10 正義感故に
廃工場地帯での一件の翌日。
「やっほー、二人とも」
窓際の一番奥の席でコーヒーを啜っていた咲苗が二人を呼び寄せる。
咲苗は現在27歳。口調こそ学生のように砕けているが、黒髪のショートボブと右目の下の泣きぼくろが印象的な長身の美女で、黒いパンツスーツを着こなす姿もとてもスタイリッシュだ。
「うっす、咲苗ちゃん」
「お疲れ様です。美岡さん」
対照的な挨拶をし、二人は咲苗と向かい合う形で着席する。
「飲み物くらいなら奢ってあげるわよ」
「いや、そこは何でも奢ってくれよ」
ぶつぶつ言いながら、尋はメニュー表からドリンクを選ぶ。
「じゃあ俺はアイスティー」
「僕はアイスコーヒーで」
客の少ない時間帯だったこともあり、注文して間もなくドリンク類は到着した。
「それで、今回の事件はどういう風に収拾をつけたんだ?」
一応の解決を見せた連続失踪事件。
一般向けには当日の夜に、被害女性達の保護と被疑者の男を確保したという一報がニュース速報として流れただけで、現在は事実関係を調査中として詳細は報道されていない。
「今日の午後には
「マッドガッサーのことはどうなったんですか? 被害者達も奴の姿は見ているでしょうし、毒島による単独犯と言いはるのは難しいでしょう」
「そこはお
「虚像の犯人ですか」
「そういうこと。リアリティを出すために戸籍なんかはもちろん、人間関係の有無まで詳細に設定づけされているから、マスコミに嗅ぎつけられてもまず安心ね」
「お上の力は偉大ってか? まあ、そうやってファントムの情報をシャットアウトしてくれているおかげで俺達は平和に暮らせてるわけだけど」
情報操作や隠蔽工作などは尋個人としてあまり気乗りのするものではないが、そのおかげで自分のような存在の秘密も守られているのだから、あまり軽口は叩けない。ファントムの存在の秘匿は必要な措置だ。
「誘拐された女性達はどんな様子だ?」
現在、
「誘拐されて日の浅かった
「毒島の罪は重いな」
マッドガッサーを呼び出した毒島の心の闇。死者が出なかったことは幸いだったが、結果として女性達に大きなトラウマを残す形となった。本当の意味で彼女たちを救うことは出来なかったのかもしれない。
「毒島の野郎はどうしてる? 素直に取り調べに応じているのか?」
「関与は認めているけど、全てはあのガスマスクの怪人が悪いんだと主張しているようね。ファントムの存在を知らない現場の捜査員達には完全に頭のねじが飛んでいると思われているみたい」
「反省は無しか」
「……足もやっておけばよかったかな」
静かに苛立ち、契一郎が呟くように言う。
「あまりそういう物騒なことを言うものじゃないわよ契一郎くん。幾らファントム絡みの事件とはいえ、一般人が犯人確保のために相手の腕を折るなんて流石にやり過ぎよ」
これまで温和な態度を貫いていた咲苗が眉を顰めて語気を強めた。
昨日、逃走した毒島を捜査員達が発見した際、腕を骨折した状態で
警察はその場に第三者がいた可能性を疑ったのだが、咲苗の働きかけで、その件は対策室の預かりとなって今に至る。
「相手はナイフを持っていました。それを無力化するための措置です」
「つまりは正当防衛?」
「僕はそのつもりです」
「そこに私情は無かったと言える?」
「はい、純粋な正義感から行動です」
咲苗はそれ以上は追求しなかった。契一郎の持つ正義感は本物だが、それ故に歯止めが効かなくなる可能性も秘めている。だが、契一郎は一人ではない。その隣には相棒がいる。
「お前の正義感は尊敬しているが、だからといって過度な暴力を肯定するつもりはない。今回の件は正当防衛の延長線上だとは思うが……度が過ぎると判断した時は、相棒として全力でお前を止めに行くぞ」
尋は鋭い眼光を契一郎へと向ける。
相棒とは対等な関係だ。意志表示はしておかなくてはいけない。
過ぎた正義は方向性を見失ってしまう可能性がある。友人としても、契一郎には真の意味で正義の人でいてほしい。
「……確かに今回は熱くなり過ぎたかもしれないね。反省しているよ」
