第24話 ローラン 3-2
「密輸に関わっていそうな兵隊から芋づる式に引っ張ろうってわけだな?」
土埃と煤が舞う職人街へ向かう途中、エミールが呟くように言った。まだ付いて来ている。
「そういうことだ」ローランが答えた。「で、あんたはいつまでそうしてる気なんだ?」
「お前、これから先日襲ってきたっていう鉱夫連中を締め上げに行くつもりだろう?」
「まあね。よく分かったな」
「少し考えれば想像がつく」
採石場でのした二人の労働者、彼らは盗掘に直接関わっている。盗んだ物をいったいどうやって金に換えるのか──答えは密輸。ジャックの要求とここで重なる。何か興味深い話が聞けるかもしれないとローランは考えていた。「それで?」
「俺もそいつらに用がある。ところが、連中の顔を知ってるのはお前だけときてる」
エミールが執心するもの──彼の追っている事件。それとあの労働者たちとの関わり。線と線が交わるところにあるもの。テッド・ラッセル。ようやく合点がいって、ローランは何度も頷いた。「なるほどね。だが、俺たちには優先して片付けるべき仕事があるってのを忘れちゃいないよな?」
「事件の全容を明らかにすれば、そこに連なる悪党どもを炙り出せる。汚れた商売に関わってる薄汚い連中をな。ジャックがお望みの首でなくとも、足掛かりくらいにはなるはずだ」
エミールはあらかじめ用意しておいた言い訳を述べるように機械的に答えた。いかにもとってつけたような理由だが、まったく理がないわけでもない。
「こっちの仕事をご破算にしないでくれよ」
泥土が壁にも屋根にもべっとりとへばりついた灰色の街並みを西へ下る。あちこちからガタゴトと作業の音が聞こえるなか、先日に盗掘した原石を渡した職人の家へと向った。磨き終わった石を貰ってカソヴィッツへの手土産にするつもりだった。
そういえばとローランは思い出し、渡しそびれていたものを懐から取り出した。借金取立ての延期の署名──一汗かいてギャレーに書かせたものだ。酒と不摂生にやられて目のまわりが赤黒くなった職人の顔を思い浮かべる。少なくともこれを貰って嫌な顔はしないだろう。これで奴の仕事に身が入るのであれば、苦労した甲斐はあるというものだ。
長屋のように密集するくたびれた作業場が見えてきた。ローランはすりガラスのはめ込まれた古臭い引き戸の前まで行き、ノックをしようとして──漂う異臭に顔を顰めた。
「おい、こいつは──」
エミールも気付いたのか舌打ちする。「ああ」
ローランはぼろぼろと塗装の剥げた木枠に手をかける。金属を引っかいたような音がして開いた戸から吐きだされた熱気と腐臭をもろに浴びて思わず仰け反った。
玄関先には見覚えのある初老の男が仰向けに倒れていた。作業場の床には赤黒い染みが広がっており、色あせた藍色の上着がそれを吸って黒に変色している。胸には死因と思われる穴、僅かに開いた口の中や眼球の上を虫が這いまわっている。
「こいつは?」エミールが言った。
「俺がラッセルに言われて仕事を頼んだ相手だよ」
死体に近づいて手を伸ばそうとしたローランの肩をエミールが掴む。「待て、俺がやる。素人が触るな」
エミールがそわそわと首を巡らせる。人の目が無いことを確認して作業場にローランを引っ張り込んで戸を閉めた。
「わけが分からん。なんで殺されてるんだ?」
ローランが首の汗を手で拭った。前にここへ来た時は金臭さと土と酒の臭いが充満していたが、いまは血と腐り始めた肉の臭いがそれらを上から塗りつぶしてしまっている。締め切られた作業場の蒸し暑さも加わって眩暈がしてくる。
エミールが手袋をはめてやおら部屋の中を漁り始めた。研磨機の乗った作業台、磨きかけの石、加工用の工具、レンズ、そういったものを慎重に触って調べ、元の位置に戻す。
「何やってんだ、こんなときに」
「もう終わった。行くぞ」死体の様子を見るために屈みこんでいたエミールが立ち上がって作業場の奥の居住空間を指差した。
二人は家具に触れないように慎重に奥へ行き、裏口のドアを見つける。ノブに手をかけ、戸口に姿を隠してドアを開ける。
小屋の裏はごみ置き場になっていた。仕事で出た削り滓の山のなかにいくつもの酒瓶が埋まっている。目の前には目線より少し高いくらいの塀があり、他の作業場とは石壁で区切られていた。中で人がいるようで、がりがりという作業音が聞こえる。
二人は目を合わせて頷きあった。塀に手をかけてひと息で上って隣の敷地内へ下りると、作業場の脇を通って反対側の道路へと出る。内心で冷や汗をかきながら何食わぬ顔で坂を下った。
二人は口をつぐんでひたすら歩き続けた。区画を三つ、四つほど離れ、繁盛からは程遠い喫茶店を見つけて奥の席を陣取った。
何にしますかと注文を取りに来たくたびれた店員に紅茶二杯分の金を渡して追い払うと、エミールが出し抜けに言った。「あの男を前に訪ねたのはいつの話だ?」
「ちょうど昨日──街に到着した次の日だ。その夜にもう一度寄ったが、留守だった」
「腐敗の具合から考えると、その時には既に殺されていた公算が高い。こいつは少しまずいぞ。分かってるか?」
「言われなくてもな」
