第25話 ローラン 3-3


 今まさにジョッキを傾けようとしたローランをエミールが睨み付けた。「おい、ちゃんと見張ってるんだろうな? また何人か入ってきたぞ」

 夜──酒飲み場の盛りの時間。店の窓からは見えない壁際の卓で、二人は初めて会ったときのように差し向かいに座っていた。椅子を横に向け、肘をついて、半開きの目で入り口の方を見張っている。

 確認しているのは来店する客の顔だった。初日に襲ってきた鉱夫の出入りしそうな店で待ち構えるといったことを始めて、かれこれ二刻ほどが過ぎようとしている。

「別にいいだろうが、ちょっとくらいは。景気づけだよ」

 あんたはやらないのかいと水を向けると、エミールは余計に目くじらを立てた。

「これで四件目、しかも前の三件でも飲み食いしていただろうが。肝心なときに足元がふらつきでもしたら蹴り倒すぞ」

「適量くらい分かってるさ。それに、潤いがなきゃやってられんぜ、こういう地味な仕事はな。退屈すぎて眠くなっちまうよ」

 エミールの案内で食事処や賭場、連れ込み宿といった仕事帰りの鉱夫が立ち寄りそうな場所を区をまたいで探し回っていた。頼りになるのがローランの記憶のみであるということもあって、エミールの機嫌はすこぶる悪かった。

「貰った報酬分の働きはしてみせろ」

 エミールが卓の上の皿から乾煎りした豆を掴んで口の中に放り入れ、ごりごりとかみ砕く。

 常に苛立っている男だなとローランはなんとなしに思った。きっと、常に反吐を吐き散らしていなければ腹が膨れて破裂してしまうのだろう。自分とてそう恵まれた生い立ちではないが、何かにむかっ腹を立てるということはほとんどなかった。

 恐らくこれは落差の問題だ。自分は初めから地べたを這いずりまわっていた。だからこそ大抵の事は楽しめる。この男は──昔は恵まれていたに違いない。そのせいで現状に腹を据えかねている。

 口を閉ざして見張りに集中するエミール。ローランも追加の注文は止め、ただ黙って周囲に気を配った。

 服が土色に汚れた集団が入ってくる。ローランはその中に知った顔があることを目ざとく見つけて小声で言った。

「こっそり入口のほうに回ってくれ。逃げられないようにな」

 エミールが自然な動作で立ち上がって店を出る。ローランは一団に酒が入り、騒ぎ始めるのを待ってから酔っぱらいの足取りでふらふらと近づいた。

「よう、盛り上がってるねえ」

 鉱夫どもが赤ら顔を怪訝そうに歪めた。

「いやなに、知り合いに挨拶に来ただけだよ。そう怖い顔をしなさんなって」

 連中の一人がローランの刺青まみれの顔を見て小さく声を上げた。

「知ってるのか?」

 仲間に問い詰められたその男は脂汗を流しながら首を横に振った。

「つれないな。こっちは脛の怪我の具合はどうかと心配してたんだぜ? 仕事に差し障りがあったんじゃないかってな」

 何故こいつはそのことを知っているのかという仲間の視線──それに耐えかねた男が勢いよく席を立った。椅子が転げる。配膳中の給仕を押しのけ、片足を引きずりながら店の入り口めがけて一目散に走った。

 誤魔化すのが下手な男だった。こういう場合は知らん顔をして白を切り続けるのが一番だというのに。男の逃亡劇はすぐに終わった。店を出てすぐのところで待ち構えていたエミールに殴り倒され、念入りに絞め落とされた。

 ローランはテーブルの上にいくらかの銀貨を置いた。「邪魔したな。なあに、こいつは厄介な話ってわけじゃない。その証拠に奴は明日も元気に仕事に出るだろうさ」

 厳つい髭面の男が金に手を伸ばした。

「いったい何の話をしてるんだ? いま、何か起こったか?」

 男たちが笑った。つられてローランも笑った。



 二人は近場の売春宿までやってきた。エミールが客引きの婆と二言三言交わしている。やがて婆さんがため息を吐き、顔のしわをいくつも増やしてから埃を払うように手を振った。

