第31話

 契約を交わして既に一月が過ぎた。

 楽しい時間は過ぎるのが早い事を、健は思い出させてくれた。



 私は、悩むことを止めた。


 全力で日々を生きればそれでいい。

 そう思うようになっていた。 




 この病院の屋上は患者さんにも解放されている。その事を知る人はあまりいないのだろう。

 ベンチに座る私たちの他に人影は見当たらない。

 目的もなく私たちはベンチに腰掛けまどろんでいた。



「ねぇ」

 私の声が澄んだ青空へ響く。

 本日は気持ちのよい快晴だ。

「なに?」

 隣の健はチラリとこちらに目をやり答えた。

「キスしたい」

「え? なにさ、いきなり」

「キスして欲しい」

「したいの? されたいの? どっちなの?」

「どっちもかな」

 淡々と流れていた会話が停滞する。

 数秒の静寂。


「しかたないからどっちかだけ叶えてあげるよ」

 再び数秒の静寂が訪れる。


 えっと……叶えてくれるの?

 マジか!?


「え!? ホントに!?」

「なに驚いてんの? 君が言ったんじゃん」

 いや、そうだけどさ……


「えーどっちにしようかなー」

「どっちも一緒だと思うけどなー」

「違うよ! 全然違うじゃん!」

「落ち着いてよ、僕が悪かったからほら座って座って」

 いつの間にやら無意識に私はベンチから立ち上がっていた。

「ごめんごめん。でもやっぱ違うよー。わかんないかなー」

「僕にはよくわからないや。で、どっちにする?」

 なんでこんな余裕なんだコノヤロー。


 どっちだ!? どっちにするべきなんだ!?

 誰か! 誰か教えて!



 でもやっぱり……

「されたい……かな……」

「承りました」

 なんて事務的!

 健は座ったまま私の方に向き直ると私の肩に手をかけた。

 躊躇いなしか!

「じゃあ、目を閉じて」

 いよいよ私の唇は奪われてしまう。大好きな人に。

 自然と肩に力が入る。緊張が伝わってしまうかもしれない。

 少しだけ上を向き私はその時を待った。



 柔らかな感触が、頬に……え? 頬?


「はい。終わったよ」

「ちょっと健さん? 今のほっぺだったよね? 練習ってこと? 次が本番なんだよね?」

「なに言ってんの? どこだってキスはキスだよ? それに本日の業務は終了しておりますので本件に関してはまた後日お聞きします」

「まだ15時なんですけど? どんだけホワイトな企業なのよ! 私も入れてよ!」

「現在新入社員の募集はしておりません」

 このしゃべり方なんだかムカつくなぁ。

「もーこんなことなら私がすれば良かった!」 


 はいはいと私はいなされるばかりで、1人でギャーギャー騒いでみる。


 実際は、ほっぺでも凄く嬉しくてニヤケを堪えるのに必死なのだ。


 今日はいい夢が見れそうだぜ。ぐふふ。

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