6-1 決戦の日

 サッカーのリーグ戦において順位決定が最終節までもつれこむのは珍しくない。だが優勝の行方までもが最後の直接対決で左右されることは滅多に無い。


 今年の関西1部は何かが違う。昨年5位で開幕直後不調のクラブが勝ち点を重ね、ついには首位に手の届く範囲まで迫っている。レベルは全く違うが、2015-2016年シーズンで実際に起こったイングランドプレミアリーグのレスター・シティFCにも似た快挙だ。報道では特集も組まれ、わかやまFCのプレーする姿は連日テレビに流れ続けた。


 熱狂は地元だけではない、関西一部リーグなぞ存在すら知らなかったファンからも関心を集めた。これを商機と見て和歌山の商店はわかやまアプリコットFCの応援旗やユニフォームを店内に飾り、チームのロゴの入った菓子やグッズを売っている。


 社長や監督は連日の取材地獄に追われていた。特に監督は練習時間以外は常にフラッシュを焚かれているような状態で、見ていて止めに入りたいと何度も思うことがあった。だがメディアへの露出効果を監督はわかっているのか、嫌な顔一つせず淡々と対応していたのはさすがと言ったところ。


 かように前代未聞とも言うべき盛り上がり。もしかしたら本当に、和歌山からJリーグクラブが生まれるかもしれない。


「ご覧ください、紀三井寺運動公園陸上競技場は満席です! 収容人数19200人のスタジアムが凄まじい熱気に包まれています!」


 地元テレビ局のリポーターも興奮を抑えられないようだ。この滅多に埋め尽くされることの無い競技場の華々しい姿に、昂った様子でカメラに向かう。


「いよいよ、か」


 ロッカー並ぶ控室。その壁際に備え付けられた小さなテレビに映し出されたスタジアムを見つめながら、鳥山キャプテンが呟いた。


「ついに最終戦、緊張するなあ」


 岩尾も落ち着かないようすで小刻みに貧乏ゆすりしている。


「始まる前なのに凄い歓声……建物が揺れてここまで聞こえてきます」


 経験の無い大勢が詰めかけているためか、松本も上がり気味だ。最終戦をホームで迎えられたのは幸運だが、この観客数は予想だにしなかった。


「松本君、大丈夫だ。ピッチ立って一度火が点けば、周りの観客のことなんて全く気にならなくなる。むしろ応援は場面を盛り上げるBGMだと思えばいい」


 そわそわする松本を宥めるのは佐々木さんだ。やはりJリーガー歴も長くここ一番の大勝負も潜り抜けてきたのだろう、一同の中では彼が最も落ち着いていた。


 そんな張りつめた空気漂う控室だが、突如ドアがコンコンとノックされる。


「みんな、お待たせ!」


 顔を覗かせたのは社長だった。いつも通り緊張感というものを一切感じさせない能天気な話しぶりだが、俺たちわかやまFCはそんな社長の声を聞いて少しばかりほっとした。


「社長、どうですか?」


「絶好調も絶好調、グッズの売り上げが過去最高を更新してるんだ。応援旗にメガホンに、わかやまFCてだけで飛ぶように売れる売れる」


 両手でピースする40歳男。選手全員、呆れてため息を吐くしかなかった。


「そこじゃないですよ、監督は?」


「ああ、もう少し待ってあげよう」


 悩みなんて何も無さそうな社長の顔に、ほんの一瞬影が差す。ドアの外、ここにまだ来ていない監督の方へと目を向けながら。


 一同がしんと静まり返る。そんな中でキャプテンが重々しく椅子に腰かけると、やがて静かに思いのたけを吐き出した。


「監督もずっと大変だったろうな。初めて男子クラブを任されて、ずっとマスコミに追いかけられて」


 俺たちも黙って頷いていた。今日、監督の様子がいつもと違うことは誰しもが気付いていた。


 普段の柊監督はどんなに無理なスケジュールでも、取材が来れば時間を割いて丁寧に応じている。だが今朝の彼女は一切の取材を拒否し、選手にも必要以上に声をかけること無くずっと黙り込んでいたのだ。


 なんでよりによってこんな日に?


 当然疑問に思ったが、俺たちは即座にその答えを理解できた。監督も俺たちと同じで、思い考え悩む人間なのだ。


 やる気を失い目標もばらばらだった俺たちわかやまFCを作戦と技量で黙らせてきたのは紛れもない彼女だ。自分の作戦を押し通し、実際に成果を上げることで柊監督は俺たちから信頼を集めることができた。


 だが柊監督も決して自信があったわけではない。何せ男子サッカーは初めての経験、うまくいかなかったらどうなるだろうと俺たちが想像している以上に考えてきたはずだ。一見ポーカーフェイスで勝利のためなら手段を選ばないタイプに見えて、誰よりも選手のことを考えてきたことを近くで見てきた俺たちなら知っている。


 監督も相当無理をしてきたのだ。だから今日くらい、彼女が本当の自分と向き合える時間を与えられてもいいじゃないか。


 とはいえ監督のことを考えていると試合中の作戦のことが反芻される。その一つ一つのフォーメーションを静かに思い返していると、ドアが再びノックされる。


「お待たせしました」


 ようやくの監督登場に、選手たちのこわばった顔も幾分か緩む。そして早速、試合前のミーティングが開始された。


「今日はリーグ最終戦ですが、実際は決勝戦と言ってよいでしょう。相手は茨木FC、皆さんもご存知ですが強さは本物です。攻守ともに隙はありません、前戦ったときよりも強くなっているでしょう。ですがそれは私たちも同じ、新戦力をそろえ練習を積み、わかやまFCは強くなりました」


 監督が部屋を見回す。俺たち一人ひとり、全員と目を合わせて心を通じ合わせるように。


「作戦は全力を出し切ること。そのためには最も馴れ親しんだ4-4-2のフォーメーション、ツートップは松本さんと佐々木さんにお任せします」


 松本と佐々木さんの年の差コンビが「はい!」と答えて頷く。


「そして要注意FWのフェルナンド・ヤマガタに対応するため右SBを檜川さん、お願いします」


 檜川さんが小さく、しかし力強く「ええ」と返す。


「釜田さん」


 監督がじろりと俺を見つめる。俺は喉をごくりと鳴らした。


「ゴール前の守備は任せましたよ」


 一瞬の間。返事することを忘れていた俺は、一呼吸おいて「はい!」と威勢よく答えた。


「よしみんな、円陣だ」


 キャプテンの呼びかけると途端メンバーを明るい雰囲気が包み、各々肩を組んでひとつの大きな円を作った。そこには監督も、社長も混じっていた。


「ここまで来たらあとは勝つだけだ。勝って優勝して、わかやまFCの名前を全国に知らしめてやるぞ!」


 ロッカールームに響き渡る「うおおおお!」の雄叫び。絶対に勝つ。大声とともに不安など吹き飛ばしてしまった。


 そして俺たちはピッチに向かった。まだ一度として到達したことの無い高みに向かって。

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