第19話 ジャック 2-3

「こちらです、査察官」

 アズール管区の警察署には、当然だがジャックの来訪は歓迎されなかった。それでも無下に扱うことはできない厄介事であることを前を行く警官のきびきびとした後姿が物語っている。地域の警邏を担当するジョセフ・ナヴァールという男が直々に留置所の案内を買って出てくれていた。

「なにやら警察と揉めたとのことですが」

 ジャックが目の前の背中に向けて言った。帰ってきたのは半分乾いて、半分湿った笑い。

「確かに、間違いではありません。ただし、こちらではなく、向こう側の警官とですが」

 その台詞でジャックはおおよそを察した。州が違えば、その地域を担当する組織も違うというわけだ。

「では、そこまで深刻な事態でもないという理解でよろしいでしょうか?」

「ええ。ごろつき同士の喧嘩など日常茶飯事ですからね。ただ、奴に関しては少し事情が異なっていまして、別の事件に関係しているのではないかとの嫌疑がかかっています。それに、ただでさえ怪しい風体をした素性の定かならない人物でしょう? しばらくは身柄を拘束して取り調べを行う予定になっています。ああ、あそこですよ」

 留置場のどん突きの房には何人もの男たちが詰め込まれていた。一日ぶりに目にした刺青の無頼漢は、不貞腐れたような、うんざりしたような顔で外套にくるまって壁際に座っている。同房の連中はというと、彼から距離をとり、真新しい蒼痣のできた顔で恨みがましい視線を送っていた。

 ナヴァールが警棒で鉄格子を叩いてけたたましい音を立てた。「中での喧嘩はご法度だと言ったはずだ」

「奴らが勝手に転んだだけさ」

 ローランが同意を求める。厳つい男たちは揃いも揃って俯くように頷いた。

「やあ」

 ジャックが挨拶をすると、ローランは片手を上げた。

「よう大将。奇遇、ってわけじゃないよな?」

 ジャックは打ちっぱなしコンクリートの房内を見回した。「寝心地がよさそうな所には見えないが、体の調子はどうだ?」

「なに、雪原で野営したときに比べれば天国だよ。それで、いったい何の──」

 ジャックは余計なことを言わないよう口に人差し指を当てる。「まず聞いておきたいんだが、何か事件に関わってるというのは本当かい?」

「どうにもそうらしい」

「らしい、というのは?」

 ローランは外套の下で両腕を組んでしかめっ面をした。「そういう因縁をつけられたのさ。俺自身まったく身に覚えがなかったんだが」

 ジャックは頷いた。自分から厄介事を引き起こしたのでなければやりようはある。「ここから出るつもりはあるか?」

「査察官?」

 ナヴァールの非難がましい声を無視してジャックは続ける。「どうなんだ?」

 ローランは立ち上がって鉄格子に近づき、魂胆を見抜こうとジャックの顔をしげしげと眺める。「話は飲み込めたが、これはいったいどういった風の吹き回しなんだい? 最初はすげなく断られた気がするんだが」

「少なくとも君は敵ではないということを思い出したのさ。状況は変わるということだな。それで、どうする?」

 ローランは降参するように両手を上げて笑った。「呑むよ。他に選択肢は無いからな。これであんたは名実ともに俺の大将ってわけだ」

「よし」ジャックは頷いてナヴァールの方へ振り返った。「お聞きしていたと思いますが、彼を釈放する手続きを進めていただきたい。もちろん保釈金については全額負担します」

「そちらもお聞きしていたかと思いますが、彼は容疑者です。いくら連邦政府だといってもこのような横暴が許されるとお思いですか?」ナヴァールが一段低くなった声で警告するように言った。

「貴方の仰った事件とやらですが、彼が直接関与したという証拠が?」

 ナヴァールは不服そうな顔で首を横に振った。

「でしたら、解放してください。彼は我々の協力者です」

「このことは上に報告させてもらいます」

 ジャックはにっこりと笑った。「もちろんどうぞ。そうしなければ手続きが進みませんからね」



 *****



 鉄板の上で焼ける肉の音と、もうもうと立ち上る湯気。その短躯のどこに収まるのか、ローランはもう三枚目になる肉をナイフで切り分けていた。血の滴るそれを口いっぱいに頬張って満足そうに唇についた油を舐めとる。

 警察署で住所を聞いてから立ち寄った最寄の高級店の一室を借り切っての密談。支払いは当然公費──都市に来た当初に存在したはずのジャックの中の納税者に対する遠慮は暴行を受けた衝撃でどこかへと消えうせている。

