サッカー・リベリオン 弱小地域クラブはJリーグに挑む

悠聡

1-1 開幕早々

「試合終了!」


 長いホイッスルと同時にピッチ上の選手は歓声をあげ、全身で勝利の喜びを表現する。


 同時に観客席からは落胆の声が漏れ、『必勝』の横断幕を掲げていたサポーターも重々しく布をたたんだ。


「おい、相手は2部から上がってきたばかりだぞ!」


「2対1って、この体たらくは何だ!?」


「なぁーにが和歌山にもJリーグクラブを、だ! これじゃいつまで経ってもJFLにすら上がれねえぞ!」


 勝利したチームを拍手で祝福した後に聞こえてきたのは地元和歌山のサポーターからの怒号だった。ホームで敵を迎え撃ったわかやまアプリコットFCフットボールクラブだが、開幕から2連敗といきなりの大苦戦を強いられていた。


 しかも相手チームは今年関西2部から1部に昇格したばかりで実力的には格下。勝つべき試合を取りこぼしてしまったのでは、気の長いわかやまサポーターであっても黙ってはいられなかった。


 最大2万人近く収容できるこのスタジアム、集まった観客は500人にも満たない。その少なさが逆にサポーターの声をストレートに選手たちに届けるのに一役買っている。


 そんなブーイングを受けながら、俺たちわかやまアプリコットFCイレブンは項垂れたまませこせことロッカールームに引っ込んでいった。


「くそ、今日は何もかもがうまくいかなかった」


 ロッカールームへと向かう途中、誰かが舌打ちする。


「すみません。あのセンタリングをうまく決められていたら」


「いや、横山はいいよ、ちゃんと1点とってくれたから。問題は……おいDFディフェンダー、あの気の抜けたプレーは何だ!」


 キャプテンの鳥山さんが声を荒げる。試合前にせっかく整えた顎髭も、汗で濡れて乱れていた。


「俺ですか?」


 ため息混じりに俺は振り返った。どうやら今日の吊し上げられ役は俺、釜田かまた恭平きょうへいのようだ。


「釜田、相手を舐めるのもいい加減にしろ。あんなドリブルを突破されるなんて、仮にもプロとして恥ずかしくないのか!?」


 仮にもだと?


 むっとした俺は振り上げそうになった腕をぐっと堪え、わざとにやついて言い返した。


「ですが鳥山さんだってパスを奪われていたじゃないですか。元Jリーガーとして、あれはどうかと思いますよ」


「釜田さん!」


 DFの後輩が俺の腕を引っ張る。キャプテンは顔を真っ赤にしてぶるぶると震えるも「とにかくだ」と自分自身を抑え込むように声を出した。


「お前の実力は認める。だが本番になれば練習の半分も力を出せていないのはキャプテンとして見過ごせない。今後こういう事態があればお前の起用にも関わるぞ」


 そう吐き捨てるとキャプテンは俺たちを残し、ずんずんと歩き始めた。


 手を抜いても俺よりうまいDFはこのチームにいない。182cmとチーム1の長身、長年鍛えてきた足さばきと当身の強さでキーパーとともにゴールを守る最終防衛ラインだ。そしてクラブのメンバー25名の内、わずか3名のプロ契約選手のひとり。


 そのことを理解しているためか、キャプテンも俺には強く出られない。


「でも今日の横山さんのミドルシュートはすごかった。あんなの間近で見たの初めてです」


 重苦しい空気を察してか、チーム最年少のFWフォワード松本が話題を反らす。


「ああ、関西1部のレベルじゃなかったな」


「そうだな、横山はわかやまFCの攻撃の要だ。社長に聞いたんだがグッズの売り上げもぶっちぎりでトップらしいぞ」


 後輩の気遣いに、他のメンバーもわざとらしく明るく話し出す。試合には負けてしまったものの、1点を奪った横山の活躍は見事なものだった。敵陣守備のわずかな隙間を貫いた強烈なシュート、地域リーグ離れしたパフォーマンスにスタンドからは今までで最大級の歓声が巻き起こった。


