第21話 エミール 3-2

 エミールは人目につかない裏通りを使い、近場にある簡易宿泊所の集まる地域へ二人を連れて向かった。何度か手入れを行ったことのある建物の軒先をくぐると、エミールの顔を見た接客係が血相を変えて奥へと消えた。やがて宿の主人がへつらいと煩わしさが半々といった顔で飛んでくる。

「今日はなにもやってませんが」

「だから来たんだよ。奥を使うぞ」

 相手の許可を待たずにエミールは階段を上がった。後ろの二人が主人に一応の謝辞を述べてついてくる。

「ここは?」ジャックが部屋を見渡した。

「この辺りは日雇い労働者用の宿になっていて、そいつらを標的にしてあちこちでひっそりと賭場が開かれている。この部屋はそのために使われてるうちの一つで、他より壁が分厚くなっている」

「外に音が漏れないように? ところが警察はそれを把握しているというわけだ」

「ああ」実際に手入れを行う日取りは宿側と申し合わせたうえで決められるという余分な説明を省いた。

 刺青男が部屋の窓から外に目を向け、何かを嗅ぎつけたように鋭く笑った。そこからは隣の建物の屋根が見えている。「で、有事の際はここから逃げる、と。捕まるのは賄賂を怠った間抜けな胴元か?」

 エミールは刺青男を睨みつけた。「それで、いったいどういう用なんだ?」

「改めて自己紹介させてもらう。私の名前はジャック・メルヴィル。今は一応、査察官という立場でここにいる」

「あんたが」エミールは目をしばたたかせた。「噂になってるよ」

「そうらしいね。それで、こっちがローラン」

「よろしく」

 刺青男が握手を求めて伸ばした手をエミールは無視した。「エミール・モースだ。前置きはいい、さっさと本題に入ってくれ」

「そうしよう」ジャックが壁の具合を確かめるように拳骨で小突いた。「殺人の容疑で彼のことを疑っていると聞いたが、今でもそうなのか? 向こう側の警察によれば、被害者が殺された時間帯に、彼は別の場所にいたことが確認されているそうだが」

 エミールは目の前の二人を改めて観察した。官吏とごろつきというちぐはぐな取り合わせ。「まったく残念だが、もう犯人だとは思っちゃいない。だが、手がかりになるとは考えてる」

 ローランが肩をすくめた。「そうは言うが、殺人事件だったか? 俺には何がなんだかさっぱり分からん」

「そいつを判断するのは俺だ。お前がここ数日でやっていたことを洗いざらい話してもらおうか」

 詰め寄ろうとするエミールの前にジャックが割って入った。

「落ち着け。昨日と同じ過ちを繰り返すつもりか? しかし、君の方も立場上退くことができないのは理解できる。そこで、こういうのはどうだろうか。こちらは彼に全てを証言させる。その代わり、この件について彼が直接関わっていないことが分かれば、警察、ひいては君個人も、これ以上彼を追及しない。どうだ? 当然だが、この場での返答が難しければ持ち帰って上司に相談してもらっても構わない。君の頭越しに話を通してもよかったのだが、そうすると君は余計に暴走する類の男だと感じたのでね。こうして直接会いに来た部分を酌んでほしい」

「中央政府の職員が何故そいつのようなごろつきに肩入れする?」エミールが率直な疑問を口にする。

「それは君が気にするようなことではないよ」

 ジャックが身構えるように腕を組んだ。腹のうちが読まれることを無意識のうちに防ごうとしたようにも見えた。

 お互いに押し黙って突破口を探り合う。

 知ってか知らずか、ジャックは痛いところをついてきている。事件に関わるなと言われた直後に相談になどいけるはずがない。いったい自分は何をどうしたいのか──それは決まっている。犯人を探し出して報いを受けさせること。それ以外に無い。だが、それにはこの街で好きに振舞うための後ろ盾が要る。今までその役割を担っていた警察組織はもはや頼れない。

 口火を切ったのはエミールだった。「仕事上の取り引きだってことは推測できる。査察官、あんたがこの都市にやってきた理由を考えればな」

「想像する分には、もちろん君の自由だとも」

 エミールは首を横に振った。「いや、勘違いしないでくれ。俺が言いたいのは、そいつなんかよりも、もっとこの街の事情に通じて役に立つ奴がいるんじゃないのかって話だ」

 ジャックの目が興味の光を帯びたのをエミールは見逃さなかった。根が素直なのか、それとも演技で誘っている食わせ者なのか──五分五分といったところ。頭の中でコインを弾き、エミールは腹を割ることに決めた。

