地下水道の獣編

1 地下水道の獣

 夜光やこう市を震撼させた毒島ぶすじま隆喜たかのぶによる連続誘拐事件から二週間。

 すでに誘拐事件の話題は過去のものとなり、新鮮な話題に敏感な者達の間では、別の二つの事件が注目されていた。


 最も話題に上るのは、未解決のままである児童公園での殺人事件について。

 事件の手口が十年前に都内で発生した連続殺人事件に酷似しているとの新情報が明らかになった。


 現代の切り裂きジャックと呼ばれた殺人鬼が、十年の時を経て夜光市で暗躍し始めたのか。


 かの事件に触発された狂信者による模倣か。

 あるいは単なる偶然なのか。

 刺激的な話題故に、様々な憶測が飛び交っている。


 もう一つは、夜光市の蛍川ほたるがわ地区を中心に騒ぎとなっている出来事。

 蛍川町近隣で飼われているペットが相次いで行方不明になっている、ペット連続消失事件である。


 このペットの連続消失が異常者の手により起こされた事件なのか。

 何らかの自然現象の前触れなのか。

 あるいは単なる偶然なのか。


 こちらもまた、オカルト好きやゴシップ好きの間で様々な憶測を呼んでいる。

 そして、そんなペット消失事件に興味を示す人間がここにも二人。


「本当にファントムと関係があるのかね?」

「それを確かめるために、こうして足を運んだんじゃないか」


 放課後を利用して、深海ふかみじんのぼり契一郎けいいちろうの二人は、蛍川町へと足を運んでいた。

 事の発端は昨晩、怪奇かいき事象じしょう特別とくべつ対策室たいさくしつ美岡みおか咲苗さなえから尋の下へとかかってきた一本の電話だ。


 ※※※


『ねえジンジン。最近蛍川地区で起こっている、ペット消失事件については知ってる?」

「噂程度にはな。あとジンジンはやめろ」

『実は対策室の調査で、一つ気になる情報が見つかってね』

「こうして咲苗ちゃんが電話してきてるんだし、良い予感はしないな」


 政府の秘密機関である怪奇事象特別対策室の捜査官殿からのラブコールなのだ。つまりはそういうことなのだろう。


『蛍川町の地下水道入り口付近で、犬の鳴き声のする袋を小脇に抱えた怪しい人影を見たっていう証言があってね』

「それだけなら警察の仕事っぽいけど?」

『問題なのはここからよ。これは別口からの情報なんだけど、地下水道から獣の唸り声のようなものを聞いたっていう話があってね。無関係とは思えないよね』

「地下水道に獣って、どこかで聞いたことがあるような」


 嫌な予感が加速していく。大して見識の広くない尋でさえも聞き及んだことのある有名な話。


『似たような都市伝説が、アメリカにはあったわよね』

「事実なら放っておけないけどさ」


 都市伝説というワードは嫌でもファントムを連想させる。ただの杞憂で終わればいいが、もしもファントムが関係しているなら、被害が拡大する前にそれを食い止めなければならない。


