エピローグ

第39話 ジャック

 それは朝一番の訪問だった。まだ薄暗い中で街を離れるための荷造りをしていると、開けっぱなしだった部屋の入り口にエミールがばつの悪そうな顔で立っていた。

「取り込み中か?」

 ジャックは歓迎した。「そんなことはない。出発まではまだ十分に余裕がある。何か飲むか?」

「いや、いい。済ませてきた」

 エミールの頬は薄っすらとこけている。何も口にしていないようにしか見えなかったが、ジャックはただ、そうか、と頷いた。

「仕事は上手いこといきそうなのか?」

 エミールが箱に詰められた資料をぼんやりと眺める。

「恐らくは。落とし所は見つけたつもりだ。ほとんど君たちのおかげだ。誇張でもなんでもなく。上司にはせいぜい大げさに報告させてもらうつもりだ」

「そいつは何よりだ」

「ああ。だが──」

 ジャックは事の顛末について二人から聞いていた。手がかりだったダニエル・ジョベールは証拠を残すことなく死に、あれから期限いっぱいまで証拠探しに奔走したが、結局──一緒に死んだダニエルの協力者の線から辿っても──バルドーと事件を結びつけるものは見つけることができなかった。あの男は身代わりを使い、人を操り、見事目的を達成した上で逃げおおせたのだ。

「そんな顔をするな。あんたのせいじゃない。それより、ローランは見なかったか? 奴の宿にも行ってみたんだが、もぬけの殻だった」

 ジャックは、ああ、と半ば呆れ混じりの溜息を吐いて、机の上に置いてあったくしゃくしゃの紙を手渡した。

「どうやら少し外した隙に忍び込んだらしい。公費の残り半分ほどが消えていた。で、代わりにそいつが残されていたというわけだ」

 エミールが受け取ったものを引き伸ばして眉をひそめる。手紙の内容は簡潔そのものだった。書かれていたのはたった一文。『なかなか楽しかった』

「下手な字だろう?」ジャックが笑った。仏頂面をしていたエミールも、堪えきれなくなったように肩を震わせ始めた。

「ああ、そうだ」

 ジャックは預かっていたものを取り出した。警察官の証である赤い半月の徽章。

「君が来なければこちらから出向く予定でいた」

 差し出そうとするジャックの手をエミールが遮り、ゆっくりと押し戻す。相手の意図が分からずジャックは狼狽する。

「そいつはあんたが持っていてくれないか?」

「いや、だがこれは──」

 エミールは首を振った。「いいんだ。もちろん、邪魔でなければ、だが」

 ジャックはエミールの目をまっすぐに見た。徽章を恭しく掲げ、懐に戻した。

「用件はそれだけだ。時間をとらせて悪かった」

「待ってくれ」

 背を向けようとするエミールを呼び止め、ジャックは手を伸ばした。

「握手をいいか?」

 エミールは初め戸惑っている様子だったが、やがてゆっくりと握り返してきた。ジャックが力を込める。エミールも力を込める。申し合わせたように二人は手を開いた。

 さよならだ、とジャックが別れの言葉を告げる。エミールは頷き、音もなく立ち去っていった。

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