3-7 明暗のアディショナルタイム


 その後の試合はボールポゼッションでは圧倒的に茨木FCが上ながら、両者とも決定機を欠く展開が続いていた。フェルナンドや横山といった点取り屋が前に動いても互いに徹底的な守りに専念するため、何十発ものシュートが枠外へと逸れる。


 1-1で後半を迎えてもその様相は変わらず、先に緊張を途切れさせた方が負けという持久戦の様相を呈していた。


 そしてこのまま引き分けかという後半アディショナルタイム。ボールを奪ったわかやまFCがすかさず横山にパスを回し、再び攻め上がる。


「このまま2点目だ!」


 最終局面とあって横山と松本も持てる力全てを発揮し、巧みなパスで敵の守備をかわす。観客のテンションも最高潮、最後の最後での逆転弾を見たいとスタジアムが崩れんばかりの大歓声が沸き起こる。


 そしていよいよゴール手前、ボールを持つ横山はすぐ目の前をDFに阻まれながらも、足元に隙があることを見逃さなかった。


「もらった!」


 横山はボールを放った。芝生をかするほど低い弾道、相手の股下をくぐらせる見事なシュート。目の前から突然消えたボールに、DFは茫然とするしかなかった。


 だがゴールラインを割るギリギリのところでとびついたGKにボールが弾かれ、落胆の声にスタジアムが包まれる。


 芝の上でギュルギュルと回転するボール。それを拾った敵DFはヤケクソ気味に大きく蹴り出した。


 FWふたりの頭上を越え、センターラインも通過してボールは地面に落ちる。それを前線で拾ったのは敵FWのフェルナンド・ヤマガタだった。


 幸運にも恵まれたとはいえ俺たちDFやMFのマークの間隙を縫ったあまりにも見事なプレー。まさかラストプレーで攻め込んでいたわかやまFCが、一転して最終最大のピンチを迎えてしまい観客もどよめく。


「守れ! MFは全員ヤマガタに飛びかかれ、DFはゴールを守れ!」


 ボールがフェルナンドに渡った瞬間に響き渡った鳥山キャプテンの声に、俺たちDF4人はゴール前に集い、MF4人が一斉にフェルナンドに駆け寄る。


 だが相手は俺たちよりもはるかに上手だった。巧みなフェイントでMF陣捨て身のカットをいとも容易くかわすと、あっと言う間にDFの目の前まで高速ドリブルで迫ってきたのだ。


「来い!」


 ゴール前で壁を作るDF。もう残り時間僅か、ボールを奪おうなんて思い上がっている場合ではない、相手のシュートが身体のどこかにさえ当たってくれればそれでOKだった。


 ついにフェルナンドがシュートを蹴り出す。ペナルティエリア外、通常ならGKひとりでも十分に対応できる距離からのミドルシュートだ。


 ボールが飛んできたのは俺の近く、足を伸ばせばなんとか当たる、それくらいの位置だった。だがこれこそ予想通り、隙をわざと見せることでそこにボールを誘い込むのが狙いだ。


 最初からシュートコースが読めていれば対応は十分可能。フェルナンドのシュートと同時に俺は足を突き出した。飛来するボールを妨げる高さに俺のスパイクが割り込む。このままいけば足に跳ね返ってくれるだろう。


 だがその直前、ボールは突如俺の身体とは反対方向にぐにゃりと軌道を変えると、靴底をかすって守備をすり抜けてしまったのだった。


「曲がった!?」


 慌ててボールを目で追う。そして俺は気付いたのだった、このボールがまったく回転していないことに。


 無回転シュート、通常ならば回転により低減される空気抵抗を真っ向から受けることで、蹴った本人にさえ予測できない軌道を描くシュート。野球で言うところのナックルボールだ。


 だがこのシュートを会得するにはボールの真芯をとらえまっすぐに蹴り出すという、足先で針に糸を通すような技術が必要だ。並外れた才能と努力が伴わなければ使いこなすことはできない、それほどの高等テクニックだ。


 その予測不能な動きはGK岩尾をも混乱させた。すかさず俺の背後に身を投げ出していた岩尾が腕を伸ばすも、予測不能なブレを見せるボールはその間をくぐり抜ける。


 そしてゴールネットに突き刺さり、たちまち巻き起こる茨木FCファンの大歓声。同時に試合終了のホイッスルが鳴り渡る。俺たちは最後のワンプレーで地の底に叩き落されたのだった。


