第3話

 私が初めてこの病院に来たのは、ランドセルを背負う前だった。

 しばらくの間頭痛が治らず、母に相談するとそのまま病院に連れていかれたのだ。

 そこで精密検査の結果、脳に腫瘍があることがわかった。ただし私がその事実を知るのはまだ先の話だ。


 しばらくの間、家族は私に病気のことを隠した。

 私が親の立場でも同じことをするだろうと思う。


 それでも、中学に上がる前には私の体に異常があることはなんとなく分かっていた。

 度重なる定期検査とその詳細を話さない母。少しずつ増えていく飲み薬に比例して私の不安も膨らんでいった。


 中学に進学し、新しい制服を着て間もなく、私は救急車で運ばれた。


 

 それから、私はこの病院を出ることはなかった。


 初恋もまだなのにな……



 病気のことを聞いたその日、涙が止まらなかった。

 泣き疲れて眠るという言葉は実感できなかった。

 いざ眠ろうとすると、このまま目が覚めなかったらどうしようと考えてしまう。恐怖が意識を覚醒させる。


 それまでは、夜が怖いと思ったことはなかった。

 でも、夜をはじめとして怖いものが次々に増えていった。私は怖がりの泣き虫になってしまった。


 それからしばらくして、私はあることを知った。私が泣くと悲しむ人がいる。

 


 ある時、私は考え方を変えた。


 それまでは悲劇のヒロインのように、差し出された運命を呪うことに必死で周りを見る余裕は持ち合わせていなかった。泣いて泣いてそれでも飽きもせず毎日泣いた。


 そんな私を見て、母もまた毎日泣いていたことを知った。


 その事が私を変えた。



 ある日、私は母を呼び出した。


「なに? どうしたの?」

 母は突然の呼び出しに警戒している。 

「お母さん、いいからそこに座って」

 なるべく明るく話すことに努めた。

「お母さん何かしたかしら?」

「強いて言うなら隠し事かな」

 椅子に座った母は何かを思い出そうとするように視線を上へと運ぶ。

「お母さん、私のいないところでよく泣いてるんだってね」

 わざとニヤニヤとして言ってみる。

「それは……」

 急に表情と声音が陰るのがわかった。

「あ、別にそのことはいいの! 私のせいだし。だからね、私はもう泣かないよ! 明るくなる! 私にはもうあまり時間がない訳だし、それを不貞腐れて過ごすなんてもったいないって気づいたんだ! あと私が泣いてるとお母さんも泣いちゃうしね」

 母の涙を見るのは久しぶりだった。

「はい、ティッシュあるよ」

 ティッシュの箱を渡そうとすると、母が急に抱きついてきた。

「う……うぅ……どうして……どうしてあなたが……」

 泣いちゃった……

 こんな母を見るのはあの日以来だ。


「お母さん、いつもありがとね」

 なんだかお礼を言いたい気持ちだった。


 口から転がり出そうになる「ごめんね」というワードを必死に飲み込む。

 今ここでその言葉を発すればダムが決壊してしまう。母と私の涙がこの病室を満たし息が出来なくなってしまうだろう。

 


 母は子供のように泣き、私は母親のように母の頭を撫でた。




 その日から、私はやってこなかったいろんなことに挑戦することにした。

 運動はできないので折り紙やあやとりなど座ったままできることだけなのだが。


 病院のロビーの一角に本を借りれるコーナーがあり、私はそこの常連となった。

 ある日、私はお気に入りの一冊にいたずらをした。本を痛めたりする類いのものではない。

 質問を書いたメモを1枚挟んだのだ。


 毎日毎日メモを確認した。借りられることもあったのに、質問の答えを書く人は現れなかった。

 1年以上が経ったある日、返事が返ってきた。



Q.貴方は誰?

A.悲劇の主人公



Q.君は誰?



 全身の毛穴がぶあっと広がり、ぞくっとした。体が喜びを表現しようとしているみたいだ。

 口元が緩み、ニヤケてしまう。


 そこにはなんと、返事の他に解答者からの質問が添えられていた。


 私は直ぐに返事を書いた。



Q.君は誰?

A.悲劇のヒロイン



Q.貴方の性別と年齢を答えなさい

A.________



 会話を求めたのは貴方なんだから答えてくれないと私泣いちゃうからね。

 投げられた問に答え、新たな問いを投げかけた。


 私はワクワクしている。

 こんな気持ちになるのは、初めてだ。

 

 いろんなことがあったから、嬉しいことは何倍にも嬉しく感じるのかも知れない。


 なにかが動き出すような気がした。

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