6 檻の中

 翌日の放課後。


『僕のペットが消えてしまった。色々な場所を捜してみたけど見つからない。頼む、助けてくれ』


 そんな電話が契一郎けいいちろうの下へと届いたのは、学校前でじんと分かれ、帰宅するために駅の方へと向かっている途中のことであった。

 知らない連絡先だったが、直近で声を聞いていたことから鰐渕わにぶち圭吾けいごだと直ぐに分かった。


 鰐渕とは連絡先を交換したことは無いが、中学時代の友人経由で契一郎の連絡先を入手し、連絡してきたのだという。

 誰が教えたのかは知らないが、人に連絡先を教える時は一言断りを入れるべきだと、契一郎は少し不満を抱いたが、内容は深刻な状況を物語っていたため、そんな不満も直ぐに消え去ってしまった。


 鰐淵が飼っているペットの姿が昨日から見えないのだという。最近起こっているペットの消失事件のこともあり、安否がとても心配だということ。契一郎の親戚が警察官だと聞き、力になってもらえるのではないかと思い連絡したということ。昨日は言い過ぎたという謝罪の言葉などが連なった。


 契一郎は先ずは会って話がしたいという旨を鰐渕へ伝え、午後五時三十分に駅前のファストフード店で待ち合わせをすることとなった。

 

 契一郎が駅前のファストフード店に到着すると、すでに鰐渕は席に腰掛け、購入したハンバーガーを頬張っていた。


「待たせたかな?」

「僕も今来たところだよ」


 入店しておいて何も注文しないのは都合が悪いので、契一郎はアイスコーヒーを注文し、カウンターで受け取った。


「早速本題に入りたいんだけど、ペットがいなくなったんだって?」

「小型犬なんだけど、散歩の途中で姿を消してしまってね。近所じゃペットがいなくなる事件が多発していたし、心配で」

「近所ってことは、君の家は」

蛍川ほたるがわ町さ」

「成程、それは心配だね」

のぼり。一度お前にもペットがいなくなった現場を見てもらいたい。観察力の鋭そうなお前に調べてもらった上で、警察に相談するかどうかを判断したいんだ」

「確かに、今の時点では事件性があるかは分からないからね」

「そうと決まれば、案内するから今から一緒に来てくれないか?」

「僕は構わないよ。どこまで力になれるか分からないけどね」

「そんなことはない。お前がいれば心強いよ」


 鰐渕は半ば強引に契一郎の手を取り、感謝を込めて深々と頭を下げた。

 頭を下げなくては、不敵な笑みが契一郎へと伝わってしまう。

 長年自分をイラつかせてきた幟契一郎が間もなく無残に食い殺される。その様を想像すると、このような状況でも笑わずにはいられない。

   

 ※※※


「ペットがいなくなったというのは、この辺りなんだね?」

「ああ、ここは散歩スポットだからね」


 鰐渕に連れられ契一郎がやってきたのは、一昨日、鰐との鬼ごっこを体験した例の地下水道入り口がある河川敷だった。

 この河川敷には、数年前に整備されたばかりの真新しい歩道があり、平日でもペットの散歩やジョギングなどをしている近隣住民が多い。


 今は夕暮れ時なので、近くの中学校の生徒が部活の走り込みを行ったりしている。


「もう一度辺りを調べてみたいんだ。幟も手伝ってくれないか?」

「構わないけど、収穫があるかどうかは分からないよ」

「駄目で元々さ、手分けして捜してみよう」


 鰐渕は契一郎の返答を待たずに河川敷の傾斜を下り、辺りを捜し始めた。

 例の地下水道への入り口に鰐渕が近づかないかを気にしながら、契一郎も手がかりを求めて辺りを捜索し始める。


「幟!」

「どうしたんだい?」


 契一郎を嫌な予感が駈け廻る。鰐渕の声のした方向が、例の入り口の方に思えたからだ。駈けつけてみると案の定、鰐渕は筒状の入り口の前に立っていた。


「これを見てくれ……」


 声を震わせる鰐渕が握っていたのは、小型犬用のリードだ。ベースの色が黒なので分かり難いが、所々に赤い染みのようなものが飛んでいるように見えた。


「この中にボクの犬が」


 鰐渕が地下水道への入り口に足を踏み入れようとしたが、契一郎がその腕を取り引き戻す。


「何があるか分からない。入るのは危険だ」


 話がややこしくなるのでファントムの存在については触れずに、それとなく説得する。


「可愛いペットのためなんだ。ボクは行くよ」


 契一郎の制止を振り切り、鰐渕は地下水道の奥へと駈けて行った。


「おい、鰐渕!」


 契一郎も急いで追いかける。最悪、気絶させてでも連れ戻さなければ危険だ。

 急いで追いかけたはずなのに鰐渕の姿は見えない。このまま進めば、一昨日、鰐に遭遇したポイントまで辿り着いてしまう。

 鰐の存在を警戒しつつ、可能な限り音をたてないようにして、スマートフォンのライトを頼りに進んでいく。

 そんな時、手にしていたスマートフォンが突然震え出した。何事かと思い画面を確認してみると、着信が届いていた。


 発信者の名前は、先程番号を交換したばかりの鰐渕圭吾。


「鰐渕、今どこにいる?」

『外だよ。別の出口から出て、今はさっき入った入口の前』


 瞬間、入り口の方向から何かが閉じるような金属音。

 鰐渕がわざわざ自分の居場所を示したことから、その音が入口が封じられた音だと察するのに時間はかからなかった。


「僕をどうするつもりだい?」

『こんな時でも動揺を見せないなんて、本当に幟は僕をイラつかせる」


 動揺しているのは、電話口の鰐渕の方であった。

 何故こんな状況にあっても契一郎が冷静さを失わないのか理解出来ない。


『君は今日この場で死ぬ。今の内に覚悟を決めておくんだね』

「僕はどうやって殺されるのかな?」

『生きたまま食い殺されるというのはどうかな?』


 鰐渕の意志を感じ取ったのだろうか? 鰐のファントムと思われる足音が契一郎の方へと近づいてきた。


『大きな鰐に襲われるというのは、流石の君でも恐ろしいだろ?』


 鰐渕が高笑いを上げると同時に、契一郎の視界に大きな鰐の姿が映った。


「いや。見るのが二回目だと、そんなに驚きは無いかな」


 初見程のインパクトは無かったので、契一郎には一切の動揺が見られない。


『……さっさと死ね!』


 最後まで余裕を崩さなかった契一郎の様子が気に入らず、鰐渕は無理やり通話を断ち切った。感情的になるあまり、契一郎が『二回目』と言っていたことにも気づいていない。


「切れたか。二重の意味で」


 スマートフォンをズボンのポケットにしまい、契一郎は鰐のファントムと正面から向かい合った。

 鰐のファントムは一昨日よりも巨大化し、大人一人を余裕で丸飲みしてしまいそうなサイズとなっていた。その恐るべき成長速度こそが、ファントムの異常性を表していた。


「死なないようにしないとね」


 契一郎は気持ちを落ち着かせるように、深く息を吐いた。

 行動を誤れば、そこに待つのは死だけだ。

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