6-3 優勝と勝利
「またしてもボールはネットを外れました、茨木FC3度目のコーナーキックです」
ラインを割ったボールを拾い上げ、じっと狙いを定めるようにゴールを見据えながらコーナーにボールを置くフェルナンド。その眼力に言い知れぬ不安をあおられながらも、わかやまFCは全員でゴールを守り続けていた。
とはいえこの緊張がいつまでも持続するわけがない、このまま攻撃が続けばいつか押し込まれる。ピンチであることに変わりはない。
これで3度目、ゴール目前で落下するように弧を描くフェルナンドのボール。その落下地点めがけて全員が走り込むが、最初にそれをヘディングで合わせたのは茨木FCの選手だった。
だが幸いにもコースを変えたボールは俺の胸にぶつかった。俺はそれを足元に落とし、急いで密集から蹴り出す。
ボールがペナルティエリアからはじき出され、ころころと弱々しく芝の上を転がる。素早く反応した檜川さんはボールを拾うと、即座に茨木FC側に蹴り出して大きくクリアする。なんとか失点の危機は脱した。
「よし、急いでポジションに戻れ!」
キャプテンの声とともにMFやFWがだっと駆け上がり、遅れてDFがのろのろと横に広がる。ここぞという時に身体を張るのが俺たちDFだが、試合中休みなく走り回るMFには頭が上がらない。
檜川さんのボールをセンターラインで拾ったのは相手CBだが、その頃には既にわかやまFCも守備を固めているので一旦GKまでパスを回して戦線を立て直す。せっかくのチャンスをふいにしてしまったが、まだ時間はたっぷりあるとでも言いたげな余裕が感じられた。
そうやって油断している今こそがチャンス。クラブ初の優勝のため、わかやまFCは果敢に攻め込むだけだ!
「ボールを奪え!」
キャプテンの指示にFWがMFが、相手のパス回しに全力で身体を割り込ませる。こちらが疲れるのを狙ってのパス回し、わざわざ無理して奪いに行くのは悪手のはずだが、あえてそこに乗ってくるわかやまFCに茨木の選手たちはたじろいだ。
だが、茨木FCの選手がそう簡単にボールを渡してくれるはずがない。どんなに接近しても隙を見つけてはパスをつなぎ、わかやまFCはボールを爪先でタッチすることもできなかった。
むしろわかやまの前線が前のめりの陣形になっているところを彼らは見逃さなかった。ボールを受け取った茨木FCのMFは、わかやま攻撃陣の裏にできたスペースめがけ山なりのロングパスを放り込んだのだ。
あっと首を回すわかやまFC選手たち。ボールが落ちる直前、そこに走り込んでファーストタッチを決めたのはやはり最強FWフェルナンド・ヤマガタだった。
十分なスペースに守備も少ない。こんな状況で十分な実力を持ったプレイヤーがとる行動と言えば、小学生でも想像がつく。フェルナンドは決して大きくない身体を揺らし、単身ドリブル突破をかけてきたのだ。
「左サイドから来るぞ、守りを固めろ!」
檜川さんの指示にDFが駆け寄る。ここまで守備を厚くすれば簡単にはかわせない。
だがフェルナンドは正面突破は無謀だと見るや否や、一切の無駄の無い動きで逆サイドにボールを蹴り込んだのだ。そちら側はわかやまFCの守備も薄くガラガラの状態、敵の手にボールが渡れば一巻の終わりだ。
しかしそこまでは脚本通り。今しがたボールの放り込んだ逆サイドに、前線から戻って来たわかやまFCのMFが既に走り込んでいたのを見て、フェルナンドが顔を歪めた。
そう、檜川さんはあくまでも囮だったのだ。わざと空いているスペースを作ってボールを誘導する。だがどこに落ちるかさえ分かっていれば、前線からでも全力で走れば敵より先にボールを確保することもできる。
「わかやまFC、ナイスな組織力だ!」
響き渡る大歓声。裏の裏をかいた連動に、わかやまファンも茨木ファンも驚嘆した。
最高潮の気分の中、MFがFW松本へとボールを送り、一気に攻勢に転じる。敵味方共に陣形の崩れている今、連動もクソもあったものではない。カウンターで攻め込む最大のチャンスだ!
