第3話

 息苦しかったはずなのに、彼女を見た途端にそれすらも忘れていた。


 心臓の鼓動が早まるのを感じる。その訳は直ぐに理解できた。

 目の前の女性に、俺は恋をしたのだ。


 もう、人を好きになることはないだろうと思っていた。いつの間にか自分の中で、恋愛感情は抱いてはいけないものという認識になっていたのだ。


 僕は、大切な人を失う怖さを知ってしまった。そしてもう二度とあんな思いをしたくないと、強く思った。

 それなのに、僕は・・・・・・ 



「ねえ? 聞いてます? ちょっとそこのソファーに座りましょうか?」

 彼女は心配そうに俺を見る。

「あ、いや大丈夫です。俺はこれで」

 深く関わっちゃダメだ。今ならまだ引き返せる。そう言い聞かせ急いでその場を離れることにした。

「ちょっと待って!」

 彼女の手が俺の腕を掴んだ。

「貴方ホントに顔色悪いし、さっき呼吸も乱れてたじゃない。このまま帰せないよ。ちょっと早めに来てよかったよ。私ここの看護師なんだ。ほら、ここに座って」

 参ったな・・・・・・

「ホントにもう大丈夫なんで」

 抵抗してみたが強引にソファーに座らされた。

 彼女は、目を見ず答えた俺の顔を覗き込んでくる。

「たしかにさっきよりは顔色良くなったかもね。少し休んでいきなよ。今日は風邪引いてたりするの?」

 そう言いながら俺の額に手を当てて体調を調べ始めた。

「ちょっと、恥ずかしいから止めてよ」

 なんか熱くなってきちゃったし。

「あはははは。大丈夫大丈夫。お母さんと思っていいから」

 肌が触れる度に体温が上昇しているんじゃないかと錯覚してしまうほど体が熱い。

 あーこれ、顔赤くなってるかもな。最悪だ。

「全然大丈夫じゃないし・・・・・・」

 それから彼女が問題ないと判断するまでの間、俺は適当な会話を強いられることとなる。



「お兄ちゃん何してんの? 帰ったんじゃなかったの?」

 唐突な妹の出現になんとなく後ろめたさを感じ、咄嗟に言い訳を考えようとしてしまう。

「あら、彩希(さき)ちゃん? お兄ちゃんってことはそういうことなの?」

 彼女は妹のことを知っているようだった。

「えっと、そうですね。彩希の兄の勇気です。えっと、お姉さんは妹のこと知ってるんですね」

 彼女をなんと呼ぶべきか迷ったが自分より少し年上であるのは間違いないのでお姉さんと呼ぶことにした。

「えーすごい! 私は彩希ちゃんを担当してる高瀬綾(たかせあや)です。よろしくねお兄ちゃん♪」

 思いの外、綾さんの「お兄ちゃん」にグッときてしまった自分を咎めていると、ことの重大さに気づいた。

 このままだと状況説明させられてその上で先程の逃走についてトラウマの説明までさせられてしまう・・・・・・


 隣で盛り上がり始めた二人に疑問が浮かぶ前に俺はこの場を離れることを決めた。


「じゃあ俺はこれで。ありがとうございました。失礼します」

 今度は腕を掴まれないように直ぐに立ち去ることができた。

「あ、もう行っちゃうのー? またねー」

 背中に降る綾さんの声に、俺は少しだけ頬が緩むのを感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る