第13話 エミール 2-3

 日が暮れて警察署に駆け込んだエミールは刑事部屋に直行してロカールの姿を探した。疲労の色が濃い顔つきで書類と睨み合っている姿を見つける。

「警部」

 呼びかけるとロカールが視線を上げた。「うん? ああ、戻ったか」

「出直してきましょうか?」そう言ってエミールはつま先で床を忙しなく叩いた。さっさと自分の話を聞けというポーズ。

「いや、構わんよ」ロカールが口だけは殊勝なエミールに向き直る。「被害者とは顔見知りだったそうだな。二人から聞いたよ、お悔やみを申し上げる」

「恐縮です。報告を行ってもよろしいでしょうか?」

 エミールは少しでも畏まって見えるように両手を後ろで組み、両足を肩幅に広げて背筋を反らした。

「そういう態度を取るということは、面倒ごとだな?」

「そうかもしれません。二つ目の死体が出ました」

 ロカールの表情が引き締まる。「どこの誰だ?」

「テッド・ラッセルという男です。見つかったのはアズールのオーギュスト36」

 ロカールの盛大な溜息。エミールは壁にかかった賞状に視線を向けて目を合わせないようにした。

「やってくれたな。早期の解決とは言ったが、向こう側の縄張りを荒らすのは流石に論外だぞ。君もその程度のことは理解しているはずだが──」

 「荒らしてはいません。あくまで正当な捜査を行っている最中に発見しただけです。その証拠に、向こうへ一報を入れて現場を引き渡してきました」

「まったく、普段は狂犬じみた仕事ぶりのくせに保身に関してはいやに理性的なのが性質が悪い。ラッセルというのは、あれか? 君と因縁のある男だったか?」

「因縁かどうかはさておき、一度捕まえたことがあります」

「ひとつ聞いておくが、君が殺したわけではないだろうな?」

 できるならそうしてやりたかったのが本音だった。エミールは無機質な声で言った。「いいえ、滅相もありません」

「まあ、そう答えるだろうな」見透かしたようなロカールの表情。腕を組んで先を促す。「では、何故そういう運びになったのか報告してもらおうか」

 エミールは頷き、ことのあらましを説明した。

「フィリップとクロードに現場周辺での聞き込みを任せたあと、被害者の勤め先──食堂なのですが、そこに行って昨晩の様子について質問を行いました。おおよそ普段と変わらないとのことだったのですが、同僚が言うには、昨晩店に訪れたラッセルを見て後をつけようと思い立ったそうです」

「それは、何故だ? 被害者とラッセルには何かしらの関係があったのか?」

 ロカールのもっともな疑問にエミールの肺腑が抉られる。気丈で負けん気の強いカレン──彼女に不幸が降りかかったのは自分が余計なことを口走ったからだ。自分こそが彼女を死に追いやった。

「理由は、不明です。ですが、ラッセルが本件に何かしらの関係があると睨んで消息を追いました。奴のヤサや付き合いのある相手を辿ったところ、行きついた先で死んでいたというわけです」

「なるほど。それで、どうする? 肝心の手がかりが途絶えてしまったようだが」

「いえ、まだいくつか残っています。ラッセルの殺され方を見た限りですが、たまたま──というわけではなさそうです。下手人は家に押し入っていたものの、中を荒らした痕跡はありませんでした。偶然家に忍び込んだ空き巣や強盗の類ではなく、私の所見では、奴を狙ってのものだという印象を受けました。とりあえずは怨恨や薄汚い商売で厄介ごとを抱えてしなかったかを調べるつもりです。それから昨晩のラッセルですが、どうやら連れがいたようです。刺青の目立つ男だそうで、そちらの線からも進めていきます」

 ロカールは頷いた。「分かった。引き続き捜査を行ってくれ。アズールから苦情がきたら一応は撥ねつけておく」

「よろしくお願いします」

「まったく、いつも返事だけは満点だな。参考までに聞きたいんだが、この二件の殺しは何か関係があると思うか?」

 エミールは姿勢を崩して腰に手を当てた。

「まだなんとも。共通点は、どちらも同じくらい手馴れた人間の仕業ってことくらいですね」



「死人みたいな顔色してますよ」

 署内の仮眠室に向かう途中でフィリップに出くわした。片手に食いかけのパン。もう片手にはバスケットを持っている。エミールはそこから突き出た一本引っ掴んだ。

「そっちはどうだった?」

「時間が遅かったこともあって、目撃証言に関しては芳しくありませんね。彼女らしき人物を見たって人はいたんですが、暗かったのと、どうやらフードを被ってたせいで確証が取れていない状態です。一応、殺害現場らしき場所は見つかりました。おびただしい量の血液がぶちまけられてましたよ。エジナール通りです。死体が見つかった場所からはそう離れていません」

 フィリップの報告を聞きながらまだ暖かいパンに齧りつく。すきっ腹に物が入ったせいで体が重くなり、急な倦怠感に襲われた。そういえば明け方から碌に食べもせずに歩き回っていたことを思い出す。

「刺青の男は?」

「刺青……何です、それ?」

「警部に報告してあるからそっちから聞いてくれ。俺が寝てる間にそいつの足取りを可能な限り追え」

「了解です。これ、持っていってください」

 バスケットごとパンを手渡された。軽く手を振って別れ、制服の上着を脱ぎながら年中満杯の仮眠室へ。

 中は寝息と不愉快ないびきが充満していたが、いまはそんなものをいちいち気にする余裕などなかった。

 空いていたベッドへ体を横たえ、ヒビの目立つ天井をぼんやりと眺めながら緩慢な動作でパンを口に運ぶ。体は疲労で悲鳴を上げているはずだったが、ちっとも眠くならない。

 またしても、という思いがある。背中の古傷が疼いて仕方が無い。そのままでは良くない考えに陥りそうだったため、エミールは事件について考えを巡らせた。犯人の痕跡、思考を追う。

 ラッセルが連れと一緒に店を出る。それを追ってカレンも続く。

 フードを被ったカレン。恐らくどこかの物影か路地に身を隠し、顔を出して前を行くラッセルを覗き見ていた。

 そして──正面から近づく犯人。しかも凶器を持った。どうしてカレンは逃げなかった?

 あるいは犯人は後ろから近づき、口を押さえて叫べないようにし、首を掻っ切った。

 その案をエミールは自分で否定する。カレンの首の傷は頚動脈どころか頚椎が断ち切られるほど深いものだった。ナイフで切り裂いたのではああいった傷にはならない。やはり正面からだ。

 彼女が狙われた理由は何か。大金など持っているはずがない。詳しく調べてみなければ分からないが、エミールの知る限り彼女の暮らしぶりは平々凡々としたものだった。誰かの恨みを買っていたとしても殺されるほどのものであるとも思えない。

 犯人の性的嗜好──それにしては死体は綺麗なものだった。本当に、ただ殺しただけという印象を受けた。

 彼女の側に殺されるほどの理由が思い浮かばない。となると──原因があるのはラッセル側か。

 それならば、ラッセルの死体が見つかったことと辻褄が合う。犯人は昨晩にラッセルを殺すつもりだった。しかし、先客がいることに気づいて排除した。カレンが殺されたのは奴をつけていたから。そこで何かを見たから。あるいは邪魔になったから。

 殺された場所。エジナール通り。周辺にはなにがあるのだったか──頭が霞がかって思い出すことはできなかった。

 エミールはよろよろと起き上がり、意識を失う前に今しがた考えたことを書きとめるため、肩を壁にこすり付けるようにして仕事部屋へと向かった。

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