第18話 ジャック 2-2

 頼んでおいたものを受け取りにヘラルド社へ。どこかほっとしたような顔をしたベルトランに外に出ないかと誘われた。昼食がてら、はす向かいの建物の一階にあるバーに足を運んだ。

「肝を冷やしたぞ」

 ベルトランが慣れた様子で注文をして店の奥までジャックを連れていく。立ちで飲み食いする店のようで、椅子は無く、テーブルの高さがちょうど肘の位置にくるようになっていた。

「何がだ?」

「その青痣のできた顔でしらばっくれても無駄だ。そもそも、街に到着する前にも襲われたんだって? そのうえ着いて早々に手荒い歓迎、残すところお前一人ってわけだ。まったく酷い状況だな」

 まるで見てきたようにベルトランが言う。改めて現状が切羽詰っていることを自覚させられてジャックは渋い顔をした。「地獄耳だな」

「昨日も言ったろう。お前さんは注目の的なのさ。まあ、とにかく五体満足なようで何よりだ」

 ベルトランに肩を叩かれる。傷にひびいてジャックは顔をひきつらせた。

 注文した料理がやってくる。燻製肉をパンで挟んだものと、緑と赤が混じった野菜の付け合わせ。噛み千切れずにパンの間からずるりと抜け出た肉をベルトランは摘まんで口の中に押し込んだ。

「とにかく、ここからは慎重にやることだな。こっちはお前さんから貰うはずの報酬に賭けてるんだ」

「分かってる。ちなみにだが、さっきの情報は誰から聞いたんだ?」

「州軍にいる奴だ。毎度のこと真偽の定かならない噂話を高く売りつけようとしてくる糞ったれだよ。今のだって、お前が頷くまで嘘だと思っていたくらいだ。だが、事実なら査察団の人数が少なすぎるのも腑に落ちる」

 ジャックは目を瞬かせた。「軍だと? なぜ軍が知ってる? もしかして、一連の妨害工作に何か関係しているのか?」

「しているかもしれないし、そうじゃないかもしれない。この街は、なんだ、とにかく入り組んでいる。ここは州と州の境目にあって、名目上はそこで大きく対立していることになっているが、実際はそんな単純な問題でもなくてな。様々な組織、団体、またその構成員や資産家といった個人があちらこちらで手を組んだり出し抜いたりを繰り返していて、実際の対立軸を数え上げればきりがない」

 テーブルの下を通してリストが手渡された。ジャックはそれを人目につかないように上着の内に隠し入れる。

「るつぼだな。どうしてそんな事に?」

「理由は色々あるが、一番大きな切っ掛けは戦争が終わったことだろうな。その時点でここに軍隊が駐留する意味が無くなったんだが、相手側に利益が独占されるのを嫌がった二国が駐留させるままにしておいたんだ。知っての通りそこから先は国が州になったせいでごたごたして、軍に割り当てられる予算が減り、それ以前から行われていたこの地での軍隊による自活に拍車がかかった。鉱山の関係各位を巻き込んで経済圏化したわけだな。これじゃいかんとアズール、カルマンの州政府同士が話し合って軍を引き剥がそうとしてるんだが、ここで得られる利益に首までどっぷり浸かった連中が色々と手を尽くして頑なに抵抗している。

 それでもまだ一応は秩序のようなものはあったんだが、半ば騙まし討ちのようなかたちで司令部の連中が政府に召喚されたことが一度だけあってな、頭が消えたことを好機と見た配下の連中が民間人を巻き込んで勝手をやりだして、勢力図が本格的にぐちゃぐちゃになった。おかげで街は荒れ放題、新しい司令官が赴任してきた頃には後の祭りというやつだ。子飼いの兵隊がいないもんで実効力なんぞ無いも同然、懲罰人事なんじゃないかって笑い話にもなった。今じゃ部下からの上納金にやられちまって、すっかり傀儡だよ」

