第14話 ローラン 2-1

 ローラン 2


 朝早くに起床したローランは寝ぼけた目で窓から外の景色を見下ろす。深く立ち込めた濃い朝靄のなかを、夜番の連中が疲れた顔をして行き交っている。思わず笑みがこぼれた。まるであの世の光景。

 荷物から商売道具を引っ張りだす。年代物のライフル──分解して汚れを落とす。砂、火薬の燃え滓、鉄片を削り落として油をしみこませた布で拭き、手早く組み立てる。立って構え、照星に違和感がないかを確認。銃剣、それから腰に下げる剣を鞘から抜いて、こちらも念入りに手入れを行った──教えられた通りに。これらを譲り受けてから一日たりとも欠かした事がない。


 ローランには故郷というものが無い。親の顔など知りもしない。それどころか自分の名前すらなかった。物心がついたときには既に安宿の下働きとしてこき使われていて、経営の不振から人買いに売られて以降は、各地を転々としていたせいで一つところに留まったこともなかった。

 最後に彼の身柄を買い取ったのは、とある傭兵家業を営むごろつきの集団だった。仕事は詰め所や移動先での掃除、洗濯、買い物、荷運びといった雑用。

 待遇はそれまでと変わらない。それについて何か思うようなことはなかった。生まれてこのかたそういった扱い以外を受けたことなど無かったため疑問の抱きようもなかった。

 だが、一人の男が意図せずローランに選択肢を与えることになった。

 それは野卑と無骨をこね合わせて人間の形にしたような人間だった。蓬髪、無造作に伸ばされた髭、筋骨隆々の体躯。その男は仕事中に負った酷い怪我のせいで意識不明の重態で、ローランはその世話を任された。

 仲間内で賭けがなされた。その男が生きるか死ぬか──倍率は2対8。手を抜いて世話をしろとなんども冗談めかして言われた。

 ローランはただ与えられた仕事を黙々とこなした。汗を拭き、汚物を処理し、包帯を替え、怪我の熱と恥辱と屈辱で何度も殺してくれと懇願する男に食事を食べさせた。

 ごろつきどもの期待は裏切られた。何度かの峠を越えたのち、男は快復に向かい始めた。その頃には死にたいなどとは言わなくなっていた。

 およそ一年をかけて動けるようになり、すっかり体の細くなってしまった男が言った。お前の身柄の代金は俺が支払っておいた。

 ローランは訊いた。どうして?

 男は言った。俺のような人間にも流儀がある。いや、俺のような人間だからこそ、か。受けたものに報いる。採算を合わせるってやつだ。

 ローランは答えた。よく分からない。

 男は肩をすくめた。分かる必要はない。出て行くのなら好きにしろ。

 ローランは俯いた。どうすればいいか分からない。

 男は笑った。だったら、稼ぎ方を教えてやる。男は自分の部屋の隅にあった、長いこと使われていない荷箱から銃を取り出した。世間様からつま弾きにされるかもしれんが、まっ、何も知らんよりはマシだろう。

 名前はそのとき一緒に貰った。どういう由来があるのかは聞かなかった。男も死ぬまでそれを口にすることはなかった。


 ローランは軽い朝食を腹に入れ、宿代わりの軽食堂を出て街へ繰り出した。向かった先は職人街──奥まった位置にある、作業場と家とが一緒くたになったような掘っ立て小屋。とうにガタが来ているとしか思えない引き戸に手をかける。開けきるまでに三度もくつずりに引っかかった。

「よう、いるかい?」

 床に座って汚れた布で工具を拭いていたのは建物と同様に年季の入った男だった。自分の城に居るというのにどこか怯えた顔でローランの姿をまじまじと眺めている。

 その反応だけで大体の事情を察した──腐るほど見てきた手合い。

「誰だ? 見たことのない小僧だな」酒で焼けてがらがらになった声。

「ラッセルの代理だよ」ローランは男の目の前に袋から取り出したエメラルドの原石を置いた。「こいつを磨いてくれないか。こういうことを専門に請け負ってるって聞いてるぜ。腕がいいんだってな? それに、口が堅い」