エミールの台詞の意味──お前は容疑者だ。殺されたと思わしき時間帯に家の周りをうろついていた怪しい風体の男。自分でさえなければローランも犯人だと決めつけたに違いない。また牢にぶち込まれでもしたら──今度はジャックに助けてもらえるとは限らない。
「しかし、よくよく人が死ぬ街だな」ローランが吐き捨てた。「たった数日なのに知った顔が二人もくたばったぞ」
「碌でもないところだってのは否定しない。それで、お前、誰かに訪ねたところを見られたか?」
ローランはがりがりと頭を掻いて記憶を辿る。「そんなもんに気を配っちゃいなかったよ。ただ、見られたかどうかは分からんが、あの爺さんと会ったことは人にそれとなく教えちまってる」
「相手は?」
「ティエリ・ギャレー。金貸し。見るからに目ざとそうな男だ」
「奴か」エミールがテーブルを爪で規則的に叩いて状況の整理に努める。「あの職人と知り合ったのは、ラッセルに紹介されてだったな?」
「ああ。件の盗掘で手に入れたブツを磨かせてたらしい。奴に何か野暮用があるってんで、代わりに俺が足を運んだのさ。で、爺さんが気持ちよく仕事をできるように借金の件をギャレーのところに取り成しに行ったってわけだ」
紅茶を持ってきた店員を呼び止めると、エミールが何かを書いて手渡した。店員はどうにも不審げな様子だったが、メモに挟まれた金を見てへつらいの笑みを浮かべて奥へ引っ込んだ。
「今のは?」ローランが聞いた。
「上手いこと誤魔化してやる。少し待ってろ」
そのまま喫茶店で食事をとる。運ばれてきたのは場末に相応しい料理だった。食べ終わって一服していると、店に若い警官が駆け込んできた。店内をきょろきょろと見回す。エミールが奥の席から手を振った。警官は大股でこちらにやってくる。
「なんです、急に呼び出して?」警官がふて腐れたような面で言った。
「死体を見つけた」エミールが住所を書いた紙を渡した。警官が眉を寄せる。「通りかかったら気付いたでも、近隣から悪臭の苦情が来たでもいい、何か適当な理由をつけて処理しろ」
「こっちにも仕事が──」
エミールに目配をせされて、ローランは調査費用としてジャックにいくらか手渡されていた金の一部を渋々テーブルの上に置いた。警官は口答えを引っ込め、肩をすくめてそれを受け取った。
「今のは?」警官が店から出たのを見届けてからローランが言った。
「俺の部下だよ。信用できる」
「あんたが人から信頼を勝ち取れるような人間か?」
「泣き所を押さえてるって意味だ。こいつは貸しだぞ」
「分かってるって」
エミールはよし、と頷いた。「話は変わるが──あの殺し、少し引っかかるところがある」
ローランは死体の有様を思い浮かべながらそのまま口にしてみた。「玄関先に転がってた銃で撃たれた死体。来客が現れて、出迎えて、そのまま急所にズドン」
「恐らくはそうだろう。部屋は生前使ってたそのままが残っていて、何か荒らしたり欠けているという風じゃなかった。泥棒でもないし──そもそも盗る物があったかどうかは怪しいが──いざこざから殺人に発展したという感じでもない。最初から、明確な殺意があったように思える」
「それで?」
「俺が追ってる二件の殺人と似ている」
ローランが眉を動かした。「つまり、三件目だって?」
「俺の勘はそう思いたがってる。結びつけろと言わんばかりの共通項もある。誘導されているようで気に食わないがな」
「共通項?」ローランはまさかという顔で自分を指さした。
エミールは首を横に振った。「いや、違う。ラッセルだ。三件とも奴が関係している」
ローランは腕を組んで瞼を閉じた。「ラッセル本人とあの職人は、まあ、そうだろうよ。ってことは、残りの一人も何か狡い犯罪に手を染めていたのか?」
「いや──彼女が殺されたのは半ば偶然だと俺は考えてる。なりゆきは、こうだ。二日前の晩、お前とラッセルは酒を飲みながら悪巧みをした。被害者はそこの店員だ。店を出たお前たちの後をつけて、その途中で殺された」
ローランが手を前に出してエミールの言葉を遮った。
「ああ、待て。俺とラッセルが店を出て、その後に廃棄物の置き場で襲ってきた鉱夫連中が追ってきて、さらにその後を店員が追跡? 何だってそんな真似を?」
「さあな」エミールは椅子の背にもたれかかり、ことさら素っ気なく言い放った。「同僚が言うには、そういう行動をとったことは間違いないらしい」
「で、その店員を狙ったやつがいた、と。通り魔の類に襲われたんじゃなく?」
エミールは頬杖をつき、もう片方の手でテーブルをこつこつと叩いた。いかにも神経質そうな仕草。「襲われたのは女だ。そして、殺された以外は何もされていなかった。ここじゃあそういうことは滅多にないんだよ。この犯人には、なにか確たる目的があった。そうとしか思えない」
「単なる偶然かもしれないぜ? それぞれが個人的に抱えていた厄介事に、奇しくも同時に火が点いたってことは?」
「該当しそうなのはラッセル、それとあの爺さんくらいで、あの店員は──少なくとも、殺されても仕方ないと思えるような人間じゃなかった」
「前置きは分かった」ローランはテーブルに肘をついてカップの底に残っていた紅茶を飲み干した。「それで?」
「これからお前が探しに行く連中の重要度が跳ね上がったってことだ」
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