第4話 ローラン 1-1

 ローラン 1


 あの街は金になる。

 それはどこで耳にした話だったか。海の向こうで傭兵をしていたときか。それとも、先日まで用心棒をしていた酒場で酔客が吹いていたのだったか。ローランは水筒の中身を口に含みながら、暑さでゆだる頭で益体もないことを考えた。

 口の端からこぼれる水を腕でぬぐい、日差しから逃れるために入った巨大な岩の陰から地平線の向こうまで広がる荒土を眺める。

 乾いてひび割れた大地。ごつごつと露出した岩肌。前から後から襲いかかる砂塵。雲ひとつない青空は陽炎で揺らめいている。旅費をけちって徒歩にしたのは愚かな選択だった。

 地図を広げて方位磁針を片手に現在地点を確認する。目的地までそう距離はない。それに、今さら引き返すこともできない。

 砂嵐をやり過ごしたローランは膝に手をついてのろのろと立ち上がった。全身をすっぽりと包む薄手の外套の上から、鞘に収められた長剣と型落ちのライフルを革帯で肩にかける。

 旅の荷物を引きずるようにして歩く。顎をつたって落ちた汗が地面に吸い込まれて染みをつくる。

 真上から刺すように降り注ぐ陽光が容赦なく体力を奪っていくが、それでも今は先を急ぐべきだった。この荒野で野営をするのは避けなければならない。ここら一帯の治安の劣悪さは有名であり、最寄の宿場町で行先を告げたときには何度も親身な忠告を受けたほどだった。

 何しろ警察組織や州軍の一部が犯罪に関与しているとの噂が囁かれているほどだ。

 根も葉もない噂かもしれない。だが、もしそれが本当だとしたら、金と混乱が渦巻いているに違いない。あわよくばそれにあやかれるかもしれない──そう考えると自然と足に力がこもる。

 不意にローランのにやけ顔が引き締まった。歩みを止めて肩越しに背後を振り返る。

 吹き抜ける風に混じって、強く大地を踏みしめる音。フードを脱いで目を凝らす。

 遥か彼方に見えたのは小さな黒い点。それがだんだんと大きくなっている。

 こちらに近づいてきているのは二頭引きの馬車だった。急いでいるのかやけに荒っぽい操縦で、車体が上下に跳ね、背後には高く砂埃が巻き上がっている。

 駄目で元々だとローランは両手を掲げて大きく振った。物好きかお人好しならば一人分の同乗くらいは許してくれるに違いない。

 馬車は速度を落とすどころかさらに加速した。止まる気配など一切見られない。馬を潰しても構わないといった勢いで鼻先を通り抜けていく。

 ローランは外套の前を引き寄せて砂埃から身を守った。フードの裏で舌打ちをして、馬車の影を恨みがましい視線で追う。

 真新しい塗装。頑丈そうな屋根。木の葉を思わせる凝った意匠の装飾金具。乗り合いの、少なくとも片道いくらといった風情ではない。

 長い溜息を吐いて荷物を引き上げた。再び動かし始めた足は心なしか先ほどより重く感じられた。

 どこぞのお大尽を乗せた馬車の影はもうすでに豆粒ほどの大きさになっている。もうすぐ視界から消え去ろうとしていた。

 そのときだった。突如鳴り響く銃声。空気を破裂させたような音が連続する。馬がいななき、車体が大きく揺れて倒れ、地面の上を跳ねながら滑る。

 喚声。横倒れになった馬車のすぐ近くにそびえ立っていた岩陰──そこから、布で顔を隠した連中がわらわらと姿を現した。

 野盗。盗賊。追い剥ぎ──そのうちのひとりが高く手を掲げる。連中は手に持っていた銃を思い思いの姿勢で構えて合図を待つ。

 振り下ろされる手。ひっくり返った馬車の底に向けての無数のライフルによる一斉射。

 倒れて下になった馬車のカゴのドアを開けて、中から数人が這い出てきた。匍匐前進でなんとか車体の陰に隠れると、顔と銃口を突き出して盗賊どもに散発的な反撃を試みる。

 その後も無事だった数人がカゴから脱出して戦線に加わるが、馬車側の形勢が不利であることは一目瞭然だった。不意打ちを食らった上に数で圧倒的に負けている。はっきりとは分からないが、恐らく三倍は堅いだろうとローランは見積もった。

