6-2 さらに強くなれた

「フェルナンド、ハットトリックだ!」


「松本、弾丸シュートぶち込んじまえ!」


 怒号にも似たファンの檄が飛ぶ。試合開始前のスタジアムは熱狂に呑み込まれていた。


 ピッチの上で選手同士が握手をし、フェアプレーを誓い合う。全ての選手と握手を終えて目を逸らした時、ちょうど松本とフェルナンドが握手をするのが目に飛び込んだ。その時、わずかながらだがフェルナンドの口が動いていた。


 ベンチに戻りながら「松本、何言われたんだ?」と尋ねる。振り返った松本は照れくさそうに笑っていた。


「ありがとう、俺たちはわかやまFCのおかげで強くなれたって」


 あのフェルナンドが?


 何か引っかかる気もするが、監督の指示を聞いてそれぞれがポジションに着く。


 そしていよいよキックオフ。全14戦のリーグ最後にして優勝を決める試合が始まった。


「回せ回せ、絶対に取られるな!」


 開始早々、俺たちは一旦DFまでボールを下げて仲間同士の細かいパスでつなぐ。


 長くボールを保持するポゼッションサッカー最大の利点は、ボールが相手に渡らず失点機会を減らせることだろう。失点のリスクを最小限に抑え、こちらの思うように試合を支配できる。


 しかしそれはこちらにある程度の技量がある前提での話。相手チームの力量が大きく上回っている場合、そのボール運びはただ逃げ回るだけの消極的なものに陥ってしまう。プレッシャーをかける敵から逃れるため、ボールを自分たちで回すというより回さざるを得ない試合。以前の俺たちも強豪相手には同じような状況で、ポゼッション率は高くとも主導権は完全に握られていた。


 だが今は違う。個の力は及ばなくとも重ねに重ねた練習で磨かれたパスワーク。どの程度までなら外しても大丈夫か、仲間ひとりひとりの足が追いつく守備範囲まで互いに把握している。信頼できる仲間同士、陣全体を前へ前へと進める攻撃的なパス回しも可能となった。


 そして隙を突いてFWにボールを渡し、松本と佐々木さんのコンビネーションで敵の守備を突破する。以上がわかやまFCの理想とする作戦だ。実際に俺たちは後半戦、この方法で勝ち続けてきている。


 いつものようにやれば勝てる。その一念の下、わかやまFCの11人は落ち着いてパスを回した。


 だが、何だろうこの不安は。作戦通りの展開なのに、もやもやとした嫌な気分を俺はどうしても拭えなかった。


「思ったよりも来ないな」


 キャプテンが受け取ったボールをワンタッチでパスしながらぼそりと漏らす。


 やっぱりそう思うよな。


 奇しくもキャプテンと同じことを考えていた。


 茨木FCの特徴は何といってもその攻撃力にある。4-3-3の布陣にフェルナンドを始めとした強力なFWをそろえている。さらにSHサイドハーフにも俊足自慢を配置、中盤から一気に攻め上がるという変則的な攻撃も可能で、どこにボールがあっても得点を奪ってくるほどオフェンス重視の編成だ。


 当然ながら守備にも隙は無い。普段は攻撃のため前に出ているものの、万一の際には全員即座に自陣に引いて守りに徹する。この攻守の切り替えが非常に早く、得点機で攻め込んでもゴールラインを割れないのだ。


 圧倒的な力量差で相手をねじ伏せるため、試合中はボールを持った選手に判断の時間すら与えずに奪いに来るのが茨木FCのやり方。だが今日は不思議なことに、FWにマークされている俺たちDFも楽々とボールを回せる。


 無理して攻め込てこないのか?


 時折FWが近付いてプレッシャーをかけてくるが、その程度ならさほど脅威にならない。落ち着いて味方にパスを渡し、やり過ごすだけだ。


「このまま足踏みしていてもダメだ、攻めていくぞ」


 キャプテンの合図に従い、わかやまFCのDFがじりじりと前へと上がる。同時にMFやFWも一歩、一歩とライン全体を前進させる。


 そしてMFの右端、SHにボールが渡った瞬間のことだった。今までパス回しに専念していたSHがボールを持ったままドリブルで走り出したのだ。同時にFWの松本と佐々木さんのふたりも駆け出した。


 今までと違う動きをするSHに、敵選手全員の注意が注がれている。突破されまいと、敵MFが行く手を阻む。だがわかやまFCの狙いはそこではない、SHはボールを頭よりも高くまで蹴り上げたのだ!


