけではなく、次に千佳と思われる甲高い悲鳴。状況を理解出来ずに困惑しているような宏人の叫び。三人も続けざまに悲鳴を上げている。異常事態が起こっているのは明白だった。
「誰か!」
いつもどっしりと構えており、滅多なことじゃ動揺しない涼までもが助けを求めて声を上げている。
「何が起こった」
「尋……怖いよ」
世里花が尋の服の裾を握り、恐怖に声を震わせていた。今まで一緒に歩いていた友人達の悲鳴が次々に飛び込んでくる。恐怖を感じるのも当然だ。
「様子を見てくる」
「危ないよ」
「放ってはおけないだろう」
何か良くないことが起こっているのは明らかだが、友人達の窮地を指を
「じゃ、じゃあ、私も一緒に」
「お前はここで待ってろ。念のため誰か一人は残らないと、何かあった時に対処が出来ない」
二人で向かって何かが起きれば、外部に助けを求めることが出来なくなる。もしもの場合に備えて連絡役は必要だし、世里花を危険に晒したくないという思いもある。
「……分かった。でも、無茶しちゃ駄目だよ」
「分かってる」
覚悟を決めると、尋は神社の境内の方へと駆けた。
「霧? なんで急に」
境内に到着した尋は我が目を疑った。
黒い霧のようなものが発生し、境内を丸ごと飲み込んでいた。霧には一切の透け感が無く、飲まれた場所は完全な闇と化している。
専門的な知識があるわけではないが、直感的に科学的な現象ではないと悟った。
「みんなはどこにいった?」
危険性を感じ、黒い霧に触れないよう注意しつつ四人の姿を捜す。
「……尋」
「涼! どこにいる」
消え入るような友人の声を感じ取り辺りを見渡すが、その姿を捉えることは出来ない。
もう一度声のした方に意識を集中させると、黒い霧の中に、ぼんやりと涼の顔が浮かんでいた。
「逃げろ、霧に飲まれる……」
「お前らを置いて逃げれるかよ!」
他の三人の安否も気になるが、今は目の前にいる涼を救い出すのが先決だ。何とか涼を霧の中から引っ張り出そうと、尋は涼の腕を探して霧の中をまさぐるが、
「何だ、手が抜けない」
霧の中に伸ばした手が戻ってこない。まるで片腕だけが別の場所に行ってしまっているかのように。
体全体に力を入れて腕を抜こうと試みるも、飲まれた腕はビクともしない。
「何だ、この寒気は」
悪い予感が駆け巡り後ろを振り返ると、後方からも黒い霧が迫っていた。身動きが取れない状況で黒い霧による挟み撃ち。逃げ道は無い。
「世里花……」
霧に飲まれる瞬間、尋は幼馴染の名を呼んだ。
世里花を残してきて正解だった。少なくとも、彼女だけは巻き込まれないで済む。
「……みんな、どこに行ったの?」
一向に戻ってこない友人達の安否が気にかかり、いてもたってもいられなくなった世里花は、必死に恐怖心を抑え込み、神社の境内までやってきた。
境内には誰もいない。
黒い霧もすでに消失している。
この場にいるのは、世里花ただ一人だ。
「尋、みんな……どこ?」
世里花の言葉に、答えは返ってこない。
四年前の五月十日。
これが、彼らにとって運命の日となった。
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