 猛攻に耐え切れず、馬車側の一人の頭が果物のように弾ける。僅かに見えた血煙の色で我に返ったローランは走りだした。幸先のよさに思わず舌なめずりする。

 ローランは肩ひもで担いでいた銃を前に回す。射程距離に入ったところで一旦足を止めて発射準備にとりかかった。遊底を開いて手早く弾薬を装填。弾を銃口から放り込んでハンマーを上げ、膝立ちの姿勢で狙いをつける。

 奴らの発砲音に紛れて引き金をひく。発射──命中。血飛沫を上げて盗賊の一人が倒れる。奴らは正面の戦闘に夢中で砂埃に紛れたローランに気付かない。

 ローランは身を屈めて走りながら銃身の掃除をし、次の弾を準備する。馬車の乗員がまた一人体を撃ち抜かれてぐったりと倒れた。

 目減りしているのは結構だが、全滅前に何とかしなくてはならない。小岩の陰から二発目を撃ってから急いで再装填し、ライフルの先端に銃剣を装着した。

 長剣を抜き、両手に武器を構えて突貫する。

 馬車側の人間を相手取っているせいで賊の連中は無防備な背中を晒している。ローランは走りざまに一人斬り捨て、その隣の男の喉もとに銃剣を押しこんだ。

 男がごぼごぼと血を吐いて咳き込む。口元を覆った藍色の布がどす黒く変色する。

 自分たちの背後で何かが起こったことに気付いた賊どもが一斉にローランの方を振り返った。その視線に敵意が混じる前に、ローランは先んじて最後の一発を発砲する。

 立ち込める硝煙。そこに加わる砂埃を利用してローランは素早く引き下がる。

 賊どもの罵声。遊底を操作する金属音。同士討ちになることを懸念してか、発砲するなとの怒声が飛び交う。

 初めに賊どもが隠れていた大きな岩場を周回するように逃げる。角を曲がったところで待ち伏せ、怒りに任せて追ってきた間抜けに長剣を大上段から降り下ろす。頭を割られた男の死体を掴み、盾にして突進。銃剣を下から抉り込むよう突き出して二人目を殺し、相手がたじろいでいる間に武器を引き抜いて素早く後ろに下がる。

 遠くでライフルの発砲音が鳴った。いち早く異変に気付いた馬車側の連中が体勢を立て直して反撃に出ていた。

「どうする? これ以上は割りに合わないんじゃないか? 俺はどっちでもいいがね」

 ローランは睨み合っていた三人目の男に聞いた。布に覆われた口元が忌々しげに歪んでいる。

 男は布の下に手をやり、空に向けて口笛を吹いた。撤退の合図。男は怨嗟の呟きを残して砂塵の中へと姿を消す。

 風が収まり、視界が晴れる。足元に転がる死体以外に賊の姿は見当たらなかった。ローランはそこでようやく構えを解き、武器を納めて横転した馬車に足を向ける。道すがら見かけた死体をまさぐって金目の物を懐に入れる。

