6 危機か、鬼気か
「待て! 行くな
「諦めろ
後を追おうとする尋の右腕を取り、
尋の足が止まった一瞬の間に、遥は二人の視界から忽然と姿を消した。木々の生い茂る森林地帯とはいえ、こんなにも直ぐ見失うことなどないだろう。恐らくまたワープが発生し、別の場所に飛ばされてしまったのだと考えられた。本人の望みだった
「お前だって分かってるだろう。遥は完全に壊れてる……もう手遅れだ」
「だからって放っては」
「それに……
「涼……」
涼は物言わぬ屍と化した親友の前で膝を付き、伏せた目からは悔し涙が滴り落ちていた。そんな友人の姿を前にした尋は、遥の進行方向から完全に目を逸らした。
尋だって心の中では分かっていた。あれだけの狂気に囚われてしまった遥は、きっともう元の日常には戻れない。僅かでも共に帰還する望みを抱いてたなら、涼の腕を強引に振り切ってでも遥の後を追っていたはずだ。
本能で理解していた。もう遥を助けることは出来ないのだと。
「遥は気弱だが、誰よりも優しい奴だった」
許せなくとも、急変してしまった友人には思うところがあるのだろう。遥の優しさについて口にしたのは涼からだった。
涼は宏人の亡骸に背を向ける形で地面へと腰を下ろす。尋もそれに習い、二人で肩を並べる。
「そうだな。遥は本来、理由はどうあれ誰かを傷つけたり、ましてや殺そうなんてするような奴じゃない」
「……どうしてこんなことになっちまったんだろう」
「もしかしたら、この世界の持つ空気がそうさせてしまうのかもしれない。嫌な感情を刺激するような気味の悪さが、常に漂っている気がする」
この世界は居心地が悪い。それはこの世界へ足を踏み入れた誰もが抱く共通認識だった。
仮にそういった空気感が精神へと異常をもたらし、悲しみや憎悪といった感情を極端に刺激したとするならば、遥のような気弱で心優しい少年に一線を越えさせてしまうこともあるかもしれない。
この歪な世界に巣食う脅威は食人鬼だけではない。負の感情を刺激するこの世界そのもまた、大きな脅威なのだ。
「尋、お前までいなくなったりするなよ。これ以上友達を喪いたくない」
「俺だって同じ気持ちさ。絶対に生きてこの世界から脱出しよう」
友人達の死や凶行を悲しんでばかりもいられない。
この世界全てが鬼の狩場。またいつどこで襲われたっておかしくはないのだから。
「もう不安なんて口にしない。お前を信じて俺はついていくよ」
何が尋を突き動かしているのかは分からないが、尋は確信を持って、神社へ向かうことが自分達の生存の道だと語った。この歪な世界において頼れる物など存在しない。ならば、ここまで共に行動してきた親友に運命を委ねようと涼は覚悟を決めていた。
深く息を吐いてから勢いよく立ち上がり、改めて信頼を表明するかのように、涼は尋を引き起こそうと右腕を伸ばす。
『危険だ少年!』
危機を察した謎の声が尋へ訴えかけるも、現実は非情だ。
「一緒に脱出――」
「涼?」
伸ばしかけた涼の手の動きがピタリと止まり、次の瞬間には尋の眼前に歪な血の華を咲き散らした。突如として遠くから飛来した
「に・げ・ろ」
激しい出血を伴いながら前方へと倒れ込む瞬間、死に際の涼が必死にその三文字を告げた。
「涼、一緒に帰るんだろ? これ以上友達を喪いたくないのは俺も同じだ……」
涼の体を受け止め必死に訴えかけるも、一切答えは返ってはこない。
死んだ人間は言葉を発さない。あまりにも歪な世界であっても、その原則だけは現世と何ら変わりない。
「……お前がやったのか」
礫の飛来した方向を眼光鋭く睨み付ける。
百メートル程離れた木々の間に、一体の鬼が立っていた。
次弾なのだろう、手には掌台の礫が握られている。これほどの距離を、木々の隙間を縫って命中させる技量はあまりにも驚異的だ。
「殺してやる。俺が絶対殺してやる」
『急くな少年。今のままでは殺されてしまう。今は復讐心を蓄える時だ。その感情を、力を手に入れてから爆発させろ』
咄嗟に近くの木の幹の後方へ回り込み、二投目の礫の一撃をやり過ごす。
『私の下まではそう遠くない。追いつかれぬよう最短を行け。私の本体と近づいた今、導きも可能だ』
言葉は返さず心の中で頷く。涼や宏人の遺体を放置していくのは忍びないが、開けた場所に戻れば礫の的だ。最早遺体に近づくことさえもままらない。
「涼、宏人、千佳……遥。済まない」
木の幹を盾にしつつ、尋は神社を目指して森の深部へと進んでいく。
絶対に生きて帰らなくてはいけない。
どんな手を使ってでも生還する。生還の邪魔をする存在は容赦なく殺し、絶対にこの歪な世界から抜け出してみせる。
悪鬼への怒りと生存への執念。
二つの感情は強い覚悟として尋の双眸へと宿っていた。
命懸けの鬼ごっこがもたらすものは危機か、あるいは鬼気なのか。
事態は最終局面へと突入する。
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