「わざわざ出向いてもらっておいて申し訳ないが、俺はこの事件にはもう関わらないようにきつく言われてるのさ。だが、あんたの見立ては正しい。個人的に、この事件は何としても俺の手で解決したい」

「それで?」

「恐らく、そっちの必要とするものを提供できる。しばらく手足になって働いてもいい。だから、あんたの権限の及ぶ範囲で俺にお墨付きをくれ。この事件を俺の裁量で自由に捜査できるっていうな」

「随分突飛な申し出だ」

 ジャックが拳を口元に当てて遠くを眺めた。もう一押しといった反応。

「他に何を差し出せばあんたは納得できる?」

「ありていに言って、君を信用していいかどうかを迷っている」

 エミールは制服の胸元から徽章を取り外し、指で弾いてジャックに向けて飛ばした。

「そいつをあんたに預ける」

「これは?」

「ここでの警官の証明だ。失くしたのがばれたら、まあ、大目玉どころの話じゃないだろうな。最悪は免職になるかもしれない」

 真贋を確かめるようにジャックが色々と角度を変えて徽章を眺め回した。「その、君の追っている殺人事件か? それに対してここまでする理由を聞いても?」

 エミールは首を振った。口が裂けても言うつもりは無い。「こいつは俺の問題だ。容喙してほしくはないね」

「つまり……生き様の話というわけだな?」

 いいだろう、とジャックは受け取った徽章を恭しい動作で懐に入れた。興味深そうにやり取りを眺めていたローランに目配せをする。

「それじゃあ、大将から許可も出たことだし話してやるよ。準備はいいかい、お巡りさん?」

 エミールは手帳と鉛筆を手早く取り出した。「さっさと言え」

「まあ、もったいぶってはみたが、実のところ喋れる事はそう多くない。何しろこの街にやってきたのはたった数日前なんだからな。そこの大将と偶然に都市の付近で同道して、いったんは街に入ったところで別れた」

「それから?」

「俺は、なんというか……そうだな、事件屋のようなものをやっていてな。ここでもそうやって稼ぐつもりだった。取っ掛かりを探してうろついているうちに見つけたのが件のテッド・ラッセルってわけだ」

「二人で飲んでたんだってな?」

「まあ、ほとんど奴の愚痴を聞いてるだけだったがね。それから仕事の話になって──ああ、ここだけの話にしてくれるんだよな?」

「ああ。続きを」

「夜に盗掘に向かった」

 初耳だったのか、ジャックがわずかに狼狽したような気配を漏らした。

「鉱山に入ったのか?」

「いや。外の土砂置き場か? そこに隠されていた宝石の原石を掘り返しただけだ。確か、鉱夫と手を組んでやってるってことだったよ」

 坑道で採取した原石を作業中の人足がくすね、伝手を持つ悪党が買い取って市場に流す。噂程度には聞いたことがある手口だ。

「それから?」

「実は、そこで待ち構えていた連中に襲われた。どうもラッセルは初めからそのつもりだったらしい」

「してやられたわけじゃないよな?」

 ローランは笑った。「返り討ちにしたよ。で、どうにも妙だと思って問いただしてみたんだが、口を割ろうとしなかった。仕方ないんで貸しってことにしてその場は別れたがね」

 エミールは顔を上げた。「妙っていうのは?」

「わざわざあんなところに連れ込んでやる意味が分からない。袖にする気なら、そもそも仕事の話しなんぞ持ちかけなけりゃいいんだからな」

「お前があんまりにもしつこかったんじゃないか?」

「そんなことはないさ。それで、次の日ラッセルに頼まれていたお遣いやら何やらをやってたら、あんたが現れたってわけだ」

「お遣い? 何だそれは?」

「盗み出した原石を研磨職人に渡しただけだよ。それ以外だと、まあ、他に仕事はないかと街をぶらついてたくらいだ。以上だが、何か参考になったかい?」

 エミールは音を立てて手帳を閉じた。

「それに関してはこれからはっきりする」

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