 想像をはるかに超える状況にジャックは呆れるしか出来ない。「なんとまあ。軍隊がそこまで私利私欲に走るとは」

「国へ奉公したところで生活できないんじゃあ無理もないさ。分からなくもないだろう? それに、地方政府が舐められてるっていうのもあるんだろうさ。国同士が連衡して頂点が並び立った時点で威信なんぞ地に落ちたのと同じだからな。ああ、話が逸れたな。お互いに国家を論じる柄でもないだろう。それで、中央政府はどこまでやるつもりなんだ? 本音のところを聞きたい」

「どこまで、というのは?」

「はぐらかすな」

「ここの直轄化を目論んでいる」

 ベルトランが面食らって人の目を気にしだした。テーブルの上に身を乗りだす。「本気か?」

「まったくの余興というわけではなさそうだ。私の見える範囲でだが、かけられた予算はかなりの額になる」

「ここの奴らが黙って受け入れるとは思えん。下手すりゃ内紛になるぞ」

「私には、むしろ逆に思えるね」ジャックは自分の怪我を指差して皮肉げに笑った。「今はまだ嫌がらせをやってみせてこそいるが、利権に絡みついて離れようしないほど欲深い連中が、自分達より強大な相手と本気で戦争をやるだろうか? そんなことをして無駄に金と命を浪費するよりは、恭順を選ぶ気がする。そして、あの手この手で取り入るだろうね。癒着する相手がすげ代わるだけさ」

「つまり、ここは今までどおり何も変わらないってわけだ」

「ああ。正直知ったことではないね。その頃には私はこんなところからとっくにおさらばしているし、もちろん君もそうなる」ジャックはリストを隠した部分を服の上から叩いた。「貰ったものは大切に使わせてもらうよ。話していて突破口も見えてきた」

 ベルトランの話ではこの街はあちこちに亀裂が入っている。こちらがどれほど本腰を入れているかを匂わせ、身の安全と財産の保障をちらつかせれば、秘密や仲間を売るような恥知らずが山ほど出てくるに違いない。

「昨日とは別人のように頼もしいじゃないか。殴られすぎて頭のネジが締まったか?」ベルトランが笑ってビールを飲み干した。「それじゃあ、俺は仕事に戻るよ。何か、他に聞きたいことはあるか?」

「ある。マルセル・バルドーという人物を知っているか?」

 バルドーと呟いて、ベルトランは通りの方へ目を向けた。通行人同士がいがみ合って殴り合いに発展しそうだった。

「ああ、市長の補佐官」

「そうだ。彼の来歴について何か知っているか? それと、さっきの話では軍の影響力が大きいように感じたが、市議にはどの程度の権力がある?」

「市議会だが、少なくともお飾りではないよ。都市の施策や運営の方針を決めているのは彼らだ。まあ州が二つに分かれてるから議席はそれぞれから半々で、意見の対立も多いがね。件のバルドー氏だが、労働者、その組合を背景にした人物で、恐らくは出自によるものだろう」

「と、言うと?」

「彼はもともと鉱夫だったんだよ。確か、流民だったかな。まだ年端もいかないうちに奴隷同然の扱いで連れてこられたと、どこかで目にした覚えがある。その関係から現、元を問わず、鉱山の労働者と関係が深いようだ。悪いが、これ以上詳しい事は分からない」

 彼の生い立ちと、今朝の発言。何となく合点がいったような気がする。

「そこから身を立てたとなると、ひとかどの人物なんだろうな」

「それは間違いない。しかし、どうしてバルドーなんだ?」ベルトランが油断のない目つきになる。

「個人的に接触があった。どう応対したものかと思案していたところだったんだ。すまないが、少し調べてもらってもいいだろうか?」

「引き受けた。他には? こいつは大仕事だ、徹底的にいこうじゃないか」

「ローランという、つい最近ここに来た青年──見た目は少年に見えるかもしれない、その彼について知っているか? 刺青だらけで恐ろしく目立つはずだ。見かけたら私が探していたと伝えてくれるだけでもいい」

 ジャックの差し出した連絡先をつき返してベルトランは笑った。「小耳に挟んだんだが、昨晩、警察と大立ち回りをやった男がいるらしい。まさに、今お前さんが言った通りの外見だったそうだ」

 いかにもな話。ジャックも思わず自分の頭を叩いた。「それで、今はどこに?」

「そりゃあもちろん、留置所なんじゃないか?」

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