第32話 ローラン 4-1
ローラン 4
「やっぱりここにいたな。今回ばかりは助かったがな。しかし、鍵をかけてないのはいくらなんでも無用心じゃないか」
隠れ家のドアを勢いよく開け放って現れたローランに、家主であるカソヴィッツは諦めを遥か彼方に追いやった無表情を向ける。手元を見るに、つい先ほどまで帳簿を眺めて涙ぐましい努力を重ねていたことが窺えた。
「自分で壊しておいてよく言うよ。それより、昨日の商売の話はどうなったんだ? 確か売り払うブツを持ってくる約束になってたはずだよな?」
「いや、今日はそれとはちょっと違う話をしにきた。ジョベールって奴のことなんだが……知ってるよな? 金髪で、歳はあんたと同じくらいだ。一緒の部隊にいたんだって?」
カソヴィッツが眉間に皺を寄せた。「どこでそんな話を……まさか、俺の事を調べたのか?」
ローランは相手の警戒心を解こうとゆっくり壁際まで後ずさって距離をとった。「そうじゃない。あんたをどうこうしようってわけじゃないよ。で、どうなんだ?」
カソヴィッツは熱でも測るように額に手をやって溜息を吐いた。「ああ。知ってるよ。だからなんだ?」
「どんな男だった?」
「どんな、と言われてもな」返答に困った様子でカソヴィッツは頬杖をついて持っていたペンを器用に回す。「普通の奴だったよ。まあ、比較的真面目なほうかな」
「簡単に人を殺せそうな奴だったか?」
突拍子も無い質問にカソヴィッツが目を丸くした。「おいおい、どういう意味だ? そりゃあ、俺たちは兵隊さ。でも好き好んでそんな馬鹿な真似は──」
「奴とは親しいのか?」
カソヴィッツはばつが悪そうに視線を泳がせる。「はっきり言って、個人的なことは何も知らない。ただの仕事仲間ってだけだった」
「困窮していたかどうかは? 例えば、急に羽振りが良くなったなんてことは?」
「その、金目当てに薄汚い仕事に手を染めていたかって?」カソヴィッツは腕を組んで俯いた。「そうだな、貧乏はしていなかったように思う。どっちかって言うと、俺の方がよく奢ってもらったよ。親の残した借金があって──」
下らない不幸自慢をローランが遮る。「もともと金を持っていた? それとも、何か稼げるあてがあった?」
「だから、個人的な事情に踏み込むほどの仲じゃなかったって。ただ、何かしら別の仕事をやっているふうではあったかな。前にも言ったかもしれないが、そういうやつは珍しくない。しかし、どうして急にやつの事を?」
「さあ? 何故だろうな? まあ、なりゆきかな。つまり、これこそが人生ってやつだ」
ローランは、エミールとの別れ際のやり取りを思い返していた。
バルドーの名前が出たあと、エミールは息巻いて指示を飛ばした。「ラッセルとバルドーの繋がりを追う。鉱山の管理事務局と、採掘を委託されている業者に行って、人員の名簿を全部調べてくるつもりだ。奴らの経歴を考えれば、この二人の名前が同時期に見つかるかもしれない。お前はここで見張ってろ」
「バルドーとジョベールはどっちを優先する? わざわざ人目をはばかるように待ち合わせをしたんだ、このまま仲良く腕組んで出てくるとは思えないね」
ローランがあっさり承諾すると、エミールは意表をつかれたように目を瞬かせた。
「……正直なところ判断がつかない。だから、追いやすい方を追え。バルドーなら連邦の標的として考えても申し分ない。こいつは──」
ローランは蝿を追い払うように手を振った。「そういうおためごかしは結構。あんたが頭のてっぺんからつま先までいかれちまってるなんてのは見りゃ分かるさ。事情なんぞ知らんがね」
誰も彼もが自分の焼け付いた部分をなんとかしようとのたうち回っている。自分とて例外ではない。恐らくはジャックもそうなのだろう。
「だったら、なんで俺の頼みを引き受ける?」
「昨日の借りがあるからさ」
結局、張り込みは空振りだった。家に裏口があったことに気付いたのはいつまで経っても誰も出てこないのを不審に思って場所を変えてからであり、慌てて家に近づいて様子を窺ってみれば、すでにそこはもぬけの殻だった。
とんでもない間抜けをやらかした──さてどうするかと悩んだ末、ジョベールと顔を合わせた経緯を思い返したとき、ローランがまず思い浮かべたのはカソヴィッツのことだった。だが、今の話を聞いた限りでは手がかりが薄い。こうなったら直接問いただした方が手っ取り早そうだった。
「なあ、ジョベールの居所や顔を出しそうなところを知らないか?」
「さあね。知らないよ」
「じゃあ、金を払うから渡りをつけてくれ。同じ軍にいるんだろ? だったら──」
「それも無理だね。あいつ、もう州軍を辞めちまってるからな」
公費からいくらか渡そうと懐に手を突っ込もうとして──ローランは固まった。「なに?」
「うん? 知らなかったのか? 確か……半年くらい前かな。唐突に除隊届けを出して、あっさり宿舎から消えたよ」
「どういうことだ? 俺はたった数日前に軍服を着て夜間に巡回してるジョベールの姿をこの目で見たぞ?」
無意識のうちに気色ばんだローランの迫力に気圧されてカソヴィッツは後ずさった。
「いや、知らないよ。凄むのは止めてくれ。こんなことであんたに嘘を言う必要があるか?」 カソヴィッツは本気でうろたえている。誰かを庇いだてしている態度ではない。だったらジョベールは何のために巡回の姿を装ったのか。何故あの時、あの場所にいたのか。エミールの予感は恐らく間違ってはいないだろうとローランは考えた。
「奴は今なにをやってる?」
「ギャレーの店で働いてるよ。それで、俺は顔馴染みだっていう理由で金を貸してもらえたし、金になりそうな相手の名簿も格安で譲ってもらったんだ」
ギャレー。ティエリ・ギャレー。カソヴィッツが金を借りて返済が滞っている金貸し。ちょくちょくと色々な場面で耳にする。思えば、奴に金を回収してこいと言われたのがこいつと面識を持った切欠だった。
「なるほど、つまり、ギャレーは州軍の兵士を相手に副業の手配師のような真似をしてるってわけだな? で、その筋じゃあ有名だと。それであんたは奴から仕事を斡旋してもらうんじゃ満足できず、顧客と直接やり取りしようと助平根性を出したってわけだ」
カソヴィッツが唇を尖らせる。「右から左に流してるだけのくせして、奴は仲介料の名目で半分以上も持っていくんだ、やってられるわけがない」
強欲で、間抜けなカソヴィッツ。あの手合いが金のなる木をみすみす他人に渡すはずがない。恐らくこいつの買った名簿には奴から見れば論外の客ばかりが名前を連ねているに違いない。
ギャレー──軍人相手にあこぎな商売をしている金貸しは言っていた。最近は立て込んでいる。急に人手が減った。そして、そのことから不自然に話を逸らそうとしていた。
ローランは腹を抱えて笑いたい気分だった。まさか、自分がその人手不足の原因だったとは。
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