「まず私の仕事について改めて話そうか」食べかけの小海老と野菜の盛り合わせをジャックは脇にどけた。「私は連邦政府の職員でね、ここへは査察のためにやってきた」

「査察? 何に対して?」

「全体的に」

「あー、つまり」ローランが付け合わせの野菜を刺したフォークをくるくる回す。「難癖をつけにきた?」

 ローランの無遠慮な物言いにジャックはやや鼻白んだ。「まあ、そう取ってくれていい。それで──」

「それで、俺は何をやればいいんだい?」

「……君にやってもらいたいことだが、犯罪、違法行為の証拠集めだ。ただ集めればいいというわけではない。問題はその相手──できれば、この都市で権勢をふるう人物のものが望ましい。手段については問わないので、君の流儀に照らし合わせてやりやすい方法でやってくれ。ただし、連邦の威光にも限度があることは肝に銘じておくように」

 ローランが壜を手にとって果実酒を飲み干した。「権勢っていうのがちょっと曖昧だな」

「具体的な例を出そう。企業、行政、司法、あるいは軍の上層部だ。もちろん、どちらの州でも結構だよ」

 はやし立てるようなローランの口笛。「正気を疑うね。そんなお歴々を、俺と大将たち三人で吊し上げようって?」

「いいや」ジャックは強く首を振って、ベルトランに貰ったリストをテーブルの上に置いた。「我々二人だ」

「どうした? 逃げられたのか?」

「殺された」

 ローランは目を丸くした。食事の手が鈍る。ややあって、堪えきれなくなったように笑いだした。「俺なんかに声をかけるってことは随分と切羽詰まってるんだろうとは思ってたが──まったく大した仕事じゃないか? こりゃあ骨が折れそうだ」

「そうだろうとも。だが、やるんだ。なんとしても。そのための取っ掛かりは用意してある」

 ジャックは資料を相手側に向けて滑らせた。ローランは手を伸ばしてリストを引き寄せ、獲物を狙う視線で文面を舐め回す。

 そこに記載されているのは名前と、職業、住所で、加えて前科があるものは犯罪歴──そしてそこからが長い。関与している事業や犯罪行為、事件について所見と憶測を交えつつ語り口調でつらつらと時系列順に並べ立てられている。明らかに昨日今日用意したようなものではなく、長いこと時間をかけて集められ、日の目を見るのを待っていたものであることは一目瞭然だった。

「気になる名前はあったかい?」

 ジャックはあまり期待をせずに聞いた。ところが、予想外の答えが返ってくる。

「この中で二人ほどに会ったことがある。テッド・ラッセル、ティエリ・ギャレー。だが、前者はもうくたばっちまってる」

 彼がこの街に足を踏み入れたのは自分と同時。「つい最近死んだということか?」

「どうにもそうらしい。人づてに聞いた話だがな。まあ、いつ刺されてもおかしくないような男ではあったが。いや、刺されたってのは比喩だがね」

 この通り、とローランがリストを指でこつこつと叩いた。ジャックは身を乗り出し、その部分を声に出さずに読む。テッド・ラッセル。窃盗の元締め、呑み屋、売春婦の斡旋、盗掘──元鉱夫。企業や軍と関連あり?

「まったく、これから本格的に稼ごうって時にいい迷惑だったよ。おかげでとっ捕まって留置場に入れられるはめになっちまった」

 ジャックが慌てて手のひらを前に出す。「ちょっと待ってくれ。君が関与を疑われているというのは殺人事件だったのか?」

「聞いてなかったのか? 昨晩俺を追ってきた警官によれば──大将と別れた次の日かな? 自分のヤサで死体になってたのを発見されたそうだ。で、殺される前の日に会って、何やら親し気に話し込んでたのが、何を隠そうこの俺ってわけだ。ラッセルと、あと一人、なんて名前だったか……そいつを殺したんじゃないかって、その警官は疑ってたね」

「それで乱闘騒ぎにまで発展したというわけか。一応確認しておくが、実際のところはどうなんだ?」

 ジャックが神妙な顔をして聞くと、ローランは辟易した様子で手を振った。

「もし本当に俺の仕業なら、今頃こんなところで飯なんか食っていられないよ。それに関しては警察に散々詰問されて、部屋を間借りしてる食堂の主人にわざわざ証言してもらってる。その時間帯には俺が部屋でいびきをかいてたってことをね。夜半に呼び出されたせいで店の親爺はえらく不機嫌だったがね」

 ジャックは胸をなでおろした。自分の皿を引き寄せ、濾した豆のソースのかかった魚を口に運ぶ。

 それにしても、この縄張り意識が強いだろう街で、その警官も随分と無茶をやったものだ。その人物の独断か、あるいは組織の意向なのか──どちらにしろ、これから先も横槍を入れてこないとも限らない。

 部屋の壁にかけられた写実的な風景画に目を向けながら考え込むジャックにローランが声をかけた。「どうした大将。何か気になることでも?」

「ああ、いや、大したことじゃない。その勇み足の正義漢に話をつけておいた方がいいかと思っただけさ」

「そういう感じでもなかったがな。俺の見立てでは、何か、こう……焦っているというか、駆り立てられているとでもいうのか、そんな雰囲気だった」

「名前は分かるかい?」

「確か……エミール、だとか警官たちが話してたな。どうも有名人らしいぜ? 鼻つまみ者だってことでね」

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