第36話

 翌日、いつもの時間になっても健が私の病室を訪れることはなかった。


 心がざわつき、どうすればいいのかわからなかった。


 頭のなかでどうしようどうしようと答えの出ない自問自答が繰り返されていると、視界の端で病室の扉が開くのが見えた。バッ顔を上げると隣の病室の女の子が立っていた。 


「どうしたの?」

 私が問いかけると彼女は私のすぐ横まで駆けてきた。

「お姉ちゃん遊んで」

 小学3年生くらいかな。かわいいな。

 このまま1人でモヤモヤしてても仕方ないしここはこの子と遊んで気分を盛り上げるとしよう。

「よっしゃあ。遊ぶか!」

 そう答えると少女は笑顔を浮かべた。



 私は引き出しから折り紙を取り出し、少女に鶴の折り方を教えることにした。

「鶴はねー千羽折ると病気が治るらしいよ!」

「すごいね! じゃあお姉ちゃんのために千羽折ってあげるね」

 優しいなこの子。

「お姉ちゃんはちょっと難しい病気だから治らないんだよね。自分のために折ってみたら?」

「私と一緒だね。お姉ちゃんもターミナルってやつなの?」

 こんなに幼いのに、この子も治らない病気なのか……

「ターミナルってなに?」

「私もよくわからないんだけどお母さんと先生が言ってたの。お姉ちゃんが知ってるならどういう意味か教えてほしいなと思ったんだけどわからない?」

「ごめんね。私もわからないや」

 コンコン。

 扉をノックする音が病室に響いた。

「どうぞー」

 私が答えると知らない女の人が入ってきた。

「失礼します。やっぱり、声がすると思ったら、ダメでしょ。お姉ちゃんに迷惑かけちゃ。戻るよ。ごめんなさいね、ちょっと目を離したらいなくなってて。この子じっとしてられないみたいなの」

 目の前の女性は化粧で隠せないほど目の下のクマが酷く目も腫れている。

「あ、いえ。あの、顔色悪いですけど大丈夫ですか?」

「優しいのね。ありがとう。この子のことを考えるとあまり眠れなくてね」

 私は今さっき少女から投げられたものと同じ問いを彼女尋ねた。

「あの、ターミナルってなんなんですか? さっきお子さんからどういう意味か教えてくれって言われたんですけどわからなくて」

 女性の表情が陰るのがわかった。

 その意味を子供には聞こえないように私に小声で教えてくれた。

「そう、あの子がそんなことを……ターミナルって言うのはね、ターミナルケアのことで、簡単に言うと治療をやめることなの」

「え……」

 つまりはそういうことなのだろう。

「あの子は、摘出できないところに腫瘍があってね。最初は抗がん剤による治療で病気の進行を遅らせていたんだけど、あの子笑わなくなったのよ。それに副作用に苦しむあの子を見てられなくて……主人と相談してターミナルケアを選択したの」

 そういう選択もあるのか……

「ごめんなさい。そんな話になるとは思わなくて……」

 女性は優しく笑いながら続けた。

「貴方、本当に優しいのね。ありがとう。あの子なんだか楽しそうだったからまた遊んであげてくれないかしら?」

「はい。いつでも来てください」

「ありがとう」

 女性は感謝の言葉を残して少女と共に病室を出ていった。



 私は直ぐに調べた。


 ターミナルケア。

 終末期の患者の選択肢の1つで、治療を目的とせず、残された時間を充実させるという考え方らしい。


 健がいなければ、私はとっくにターミナルケアを望んだかもしれない。


 その健が未だに姿を見せないことが私の不安を膨らませる。


 どうせあと少しすれば姿を見せて私を安心させてくれるはずだ。昨日まで、あんなに元気だったのだから。


 そう言い聞かせた。



 話し相手がいないと、いつの間にか不要なこと考えてしまう。


ターミナルケアか……もし……もしも健がいなくなったら、私もそうしたいな。


 お母さんとお父さんは反対するのかな?


 薬を飲まないと私はどれくらい……

 そこまで考えて思考を止めた。


 そのさきは、『1人ぼっち』になったとき考えればいい。

 今は、まだその時じゃない。


 私はしかたなくテレビをつけて、面白くもないバラエティー番組を眺める作業を開始した。



 その日、健が私の前に姿を見せることはなかった。

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