相棒であり親友である尋からの言葉は重い。咲苗の時とは異なり、契一郎は素直に反省を口にした。多少なりとも自覚はあったということなのだろう。
「なら、今回は許してやる」
尋が冗談めかした口調で小突き、契一郎は脇腹を抑えて苦笑する。
「小突くことはないだろう」
今度は契一郎が小突き返し、昨日のダメージが筋肉痛のように残っている尋は短い悲鳴を上げて身を捩った。
「尋もボロボロだね」
「やりやがったな」
「くっ、やるかい?」
不毛な小突き合いが始まり、お互いが突かれる度に痛みに顔を顰めていた。
「相変わらず仲良しよね」
例えどちらかの正義が揺らいだとしても、その歯止め役としてお互いを全力で止め合える。そんな真の友情が根付いている二人のだからこそ、咲苗は安心して見ていられるのだ。この二人なら決して道を踏み外すことは無いはずだ。
※※※
喫茶店での会合の翌日。尋は市の中心部である繁華街を訪れていた。
「悪い、待たせたか?」
「私も今来たところだから」
定番の台詞で尋を迎えたのは待ち合わせ相手である世里花だ。
公園で窮地を救ってくれたお礼をしたいと世里花から申し出があり、尋も最初は「気にしなくていい」と軽く流していたのだが、自分の気が済まないと言って一歩も引かない世里花の熱意に負け、昼食を奢ってもらうことになった次第だ。
もちろん世里花はもう一人の功労者である契一郎にも声をかけていたのだが、契一郎はその日は用事があるからと断りを入れたため、今回は不参加となっている。空気の読める男の粋な計らいといったとこだろうか。
「真由ちゃんには会えたか?」
「うん。流石に疲れ切ってはいたけど、早く一緒に遊びに行きたいねって笑ってた」
世里花の声は弾んでいた。真由は戻って来てくれたことを心から喜んでいるのだろう。
「そうか、それを聞いて俺も少し安心したよ」
世里花の存在が真由を元気づけ、同時に真由の存在が世里花に笑顔を取り戻させたのだと尋は実感していた。互いがとても大切な存在同士なのだ。二人の笑顔を守ることが出来て本当に良かった。
「世里花もよく頑張ったな」
世里花だって事件に巻き込まれたかけた当事者の一人だ。事件の間の心労は相当なものだっただろうに、今はこうして笑っている。それは彼女の強さと言ってもいいだろう。
「私、こう見えてもしっかりしているんだよ」
控えめな胸を張り、世里花はドヤ顔をしてみせるが、そんなどこか可愛らしい仕草を見て、尋の中の悪戯心がちょっとだけ
「ほう、小さい頃はいつも俺の後ろをついてきてた泣き虫世里花が言うようになったね」
「意地悪だな。それは昔の話でしょう」
頬を膨らませ、世里花は肩を尋に軽くぶつける。
「尋、力になってくれてありがとう」
肩をくっつけたまま、世里花が言った。
「当然のことをしたまでさ」
「そういうことをサラリと言っちゃうのが尋だよね」
「そうか?」
尋は笑って歩みを進めるが、世里花はその場から動かず、尋のシャツの裾を掴んだ。
「……でもね、無茶はしないでね」
「世里花?」
「誰かのために頑張っている尋はかっこいけど、もっと自分のことも大事にしてね」
尋が振り返ると、世里花は目を伏せて俯いていた。
「あの時みたいに、いなくなっちゃったら嫌だよ」
顔を上げた世里花は、憂いを帯びた瞳で願うようにそう言う。
表情には出さなかったが、世里花が今だにあの時のことを気にしていたことに尋は驚いていた。
あの事件はなにも世里花のせいというわけではないし、結果として
「もうどこにも行かないさ。あの時だって、ちゃんと帰って来ただろ」
子供の頃の泣き虫世里花にやってあげたように、尋は世里花の頭を二回撫でてやった。昔を思い出したのか、世里花の表情も柔らかくなる。
「辛気臭い話は終わりにして、飯に行くぞ飯。何を奢ってもらえるのか楽しみだ」
「待ってよ、尋」
意気揚々と駆け出した尋の後に、笑顔を取り戻した世里花が続いた。
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