第15話

 突然話しかけられたことで、私は驚いてしまった。


 暇潰しのつもりがメモを読むうちに夢中になってしまい、話しかけられるまで彼の存在を認識できなかった。緩んでいた口元に気付き私は慌てた。恥ずかしくてどうすればよいかわからない。


 絶対変な人と思われた……


 と思ったのも束の間。彼の言葉を思い出す。


「まだ5分前だよ」

 彼は確かにそう言った。そして腕時計を私に見せた。時計は私たちの約束した時間の5分前を指していた。

 

 私は状況を理解するのに暫しの時間を要した。


 そう、ここにいるのは【私たち】だ。




「あぁ、そゆこと」

 納得が口からこぼれた。

 そして気づくと余計に恥ずかしくなった。


「もう!」

 なんだか悔しくて彼をバシッと叩いてやった。 

「ちょっとお嬢さん、暴力は良くないよ」

 紳士かよ。お嬢さんなんて初めて呼ばれたな。なんだか面白い言葉を使う人だな。

「あら、ごめんあそばせ。ちょっと思ってた感じと違ったものですから、つい御手手が出ちゃいましたわ」

 会話が、楽しい。

 なんだかわからないがいつもと違う感覚だ。普段は絶対にこんなことを言わない。だけど今は、勝手にこんな風に返してしまった。

 魔法にかけられたような、不思議な感覚だった。

「その言い方だとお嬢さんってよりお嬢様だね。ちなみにごめんあそばせって尊敬語であって、馬鹿にするような感じで使うのは間違いなんだよ。君は僕を尊敬してるようだから今の使い方は正しいけどね」

 この人頭いいんだ。素直にそう思った。

「そうなんだ。知らなかった。じゃあ誤用だね」

 ニヤリと笑って私の自慢の白い歯を見せてやった。

「君は僕と似て素直なのかと思ってたけどそうじゃないみたいだね」

 私と同じこと思ってたのかこの人。


 なんだかこんなこと言いそうにない真面目そうな雰囲気なのに会話が進めば進むほど楽しくなってくる。

 それになんだか、手紙とは違う顔だ。

 

 この人をやり込めるにはどうすればよいのか。私は切り札を早々に使うことにした。

「ごめんなさい。本当はずっと貴方に会いたかったの! もう意地悪しないでくれる?」

 上目遣いで見つめるサービス付き。

 迫真の演技だ。


 私には女優の才能があるのかもしれない。ただしその他多くのものを持ち合わせていないのだ。寿命とかね!

「あ、いや、別にそう言う意味で言った訳じゃ」

 効果は抜群だー。

 かわいいな主人公くん。

「ふふ……んふふ……あっははははは」

 もう、ダメだ。堪えきれなかった。

「嘘かよ!」

 あ、やっと素が出たな。

 それが嬉しくて、楽しくて、私はしばらく笑っていた。

 こんなに笑ったのは生まれて初めてかもな。


 対照的に、彼は頭を抱えていた。


 なんとかこみ上げる笑いを押さえ込む。

「ごめんごめん。もっとこっち来なよ」

 同じソファーでも、少し離れた場所で頭を抱える彼に声をかけた。なにしてんだこの人は?


「こんなはずじゃなかったのに……」

 彼がぼやく。

「それね! もっと感動的だと思った!……んふ……んふふふ」

 必死に笑いを噛み殺す。

「もーいんじゃないでしょーかね? お嬢様」

 悪くないわね。その呼び方。

 咳払いをひとつ。

「そうね。よろしくってよ。貴方名前は?」

 私、ノリノリである。

「んー名前かあ。まぁ好きに呼んでよ」

「は?」

 意味がわからなかった。

「まぁ匿名希望ってことさ」

 変なの。名前……教えてほしかったのにな……

「変な名前にしちゃうよ?」

「別に構わないよ。名前に拘りはないし。君にこの先、名前を呼んでほしいと思うことがあれば、その時は教えるさ」

「じゃあポチで」

 私は即答すると彼の眉がピクリと動いた。分かりやすいな。

 また笑いがこみ上げてくる。

「君はなかなか面白いことを言うね。いいだろう。今日から僕はポチだ」

「素直じゃないのね」

 頑なな彼に意地悪したくなった。

「僕は素直だよ。話しててわからない?」

「はいはい。じゃあ私のことはお嬢様って呼んでもらおうかな」

「え? なに、気に入ったの? お嬢様、流石でございます」

 たしかにちょっとなかったかもな……まぁいっか。

「ポチ、御手」

 掌を表にして彼に差し出すと彼はすぐに御手をした。

「あら、素直なのね。それともそういうご趣味で?」

 正直驚いた。

「やっとわかってくれたかい」

 え……変態なの?

 私が疑いの目を向けると慌てて彼は訂正を入れる。

「いやそっちじゃなくて! 素直ってことだよ!」

「あぁそっちか! ふふふ」

 今日の私はよく笑うな。そんなことを考えていると御手をしたままだった彼の手が私の手を握った。急に真面目な空気が流れ始めた。

「素直ついでに言わせてもらうよ。本当に心配したんだ。手紙にも書いたけど僕はちょっと怒ってるよ。僕は……まだ君を失いたくない」

 【まだ】か……流石だね君は。


「ごめんなさい。それは本当に悪かったと思ってるよ。それに私もまだポチを失いたくないわ」

 数秒の静寂。

「そこは貴方だろ。これだからお嬢様は……」


「んふ……ふふふ」

 喜びがこぼれる。

 彼の笑い声も重なり、しばらく笑っていると看護師さんが来てもうちょっと静かにねと優しく注意していった。


「そうだ」

 彼は何かを思い出したようだ。

「どうしたポチ!」

 また彼が嫌そうな顔をする。

「それ、言う必要あった? 僕たちしかここにいないんだから呼ばなくていいよ」

 効果が出てきたな。

「じゃあ名前教えて?」

「しかたないかー」

「え?いいの?」

 そんな簡単に教えてくれるのか。

「いや、我慢するのがね」

 彼はいたずらに笑った。

「そっちかーい」

「お嬢様、そんなことよりも」

 急にこちらに向き直り背筋をピンと伸ばす。

 なんとなく私もそれに習った。

「改めまして。おかえり。それとはじめまして。あとまぁ色々よろしくね」

 忠犬かよー。とは言えない雰囲気だ。

「ただいま! はじめましてー……なんだよね? なんだか初めて会った気がしないなー」

「確かに。なんなんだろうね?」

 運命だったりしてね。とはとても言えない。たぶんお互いにいろんなことまで考えてしまうと思うから……


 他の言葉を考えているうちに変な間ができてしまい、しばらく私たちは見つめ合った。



 彼もニットを被っていることから抗がん剤での治療を行っていることが予想できる。


 同じ病気だったか。まぁガンって場所によって何もかもが違うからひと括りにするのは違うのかもしれないけど。


 色々と聞きたいことはある。でもその多くは重たい話だ。今日は、この楽しいままの気分で帰りたいなと思う。



 それにしても、こんなに長い時間男の子を見たのは初めてだ。どうすんのこれ? 私はこのままでも良いけどなんか喋んないと変じゃない? いや、変だよ!



 初めての経験故に、私の脳は思考停止してしまった。


 頬に熱を感じる。


 彼の頬が少しだけ朱に染まるのがわかった。



 広いロビーには私たち以外が発する音が満ちていった。

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