『今抱えている仕事が片付き次第、私もそっちに向かうわ。たぶん明後日には着けると思うから』

「了解だ。こっちはこっちで色々調べてみるよ」


 こうした経緯から、尋と契一郎の二人は目下、ペットの連続消失とファントムの関連性について調査中なのである。


 ※※※


「しかし、どうしたものかな」


 蛍川町のマンション群近くの自動販売機の前で、尋が唸る。


「何を飲むか決まらないのかい?」


 先に買った缶コーヒーを啜りつつ、契一郎が素っぽい表情で聞き返す。


「そっちじゃねえよ。噂について調べるにしても、どう動いたものか」


 尋は迷いなく緑茶のボタンを押した。


「確かに悩みどころだね。犯人を捜そうにも、今回は優典まさのり兄さんの助けは望めなそうだし」


 未だに事件なのか判然としていないペット消失に関しては、優典は完全に担当外だ。それに加えて児童公園の殺人事件の捜査で多忙を極め、連絡もつきにくい状態となっている。


「まずは関係のありそうな場所から詰めていくべきじゃないかな。というわけで僕は、情報にあった地下水道へのアタックを進言するよ」

「まあ、それはそうなんだがな」

「気乗りしないかい?」

「暗がりはちょっとだけな」


 漠然とした暗さは平気なのだが、極端な暗がりは過去のとある事件を思い起こさせるため、尋にとってはあまり得意な環境ではない。


「そういった場合に備えて、こんなものを用意しておいたよ」


 契一郎がリュックから取り出し掲げたのは、グリップのついた大きいサイズの懐中電灯だった。


「準備がいい」

「光量の強い物を用意したから、かなり明るくなるはずだよ」

「しかし、地下水道とは言うけど、どこから入ればいいんだ?」


 同じ市内とはいえ蛍川町を訪れる機会はほとんど無いため、地理にはあまり明るくない。


「大丈夫。昼間のうちにこの辺りの地形は頭に叩き込んできたから、出入り可能な場所はある程度は分かるよ」

「流石は契一郎さんだ」


 思わず敬語になり、尋は小刻みな拍手を送る。


「ここが入口か」

「雰囲気は抜群だね」


 蛍川町には町名の由来ともなった蛍川が流れており、鉄橋下で死角となっている河川敷の一角に、鉄格子のはめられた地下水道への出入り口が存在していた。


「おい、これ」


 尋が手をかけるとあっけなく鉄格子が外れ、人一人が余裕で通過出来るだけのスペースが生まれた。


「尋。壊したら駄目だよ」

「俺じゃないって。この鉄格子、始めから外れてた」


 試しに軽く引いてみただけで外れたので、そうとしか思えない。


「誰かがいつでも出入り出来るように細工をしておいたのか」

「こいつはいよいよ、きな臭くなってきたな」


 咲苗の言っていた不審者が目撃されたのもこの河川敷だ。

 鉄格子の件も無関係ではないだろう。

 懐中電灯を持つ契一郎を先頭に、頭をぶつけないように中腰になりつつ、二人は地下水道の入口へと足を踏み入れた。

 中腰のまましばらく進むと、入り口から続いてた筒状の通路は終わり、立っても天井に余裕のある開けた空間へと出た。足元には少し水も溜まっている。


「地下水道ってくらいだから、もっと臭いがきついもんだと思ってた」


 尋の考えていた地下水道とは、生活排水等の流れるもっと鼻につく場所というイメージだったのだが、臭いは想像よりも大分ましだ。


「ここは生活排水用の下水道じゃなくて、雨水の排出用だからね」


 博識な契一郎がさりげなく補足し、尋の疑問は解消される。


「隠れて何かをするには打ってつけだな」

「普通の人は立ち入らないし、音も漏れにくそうだしね」


 契一郎は辺りをライトで照らしながら観察していくが、ある一点で視線が止まり顔をしかめる。


「尋、あれを見てごらん」


 ライトが照らす場所に近づくと、そこにはペット消失とこの地下水道とを繋ぐ決定的な証拠が存在していた。


「動物の毛と、血だな……」


 壁際の床面には直径十センチ程の血溜まりと、獣毛と思われる茶色い毛が散乱していた。これは恐らく犬の毛だろう。

 血はまだ完全には乾ききっておらず、比較的新しいもののように思えた。


「犯人の目的は定かじゃないけど、穏やかじゃないね」


 尋も無言で頷き、警戒を強める。


「この先も行ってみるかい?」


 契一郎が通路のさらに奥をライトで指し示す。


「ライトは俺に貸せ。突然ファントムが飛び出してくるかもしれない」


 ファントムが絡んでいるなら、この地下水道はかなりの危険地帯ということになる。契一郎が不意を突かれるとも思えないが、ここはやはり、ファントムに一撃を加えることの出来る尋が先頭に立つのが無難だ。


「もし飛び出してきたのが人間だった場合は?」


 当然その可能性も捨てきれない。

 小動物を殺すことに快感を覚える異常者に遭遇する可能性も十分に考えられる。


「その時は全力でお前に任せるさ」


 ファントム戦を除けば、純粋な戦闘能力は契一郎の方が上だ。

 よって不審者が登場した場合は、契一郎が活躍するのが最善となる。


「頼もしいのか、そうじゃないのか」


 ビチャッ!

 

 場を凍り付かせる唐突な水音。それは、尋達が向かっている通路の先から聞こえてきた。


「聞いたか?」

「聞こえたね」


 二人の意見が一致したことで、聞き間違えの線は消えた。


 ビチャ! ビチャ!


 連続して聞こえる水音。それは水場を踏みつける足音であり、この先に何らかの生物がいることを示していた。


「照らすぞ」


 尋は意を決して下向きだったライトを通路の先の方へと向け、音の正体を確かめるべく照らし出す。


「契一郎、アメリカの都市伝説で有名な、地下水道に住み着いた生き物ってなんだっけ?」


 答えは当然知っているのだが、混乱のあまりそう尋ねる。


「あれは確か、わにだったね」

「じゃあライトの先にいるのは何に見える?」

「鰐だね」


 二人の意見が一致したことで、見間違いの線は消えた。


 ライトの先に佇むその生物は、特徴的な大きな顎や牙、長い尾に加え、鎧のような鱗を持っていた。日本では動物園くらいでしか見る機会の無い非日常的な存在、鰐だ。それも、とんでもなく大きい。


 ライトで照らされた鰐は、光源である尋達の方をギロリと睨む。


「怒っていらっしゃる?」

「いや、獲物が飛び込んで来て歓喜しているのかも」


 尋と契一郎が顔を引きらせている間に鰐は方向転換し、その大きな口を尋達の方へと向けていた。


「逃げた方がよさそうだね!」

「同感だ!」


 本日三度目の意見の一致で、尋と契一郎は同時に身を翻し、元来た入口目掛けて一目散に駆け出した。


「おいおい、追って来たぞ!」


 侵入者を排除するためか、飛び込んできた餌を逃さぬためか。尋達が駈けると同時に鰐もその四肢をフル活用し、猛スピードで追跡してきた。

 遭遇した時点である程度の距離があり、走り出したのも尋達の方が先だったため、直ぐに追いつかれることこそなかったが、鰐のスピードはかなりのもので、尋達を大いに焦らせた。


「契一郎、鰐の走るスピードってどのくらいだ?」

「種類にもよるけど、確か時速三十キロくらいじゃなかったかな」

「つまり?」

「無駄口叩いている暇は無いってこと!」


 それ以上は口を開く余裕も無く、尋と契一郎は薄暗い地下水道の中を、水音を立てながら全力で駆け抜けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る