「そんな、皆さん恐縮です」


 当の横山はというと照れ臭そうに頭をかきながら、他の年上のメンバーから背中をバシバシと叩かれている。


「いつも謙虚だな。よし、俺たちも横山みたいにもっともっとうまくなるぞ!」


 キャプテンの声に「おお!」と声をそろえるわかやまFCのメンバー。まったく、単純な連中だ。


 だが確かに横山はFWとしてこのチームでも傑出している。キックの鋭さ、反応の良さ、いずれもJ1にいてもおかしくない。おまけに童顔で見た目も良いせいか、ファンからの人気も強い。


 近い内にJリーグクラブから声がかかるかもしれないな。


「おお、みんなご苦労さん!」


 横山の将来についてなんとなく考えていた俺に、ロッカールームの前に立っていたスーツ姿の男が声をかける。


「社長!」


「いやいや、今日の試合は惜しかったね。良い勝負だと思ったのに」


 男は悔しそうに話すが、顔は「まだ次頑張ればいいよ」とでも言いたげに笑っていた。


 この人こそわかやまアプリコットFC運営会社の社長だ。選手にもフレンドリーな若手実業家と言った風貌だが、驚くなかれなんと今年で40歳だという。


 試合の時はいつも俺たちの様子を見に来てくれるのはありがたいのだが、どこから自信が来るのか異常なまでのポジティブさであまり現実が見えていない。まあ、この人が節約して資金を捻出してくれなければ俺のプロ契約も実現しなかっただろうけどな。


「社長、監督は?」


 選手からの質問に社長は「ああ、連絡がつかなかったよ」と首を振った。


 チームが絶不調である一因はこれだ。なんと少し前までチームを率いていた監督が、わかやまFCよりも実入りが良いからと別の実業団チームに引き抜かれてしまったのだ。


 それが判明したのはシーズン開幕直前の3月、あまりに急すぎたためにこの2試合俺たちは監督不在のまま戦っていた。


「でも安心してくれ、新しい監督をちゃんと見つけてきたよ」


 社長がぐっと親指を立てると、すぐさま「良かったー」と若手選手たちが安堵する。


「で、その監督っというのはどなたですか?」


 ひとり真剣な面持ちでキャプテンの鳥山さんが尋ねる。


「ふふふ、実績は十分だ。明日の練習を楽しみに待っててね」


 だが社長はそう言い残すと、早足でその場を去ってしまったのだった。




 翌日、和歌山市内の運動公園のサッカー場の一角に俺たちは集まっていた。


「新しい監督って、どんな人なんだろうな」


 4月とはいえ強い日差しに喉が渇く。俺は早速水を入れた水筒を口に付けると、ぼそっと漏らした。


 日曜日の昼過ぎとあって他の競技場も市民団体の練習や試合で使用されている。こんな弱小クラブよりも強豪高校の方が余程恵まれた設備を使っているのが現実だろう。まだピッチが土でなく天然芝なだけマシだと思おう。


「誰が来ても自分のできる最高のプレーをするのが僕の仕事です」


 柔軟体操で身体をほぐしながらエースの横山が意気込む。本当に見上げた奴だ。


「おい、あれ社長じゃね」


 メンバーの一人がグラウンドの隅を指差す。見えたのはこちらに歩いてくるふたつの人影だ。


「本当だ、女性と一緒ですよ」


「まさか恋人か? 社長も隅に置けねえな」


 年甲斐もなく沸き立つわかやまFC。やがて人影のひとつが「みんなー、こっち来てくれ!」と手を振ると、俺たちはわっと駆け出した。


 社長と連れ立っていたのはたしかに女性だった。


 見た目から年齢は20代後半だろう、凛とした顔立ちの美人だ。後ろで結んだ長い黒髪が、女性としては高めの160代半ばほどの長身をさらに際立たせている。


 俺たちわかやまアプリコットFC仕様の薄い緑色のジャージも、スポーディな雰囲気でなかなかに似合っていた。


「今日はみんなに紹介したい人がいるんだ」


 嬉しそうに話す社長。なんだ、結婚でも決まったのかと俺たちはにやにやしながら黙っていた。


「わかやまアプリコットFCの皆様、初めまして」


 一緒にいた女性が頭を下げる。俺たちも「初めまして」と真面目な学生のように頭を下げて返した。


 フィアンセは何という名前なんだろう。そんな風に期待していた俺たちだが、再び顔を上げたその女性はわかやまFCにとってあまりにも衝撃的なことを告げたのだった。


「本日よりこのチームの監督を務めさせていただきます、ひいらぎレイと申します」

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