「こっちだ」

 エミールが手招きして宿の奥へ。ローランは気絶した鉱夫を背負い直してそれに続いた。

「ここは?」

 廊下を歩きながらローランが尋ねる。立ち並ぶ部屋からは男女の声と息づかい。エミールは使用人室の札が下げられた部屋のドアを開ける。

「見ての通りだ。ちょっとばかり弱みを握ってるから、少しのあいだ使わせてもらう」

「あんた、本当に仕事熱心な男だな」手段を選ぶようなこともないのだろう。周囲から煙たがられる様が目に写る。「そうやって小遣いを稼いでるってわけか」

「金を受け取ったことなんか一度も無い」

「じゃあ、立場を利用して弱い物をいたぶるのは気分がいいってことか?」

「こんなものを楽しいと思うのは頭がおかしな奴だけだ」

 ローランは目を丸くしておどけながら背負っていた鉱夫を椅子に座らせ、腕を後ろに回して皮帯で縛った。頬をしたたかに叩く。「そろそろ起きてくれてもいいんじゃないか? この状況で寝ていられるってのは随分図太いぜ?」

 ゆっくりと持ち上がる瞼。焦点が合うなり悲鳴を上げようとした口を、ローランは手でふさぐ。

「取って食おうってんじゃないよ。聞きたいことを聞いたらすぐに解放する。理解できたか? 言っとくが、助けを呼んだところで無駄だぜ」

 男の視線が恐怖に駆られて目まぐるしく動き回る。見知らぬ部屋、ローランの笑顔、壁に背を預けて睨み付けるエミール──がくがくと首を縦に振った。

「よしよし」ローランは体を離して手に付いた唾を男の服で拭った。「じゃあ聞くが、一昨日に俺に襲いかかってきたのはあんたで間違いないな?」

 男が頷いた。

「それはどうして? 理由も無しにあんな真似をしたってことはないんだろう?」

「俺はただ言われた通りにやっただけなんだ」

 要領を得ない答え。ローランは椅子の背を掴んで乱暴に揺らした。「誰に?」

「ラッセルに決まってる! 理由なんて知らない!」

 金切り声。エミールが顔をしかめて部屋の外を気にする。ローランは頬を張って男を黙らせた。

「落ち着け、あんたの見聞きしたことを一から十まで俺に話してくれりゃいいだけだ。あんたは鉱夫で、悪事の片棒を担いでて、見返りにいくらか貰ってる。ここまではいいか?」

 男が頷いた。今度はゆっくりと。口の端から血が垂れて、目の焦点はどこか遠くにある。

「その悪事のなかには、ああやって誰かを襲うことも含まれてるのかい?」

「あんなことは初めてだった」

「と、いうと?」

「いつもは、石を隠して、その場所を教えるだけだった。ただ──」

「その日は違った」

「ああ。ひとり連れてくるから、隙を見て襲えって。数日は動けなくなるまで痛めつけろと言われた。俺は妙だと思って、最初は断ったんだ」

「どうして引き受けた? 事実、襲ってきたってことは、そうなんだろう?」

「信じられない額の金を積まれたんだよ。あの、骨の髄までケチが染み込んだようなラッセルがだぞ? 余計に怪しいと思った。人を襲って怪我をさせるってことは、その、下手したら殺しちまうかもしれないわけだろう? そうなったら金どころの話じゃない。でも、万が一そうなっても事件にはならない、話がついてるって……それで、あのいけ好かないピンはね野郎が頭まで下げるもんだから、俺は──」

「ちょっと待ってろ」

 ローランはエミールを連れて廊下に出た。

「もし、今のがたわごとやでまかせの類いじゃないとして、この街で殺人を握りつぶせるやつってのはどの程度いるんだ?」

 ローランは小声で訊いた。エミールがこめかみに手をやって考え込む。

「あれっぽっちの証言じゃ特定は難しい」

「ラッセルは殺しもやってたのか?」

 エミールが右手で皺の寄った眉間を覆い隠しながら首を振った。「いや。記憶には無い。奴は卑屈なツラの通りの、臆病な男だった」

「例えばあんただったら、どうやってもみ消す?」

「事故に見せかけて捜査情報を誤魔化すまでならできる。今日、俺の部下に命じたみたいにな。しかし確実じゃない。どうしたって上役には事件が起こった事を知らせなきゃならないし、そこで露見する恐れはある」

「仕事を引き受けさせるためにホラを吹いた可能性は否定できないが、もし本当に事件にならないよう話がついていたとしたら──」

「少なくとも、警察の上の方に協力者がいるだろうな」

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