4 将来
放課後。
「地下水道で鰐に追いかけられるだなんて、滅多に出来る経験じゃないわね」
「他人事だと思って……あそこまで焦ったのは久しぶりだった」
昨日の体験を、尋はため息交じりに思い出す。
暗くて全体像を確認出来たわけではないが、あの鰐の姿をしたファントムはかなりの大型だった。よく逃げ延びることが出来たものだなと、我ながら感心する。
「ごめんごめん。お詫びと言うのもなんだけど、今回の事件絡みで一つ気になる情報を持って来たわ」
「有益な情報だろうね?」
「対策室の力を舐めてもらっては困るわ」
自信満々に言うと、咲苗は鞄から調査報告書を取り出し、尋が見やすいようにテーブルへと広げていく。
「今回のペット消失事件に関する対策室のまとめだけど、大して重要じゃない部分の説明は省くわね」
そういうと咲苗は報告書のページを捲り上げていき、5ページ目で止めた。
「これを見てちょうだい。ペットが消えた民家の近くの防犯カメラに、偶然写っていた不審人物の画像よ」
防犯カメラの映像を拡大、鮮明化しプリントアウトした画像を咲苗は差し出す。
画像には夜にも関わらず黒いウインドブレーカーにキャップ、マスクという、いかにも怪しげな風貌の男が写っていた。顔のほとんどがマスクなどで覆い隠されているが目元だけは露出しており、それが唯一の個性に感じられる。
「こいつがファントムの主である可能性があると?」
「断定は出来ないけど、前に話した河川敷で目撃された不審者とも服装が一致しているし、この男がカメラに映った数分後にペットがいなくなっているから、可能性は高いと思う」
「個人の特定とかは出来ないの?」
「目元や背格好を元に分析は進めているけど、特定するには、それなりに時間がかかるでしょうね」
「いつ新たな事件が起こるかも分からない状況で、それを待っている余裕は無さそうだな」
地下水道で張っていれば、鰐の様子を見に来た宿主を確保することも可能だろう。男の正体を突き止めるのはその時でもいい。
「気のせいだとは思うんだけど、こいつの目、どこかで見たことがあるような気がするんだよな」
「まさか、ジンジンの知り合い?」
「……駄目だ、思い出せない。あとジンジンは止めろ」
既視感を覚えた男の目元の印象については一先ず置いておき、咲苗を
「この調査報告書、ケイちゃんにも見せておいてね。どうせジンジンはこういう小難しい書類なんて目を通さないでしょうし」
「失礼な、と言いたいとこだがその通りだ。あとジンジンは止めろ」
「素直でよろしい。だけど、報告書の10ページ前後にはちゃんと目を通しておきなさい。あくまで既存の鰐に対するものだけど、習性や弱点なんかの情報をまとめてあるから。きっと戦いの役に立つはずよ」
「分かった。その辺は頭に叩き込んでおくよ」
勉強嫌いの尋だがファントム絡みとなると話は別だ。ファントムによる被害を抑えたいという正義感もあるし、何よりも知識は命を守る術ともなる。
「今の所、共有できる情報はこんなところかしらね。せっかく喫茶店に来てるんだし何か頼む?」
「咲苗ちゃんの
「流石に呼び出しておいて自腹にはさせないわよ」
「じゃあパフェでも頼もうかな」
「あら可愛い」
「甘い物は好きでね」
「ジンジンは可愛いね。弟が出来た気分」
「えっ? 息子じゃなくて」
「……ジンジン、私まだ二十代だぞ」
咲苗は笑っていた。それはそれは威圧的に。
「ごめんなさい。調子に乗り過ぎました」
普段よりも低い咲苗の声に、ファントムと戦っている時以上の危機感を尋は感じ取っていた。すぐさま深々と頭を下げる。
「一ついい?」
満足げにパフェを頬張っている尋に、咲苗は神妙な面持ちで語り掛けた。
「咲苗ちゃんにも分けようか?」
「いや、そういうことじゃなくてね。聞きたいことがあったの」
「どうしたの? 改まって」
「尋は、ファントムとの戦いを辞めたいと思ったことはない?」
その問いかけに、尋はパフェを食べる手を止めてスプーンをテーブルに置いた。 咲苗がジンジンと茶化さずにちゃんと名前で呼ぶ。それは、彼女が普段以上に真剣に話をするというサインでもある。
「それは、
「私個人としての質問よ」
尋は少しだけ考え込むような仕草を見せたが、返答にそれほど時間はかからなかった。
「別に辞めたいと思ったことはないかな。俺にしか出来ないことだし」
「尋には将来やりたいこととかはないの? もう高校二年生だし、来年には受験や就職が控えているでしょう」
「今は特に無いかな。何なら卒業と同時に対策室所属にしてくれても構わない」
「結論を急ぐものじゃないわ。例え今はやりたいことが無くとも、いずれは夢や目標が見つかるかもしれない。尋には尋の人生があるんだもの、ファントムと戦うことに囚われて、選択肢を狭めてほしくないわ」
「そう言ってもらえるのはありがたいけど、俺みたいにファントムと戦える奴って貴重なんだろ? 俺が戦うのを辞めたら、対策室だって困るんじゃないか」
「その時は私が全力で上の人間を黙らせるわよ」
「咲苗ちゃんなら本当にやりそうだな」
咲苗は芯の強い女性だ。例え自分がどんな不利な状況に立たされようとも、己の意志を貫き通すだろう。
「一度真剣に自分の将来について考えてみて。どんな道だろうとも、私は尋の意見を尊重し、味方になってあげる」
「もしも、考え抜いた末にファントムと戦い続ける道を選んだら?」
「それだって立派な尋の決断だもの。その時は全力でバックアップするわ」
「咲苗ちゃんは大人だね」
「これでも、尋よりは長く生きてるから」
微笑む咲苗を見て照れ臭くなった尋は、パフェに視線を落として再び口に運び始めた。恥ずかしくてとても口には出せないが、尋も時折咲苗を姉のように感じることがある。全ての事情を知った上で本気で自分のことを心配し、時に諭してくれる。そんな咲苗の優しさや温かさに、尋は癒されていた。
「咲苗ちゃん、やっぱりパフェ少し食べない?」
「そうだね、たまには甘い物も有りか。ありがとうジンジン」
「だからジンジンは止めろって」
尋の声色は少し優しかった。
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