「そんな……」


 へなへなと崩れ落ちる。長い長い笛、永遠とも思える長い笛だった。


「くそ! くそ! くそ!」


 珍しく岩尾が何度も何度も地面を殴りつける。


「せっかくのチャンスだったのに……」


 前線からFWのふたりも引き揚げてくる。頭を押さえる松本、その肩に横山はそっと手を置き、宥めるように並んで歩いていた。


「横山、すまねえ」


 誰にも聞こえないよう、俺は小さく呟いていた。


 もう少し粘れば引き分けに持ち込めたのに。そんな後悔がチーム全員に漂い、アウェーの観客の歓声が余計に突き刺さる気分だった。


 鳥山キャプテンも落ち込んだMFのメンバーの背中をひとりずつ叩いて回り慰めるが、その顔は浮かないものだった。


 だがそんなキャプテンにひとりの人物が歩み寄ると、不意に声をかけたのだった。


「鳥山さん、わかやまFCは良いチームですね」


 キャプテンが目を丸くする。相手は今しがた決勝点を決めたFWフェルナンド・ヤマガタだった。


「海外移籍する横山君のためにチーム全員が一丸となっている。自分のためにチームメイトを蹴落とすような選手は誰もいない。本当に良いチームですよ、私もここまで熱くなれたのは久しぶりです」


 フェルナンドは紳士だった。40過ぎても現役を続けられるのは優れた技術だけでなく、若い選手を奮い立たせるだけのリーダーシップを兼ね備えているからに他ならない。そんな雲の上の存在が全力で戦ってくれた事実に、俺たちは誇らしくてうれしくさえ思えた。


 結果として負けてしまったものの、この人が相手で良かったと心の底からそう感じていた。


「ありがとうございます」


 キャプテンはにこりと握手を返す。


 瞬間、スタジアムを包み込んだのは茨木FCわかやまFC両方のファンから贈られたこの日一番の大喝采だった。




 数日後、俺たちは関西国際空港にいた。


 大阪府南部の海上に建設されたこの空港は和歌山市内から電車で40分ほどと近い。近年ではLCCの就航本数増加に伴い、特にアジア諸国からの観光客がうなぎ上りに激増している。


 だが今日の目的は飛行機に乗るためではない。当然、横山の見送りのためだ。


「では行ってきます」


 国際線チェックインカウンターの並ぶエリア、大きなキャリーバッグを手にしたスーツ姿の横山は照れくさそうに笑っていた。


「おう、負けるなよ」


 キャプテンが拳を突き出し声を贈る。


 集まっているのはわかやまFCメンバー全員、熱心なファン、そしてマスコミとかなりの数。地域リーグの星として、横山のトルコ移籍はそれほどまでにビッグニュースだった。


「長旅はしんどいし気候もだいぶ違うけど、無理はしないでね」


 岩尾がまるで母親のように心配する。


 関空からトルコへの直行便は現在廃止されている。そのため横山はこれから韓国の仁川空港を経由してイスタンブールへ渡航するのだ。


 学生時代にヨーロッパへ貧乏旅行をした経験のある岩尾らしいといえばらしいが、随分と心配性だな。


「横山さん、あなたの力は必ず通用します。是非トルコの観客を魅了してください」


「嬉しいなあ、横山君がわかやまFCから世界にはばたけるなんて。横山君のこと、応援するからこっちのことも応援してね」


 監督と社長に「はい!」と頷いて返す横山。それをきっかけに、他のメンバーたちも口々に横山にエールを贈る。


「お土産いっぱい買って帰って来いよ」


「バカお前、それじゃ出戻りじゃねえか」


「横山、これはお前のステップアップだ。次は4大リーグだぞ!」


 それぞれ思い思いの言葉で横山を送り出す。


「横山、トルコでの活躍見せてくれよ」


 俺も力強く告げると、横山は「もちろんです、ニュース見てくださいね!」とにかっと笑って返した


 だが直後、ずっとぶるぶると震えていた松本が「横山さん!」と堰を切ったように切り出したので、思わず全員が静まり返ってしまった。


「俺、絶対横山さんに負けないFWになりますから。見ていてくださいね、必ず追いつきます……いえ、追い越してみせますから!」


「こっちだって、負けないからな」


 そう言って強く握手を交わすFWのふたりに、パシャパシャと取材陣のカメラのフラッシュが焚かれる。


 その後見送りを終えた横山は手荷物検査場のゲートをくぐり、俺たちの前から姿を消した。飛行機は定刻通り発進し、翌日無事トルコに着いたと連絡が入ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る