 両手を上げて敵意がないことを示しながら馬車を迂回し、裏に隠れていた男たちの方に顔を出す。

 死体が五つ。残っていたのはたったの三人だけだった。

「よう、無事かい? 連中は姿を消したぜ」

 三人のうち一番痩せた男が両手でライフルをかき抱いたままよろよろと立ち上がった。「君が助けてくれたのか?」

「まあ、そういうことになるな」

 痩せた男は力ない笑顔で礼を言った。砂埃が薄れてきたおかげで目に入ったローランの顔を見て若いなと驚いたような呟きを漏らし、それから青ざめた顔を嫌悪感で歪ませた。

 顔、首下、腕、露出したローランの肌は刺青で埋め尽くされている。己が無頼漢であるという証明。無法者であるという主張。

 初心な反応にローランはほくそ笑む。「ローランだ。よろしくな。あんたがたも鉱山都市へ?」

「ジャック・メルヴィルだ」ジャックと名乗った優男は不快感を恩義で上塗りするだけの節度は持ち合わせていた。真面目くさった顔で生き残った連れの二人を指し示す。「彼らはシドと、モーティ。お察しの通り、そこへ向かっている最中だった。ここから先となると、めぼしいものはあそこしかないが」

「何の用があって? 一攫千金を狙って、なんて風には見えないが」

 ジャックがローランを観察しながら思案する。不躾にならないように気を使っているのがありありと分かった。随分お上品な野郎だと思わず口から出そうになる。

 頭の中で線引きを終えたジャックが口を開いた。「窮地を救ってもらいながら非常に申し訳ないんだが──」

 ローランは手を振って続きを遮る。「気にするなって。で、こいつらはどうする?」

 そこらに転がる彼らの仲間と思わしき死体を見回す。ジャックは溜息をついて首を振った。

「せめて遺品くらいは持って行きたい」

「だったら早くした方がいい。さっきの連中が仲間を引きつれて戻ってこないとも限らないからな」

 ジャックたちが慌てて仲間の死体から身分証らしきものと貴金属を集めるあいだ、ローランは横たわって息を荒げる馬に近づいた。銃創が二つ。それと、右の後ろ足が折れている。ローランは剣を抜き、馬の頭を頭をひとつ撫でてから首を断ち切った。

「その馬には悪いことをした。まさか、いきなり野盗に襲われるはめになるとは思いもしなかった」

 ジャックが倒れた馬車の中から荷物を引っ張り出しながら不幸な事故に遭ったという口ぶりで言った。ローランはその台詞に引っかかるものを感じる。

 本当に奴らは野盗だったのか?

 連中の手際を思い出す。手振りによる合図と、それを受けての一斉射。口笛で行動を指示し、上意下達で行われた見事な撤退。

 自分が知っている盗賊というのは、いかに仲間内で威張り散らせるか、いかに他の連中を出し抜いて上前をはねることができるかを考えるような奴らで、もっとまとまりに欠けた連中のことを言う。それがどうしたことか一糸乱れぬ団体行動をとってみせた。まるで何か訓練を受けたような──

「ひとつ聞いてもいいか?」移動する準備を終えたジャックが言った。

「うん? 何だ?」

「どうして助けてくれたんだ? 奴らは大勢いた。いや、君がああいったことに手慣れているのは見ていて分かったが、それでも確実に勝てる保証はなかっただろう?」

 ローランは頭の中の余計な考えを振り払って満面の笑みを浮かべた。「そう、肝心なのはそれだ、大将」

「大将? 私のことか?」ジャックが目を丸くする。

「俺は──何ていうのかな? そう、義憤? それに駆られたわけだ。他人を襲って金品を強奪しようなんて不届きな連中に怒りを覚えたのさ。そういうものを得るには、やはり対価が必要だ。そうは思わないか?」

「ああ……まあ、そうだな」

 ジャックがたじろぎながら同意を示し、四角い革張りの鞄の前に跪く。ローランには中が見えないように開いて入っていた物を一掴みする。じゃらじゃらという蠱惑的な旋律──金の音。

「これで足りるだろうか?」

 ローランは手渡された金貨を指でこすり合わせて笑う。「十分さ。そうそう、余計なお世話かもしれないが、随分と頭数が減っちまったんじゃないか? なんなら──」

「申し出はありがたく受け取っておくよ。命を救ってくれたことにも礼を言う。だが、忠誠の置き所など皆目検討もつかない人物に背中を預ける事はできない」

 まったくもって正しい──ローランは大口を開けて笑った。

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