「代理だと?」

「本当さ。何か用事があるとかで、来れないと言ってたよ」

 たちまち疑わしい顔つきになった老人は石を拾い上げてつき返してくる。

「本人を呼んでこい。そうじゃなきゃ、仕事はせん」

 ローランは微かに酒の臭いのする男の肩に手を当て、上から押さえつけるように無理やりその場に座らせた。懐から四つ折りの紙を取り出す。

「そう邪見にするなって。こいつはあんたの借金の証文なんだが、こういうのを持ってる相手には便宜を図っておいた方が利口ってもんじゃないか?」

 男が目の色を変えて鼻先に突き付けられた紙を奪い取った。両端を掴み、癇癪を起したように何度も何度も引き千切る。ローランは腹を抱えて笑った。

「ちゃんと中身を確かめてからやった方がいいな。そいつは来る途中で拾った単なるチラシさ」

 見る見るうちに顔が赤くなっていく男が破った紙の切れ端を拾い上げて書かれた文字を読む。連れ込み宿の宣伝。わなわなと震えだした。

 男が爆発する前にローランは肩に手を回した。「まあ落ち着けって。鎌をかけたのは悪かったよ。あからさまに取り立てに怯えてる風だったんで、つい、ね。借金のカタに悪事の片棒を担がされてるってわけだな? 酒か? 博打か? それとも女か?」

 男は顔を覆って力なくうなだれ、全部だと呟いた。ローランがお盛んだなと口笛を吹く。

 随分とだらしない男だ。そこをうまくラッセルにつけ込まれたに違いない。もしかすると、二進も三進もいかなくなるようにラッセルに嵌め込まれた可能性すらある。

「借金はラッセルに? それとも別の誰か?」

 男がためらいがちに口を開いた。「その……借りてるのはティエリ・ギャレーっていう金貸しからで、ラッセルには毎月の返済の期日前に仕事を回してもらってる」

「次の期日は?」

「実はとっくに過ぎてて──なあ、ラッセルはどうしたんだ? いつもならもっと早く……ほんとにまずいんだ」

 奴とは今夜また会う約束を取り付けていた。それまでにやっておくことがあるとのことで、ローランはこの用事を任されていた。

「さっき言った通りだよ。今日はここに来られない。いつもはどういう段取りで金を貰ってるんだ?」

 言っていいものかどうかを迷って男が目を泳がせる。「磨いた石が金になりそうだったら、幾らか包んでもらってる」

「つまり、後払いってことか。確かに、値打ち物かどうかなんて今のままじゃ分からんからな。ちなみに聞いておきたいんだが、盗掘した原石を扱うとやっぱりお咎めがあるのか?」

「ばれたら首吊りだ」まるで今も物陰から見張られているとでもいうように男が自室をおろおろと見回す。「なあ、ほんとに──」

「助けてやりたいのはやまやまだが生憎と懐が寂しくてね」

 試しにどれくらいの借金なのかを聞いてみてローランは苦笑した。手持ちを全て融通したところで焼け石に水だった。

「だがまあ、折角こうやって知り合えたんだ、少し気張ってみようじゃないか。あんたが金を借りてる相手、ギャレーだったか? そいつの住所を教えてくれよ」

「市庁舎がある通りに面した場所で店を構えている高利貸しで、貸金庫屋もやってる。気張るって、何をだ?」

「これから行って、期日を延ばしてもらうようにかけあってくるよ。上手くいったらあんたはあんたの仕事に専念すること。いいな?」

「そりゃ、願ったり叶ったりだが、できるのか? 奴は何人もの取り立て屋と用心棒を雇ってるぞ」

「さあな。せいぜい朗報を期待しててくれ」

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