 敵選手らの頭上を越えて、ボールが向かった先はわかやまのFW。大胆な縦へのロングパスに、スタジアムは今日一番の歓声を響かせた。


 だが佐々木さんがボールを受け取る直前、強引に割り込んできた敵のCBが跳びあがってヘディングをしかけてきたのだ。佐々木さんに渡る前にカットされたボールは茨木のMFが拾い、あっという間にわかやまFC陣までボールを押し戻してしまった。


「全員戻れ!」


 一瞬での形勢逆転に、岩尾が声を張り上げる。CBは踵を返し、ゴール前の定位置まで下がった。


 ドリブルで攻め上がるMFのボールを鳥山キャプテンが奪おうと足を伸ばす。だが相手はその間隙を縫ってパスを前に送り出した。


 受け取ったのは最前線のフェルナンドだった。茨木FCが誇るリーグ得点王。優れたセンスと長年培った技術力は他を抜きん出ており、無回転シュートまで使いこなす大物。


 フェルナンドは一瞬でトップスピードに達すると、慌ててターンした檜川さんらSBもドリブルのまま振り切ってゴールに突っ込む。このまま確実にゴールを決められる距離まで詰めて、自慢の強烈なシュートを叩き込むつもりだ。


 だが、そんなことに怖気づいてしまう俺ではない。


「うおおおおお!」


 ゴール前、俺は身をぶつける勢いでフェルナンドに突っ込んだ。プレッシャーをかけるため、そして接近してシュートコースを少しでも塞ぐため。


 その甲斐あってか、ペナルティエリアに入らない内にフェルナンドは右足を大きく上げ、強烈なシュートを放った。


 低い弾道のボール。回転するライフル弾のようなボールは俺の身体をスレスレで抜ける。


 まずい! 振り返った時に見えたのは、とびついてボールを弾き出すGKの岩尾だった。


 寸でのところでの岩尾のパンチング。それでも勢いを殺さないボールはコマのように回転しながらゴールネットから逸れていく。ラインを割り、芝の上でバウンドをしてもなおギュルギュルと不気味に回転していた。


「あ、危なかったぁ」


 間一髪のプレーに岩尾が胸を押さえる。スタジアムもほっとしたムードに包まれたかと思ったら、直後岩尾のファインセーブを讃えての大喝采が巻き起こった。


 だがやはり、俺の不安は正しかった。茨木FCは以前よりさらに強くなっている。


「まるでカウンターサッカーだ、あんなに速く攻め上がってくるなんて」


 たったワンプレーなのに既に疲れ切ったように岩尾が吐くと、俺も無言で頷き返した。


 攻撃自慢の茨木FCだが、今日の戦い方は今までのそれとだいぶ違う。以前はもっと横のパスも多用して、相手の守備を崩してからFWでえぐり込むような攻め方だったはずだが、今日はより縦への速い攻撃を意識しているのは明白だった。


 組織的なパス回しを行うのはポゼッションサッカーの基本戦術だ。対して自陣の守りを固めて守備に徹し、隙を突いてボールを奪ったら素早く攻め込むカウンターサッカーは弱者の戦術と呼ばれている。


 だがそれは過去の話、強豪だからボール保持率が高いという理論は今日では通用しない。近年ではカウンターを効果的に取り入れ、パス回しを主体とするチームを逆に翻弄する戦術も確立されている。


 2014年ワールドカップのドイツ代表はその典型だろう。中盤でMFがボールを奪い、その隙に素早く攻め込むというスタイルは世界の脅威となった。実際にこの年のドイツ代表は持ち前の組織力と個人の力を如何なく発揮し、ポルトガル、フランス、ブラジル、そしてアルゼンチンと名だたる強豪を撃破して世界の頂点に立ったのだ。


 それにしても今年、茨木FCってここまで縦に速かったかな?


 そこで俺はようやく気付く。そうではない、これまでは個の力だけでも上回ることができたため、従来の戦い方を変える必要が無かったのだと。だが新戦力も迎えたわかやまFCには、そのままでは通用しないと判断したのだろう、戦い方をガラッと変えて今日の試合に備えたのだ。


 フェルナンドが松本に言った「わかやまFCのおかげで強くなれた」というのは、まさかこのことだったのか!?


「いきなりコーナーキックか」


 ゴール前に集結する選手たちの声に、俺は現実に引き戻される。コーナーには既にフェルナンドがボールをセットし、どこにキックを入れるかじっと狙いを見極めていた。


 わかりきっていたことだが、この試合は今までの相手とは格が違う。いつでもヘディングではじき返せるよう、俺は低く腰を落とし身構えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る