第29話

 泥沼もはまってみると案外いいものなのかもしれない。

 私たちは底無し沼を優雅に遊泳するが如く日々を過ごした。



 なんでもない1日も大切な思い出として私の中に蓄積していく。

 あとどれくらい思い出を作れるのだろうか。



 今までは、先の事を考えるのが怖くて目を背けていた。

 だけど今は、今が楽しすぎてこの幸せがあとどれくらい続くのかと私は目を凝らして未来を見据える。そこにはもう恐怖はそれほどなかった。

 恐怖よりも健と離れることへの悔しさ、やるせなさが私のなかに広がっていった。

 不条理ってやつなのかな。

 それを言い出すと私が病気になったこと自体を「なんでよ!」ってずっと思ってたんだけどね。

 思ってたけど、恨んでたけど、今はそんなに神様のこと、嫌いじゃないかな。


 

 人生の良し悪しは長さでもなければ太さでもなければ、あげてきた功績ややらかした失敗で決まるものではないと思う。

 私たちに感情があるのは、それを豊かにし、育んできた心にその良し悪しを問うためなのだと、私は思う。

 そしてその問いは、最期の瞬間に出題される。


 単純な問いだ。

【どうだった?】

 その問いに大声で答えればいい。


 思わぬ事故で亡くなれば、【最悪】だろうか?


 家族を持って、寿命を全うすれば【最高】だろうか?



 幼くして不治の病にかかり、二十歳手前で命絶えれば【不幸】だろうか?



 否!


 

 私は、死ぬときに幸せだと思いたいと考えていた。だけどそれも少し違ったようだ。


 大切な誰かを見つけることができるかで、人生は大きく変わる。


 現に私は今、命絶えたとしても【幸せだったぞバカ野郎!】と神様に叫ぶだろう。




 恨んでいた病気のおかげで今がある。



 私は健と出会うために生まれてきたのかもしれない。

 そう考えると、私の人生はとてもドラマチックに思えた。

 

 しかしその喜びを伝えることはもうできない。いや、可能ではある。

 だけどそこには、どうしたって先日交わした契約がちらつくのだ。


 私たちの関係は『契約に基づいたもの』である。




 なぜ、私は逃げてしまったのかを考えてみた。

 好きという気持ちとフラれたくないという不安を天秤にかけると前者をかかげたのだ。


 天秤は病気の進行と共に狂い始めていた。

 一人になりたくないという思いが、判断を鈍らせ、重要な選択を間違えた。


 仮定の話をしてもなんの意味もないのに考えずにはいられない。

 もしあの日、告白していたら……


 きっと、この後悔は死ぬまで付きまとうのだろう。


 ふとした瞬間に、寝る前のベッドの中で、二人で楽しく過ごしている時ですら考えてしまうのだろう。


 それは、私が背負うべき罰だ。


 そう考えるとまた前を向いて歩ける気がした。

 ズルをしたのだ。それくらいのペナルティ覚悟の上だ。


 私は、どうせもうすぐ死ぬ。

 だったら、後悔しながらも前だけ見て進みたいと改めて強く思った。

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