襲い掛かる相手守備を松本はかわし続けた。突っ込んだと思ったらくるりと背を向け、流れるようにボールを守る。元Jリーガーを相手にまったく引けを取らないその動きは、既に関西1部のレベルではなかった。
「いっけええええ!」
スタジアムが一体となり松本を後押しする。ついに最後の砦のCBも突破し、残るは捨て身で突っ込んでくるGKただひとりとなった。
今撃たずしていつ撃つのか。全員が確信する中、松本はシュートを蹴り込んだ。
鋭く貫くライナー弾。反応したGKはとびついて指先を触れさせるも、それはボールの軌道を少し歪めた程度で後逸する。ほんの一瞬のことだが、誰もがやったと心の中で叫んでいた。
しかし不運にも、ボールがぶつかったのはゴールポストだった。ガオンと妙な音が立つと同時に、スタジアムは落胆に包まれる。
「くそ!」
珍しく岩尾が地面を蹴った。
バーに跳ね返されたボールはサイドへと弱々しく転がる。そこに戻って来た茨木のDFによって、わかやまFC陣側にまで大きく蹴り戻されてしまった。
「あと少しだったのに」
チャンスをものにできなかった。観客と同様、選手たちも気落ちしていた。なんだか気合で押し殺してしてきた疲労がどっと襲い掛かってきた気分だ。
「ぼけっとしてんなよ、試合はまだまだ続くんだ。次のチャンスを確実に決めよう!」
キャプテンがチームを鼓舞し、戻って来たボールを回し始める。その声に各々が「おう!」と答え、一時的に低下したテンションをまた元のレベルにまで引き上げたのだった。
だがそこから試合は大きく変わる。どれだけわかやまFCがパスでボールを回し続けても、茨木FCが奪いに来る様子がまったく感じられないのだ。
わざと敵の目の前までボールを回してやるも、何歩か詰め寄るだけで奪い取ろうという意気は無い。おかしい、さっきまでならここまで近づければ全力で突っ込んできたきたはずなのに。
そしてディフェンスラインまで下がって来たボールを受け取った時、俺ははっと気付いたのだった。この試合、一見俺たちに流れが来ているようで、実際のところは違うのだ。
「檜川さん!」
俺はボールをサイドの檜川さんに回しながら、同時に視線も飛ばす。檜川さんは俺が何が言いたいか、既に理解していた。
「ああ、これはまずい。茨木FCが守備にシフトしている」
そう、茨木FCは最終戦での勝利を捨ててでも優勝を狙っている。
ここで勝たねば優勝できないわかやまFCと違い、引き分けでも茨木FCは優勝が決定する。リスクを冒してまで攻め込まずとも、徹底的に守り切って引き分けまで持ち込めば茨木FCは問題無いのだ。
茨木FCは名実ともに関西における王者。歴戦の元Jリーガーも多く在籍しているところ、横綱らしく堂々とした振る舞いが求められると選手も自覚しているのだろう。決して逃げのサッカーはせず、いかなる挑戦者にも全力をもって応えるのを信条としている。先ほどのわかやまFCの攻撃機会も、俺たちはいわばお情けでチャンスを与えられたにすぎないのだ。
だが、もし相手が本気で戦うに足る相手だとした場合はどうだろう。内容を無視して結果を重視するのはクラブとして当然のこと。
かつてイタリア代表は強固な守備で名を馳せていた。カテナチオと呼ばれる守備を固めてカウンターで点を奪う戦法はフィジカルに勝る強豪国の攻撃も跳ね返してきた歴史がある。ゆえにシュートの本数は少なく、結果は僅差での勝利か引き分けとなることがほとんどだったが、負けることは無かった。この「試合に負けない戦術」は現在も世界中で研究と改良が加えられ、なおも発展している。
茨木FCも同様だ。「勝つためのサッカー」から「負けないサッカー」に作戦を切り替えたことで、わかやまFCにとっては攻め込むのがより一層困難になってしまった。最悪の場合攻撃の糸口も見つけられず、0-0に持ち込まれる。
しかし言い換えれば、それはつまりわかやまFCは茨木FCが守備的なサッカーをさせるまで追い込んだということだ。少し前までは考えつきもしなかったが、俺たちが強豪と同じ土俵に立てるようになったことを証明している。
「俄然やる気出てきたな」
この状況をピンチと思うな、チャンスと思え。俺はにやっと口角を上げると、回って来たボールを前方へと蹴り返した。
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