2-1 動くな!

 第四節の相手は六甲山FC。神戸市まで移動した俺たちがスタジアムで見たものは、押し掛けた大勢のわかやまFCファンだった。


「今日は客が多いな」


 貸し切りバスを降りるなり、まるで花道のように両脇に立って応援旗やお手製のプラカードを見せつけるサポーター。今まで受けたことの無い大歓迎に俺がぼそりとこぼすと、GKの岩尾が小さく耳打ちする。


「この前テレビの取材が来たせいだろう。監督をあんなにプッシュされてたから」


 たしかに、言われてみればいつもよりおっさんとスポーツ少女といった雰囲気のファンが多い。


 実は天王寺電工に勝利した翌日、わかやまFCの練習場をテレビ局の取材が訪ねてきていた。テレビに映るなんてシーズン開幕時に地元ローカル局にちょろっと紹介されるくらいの俺たちに近畿地方全域をカバーする準キー局が、それも同時に複数訪れるなんて滅多に無い出来事だった。


 目玉は当然うら若き女性監督。しかもシーズン途中からの就任でいきなり格上相手に勝利を奪ったものだから、地域リーグとはいえ注目度は半端ないものだった。


 即日ワイドショーで紹介された柊監督は、その異色の経歴とルックスで視聴者の関心をたちまち寄せる。特にサッカー少女にとっては男子とも対等に渡り合うスターのような存在で、近畿地方はおろか全国からも応援のメッセージが送られてきたのだった。あとはスケベなおじさん世代のハートも鷲掴みにできたようだが、その点については察してもらいたい。 


 アウェーの試合だというのにホーム以上の歓声だった。そのほとんどがFWの横山か監督に向けられていたのは少し残念だが。


「応援に来てる皆さんのためにも、早く勝ち点取らないと」


 ロッカールームにて横山がスパイクの紐を結びながら静かに意気込む。


「随分気合入ってるな」


 着替え終わった俺は横山の背中を軽く叩いてやった。


 からかわないでくださいよ。いつもの横山ならそう言って軽く小突き返してくるところだろう。


 だが今日は振り返りもせず「ええ……」と消え入るように答えたのだった。かつてない集客に緊張しているのだろうか。


 そして監督が入室し、いよいよ試合前の最終作戦会議。前回スタメンを落とされた俺にとって、ここまで胸を締め付けられながらこの時を迎えるのは久々だった。


「今日のスタメンを発表します」


 タブレットを片手に、監督が守備位置を読み上げる。


 よし、今日は俺もいるな。当然定位置のCBセンターバックだ。


 だがほっと安心するメンバーに混じりながら、俺の心中は今ひとつ落ち着かなかった。


 それもそのはず、先週の試合が終わった後、俺は監督にこう言われていたのだ。


「次の試合では絶対にゴール前から動かないでください」


 センターバックという守備位置のことを言っているのではない。どれだけ相手陣地にボールを運んでも、コーナーキックのチャンスでも、絶対に自陣のゴールから離れてはいけない、という意味だ。


 そんなバカな? DFの俺が敵陣まで踏み込むことは滅多に無いが、コーナーキックの際には高身長を生かしてのヘディング要員として一時的に相手ゴール前に立つこともある。だが今回はそれすらも許されないのだ。


「六甲山FC最大の武器は堅守からの速攻カウンターです。ほんのわずかな時間で一気に上がってくるのを得意としていますので、いつ何があっても守備に専念してください」


 まあ言うことはわかる。全員で攻め上ったところボールを奪われ、手薄になった自陣をドリブルや縦パスで突破されれば有利な状況から一転、手痛い失点につながる。


 1996年アトランタ五輪のサッカー競技、日本対ブラジルはそれを如実に物語る一戦だろう。金メダル候補のサッカー王国を相手に日本は堅牢な守備で猛攻を耐え凌ぐ。特にGK川口能活の活躍は相当なもので、計28本のシュートを防ぎきったのは見事としか言いようがない。


 そして後半27分、ついに奇跡が起きる。ブラジルDFの背後めがけて蹴り上げたボールに素早く反応したFW城彰二が追いつくと、戻ってきたブラジル人選手の追撃をかわす。そしてゴール前に転がり出たボールを伊東輝悦が押し込み、ブラジル相手に1点を奪ったのだった。


 その後もブラジルはさらに激しく攻撃を続けるも、結局これが決勝点となり1対0で日本が勝利する。数少ないカウンターのチャンスをものにした日本の偉業は、『マイアミの奇跡』として大々的に報じられたのだった。


 このように守備的布陣を敷かれると、こちらがいくら攻撃を繰り返してもまったく点を入れられず、かえって隙を生んで反撃される危険性もある。


 最後のミーティングを終えた俺たちはいよいよピッチに立つ。


「岩尾、どう思う?」


「どうって?」


 歓声の中ゴール前で身体をほぐしながら、俺はすぐ後ろに立つGKの岩尾に背中を向けたまま尋ねた。


「監督の指示だよ。俺に動くなって、ひどくねえか」


「言いたいことはわかるよ、でも監督の考えももっともだ。勝ちにこだわるなら従うべきだろう、俺たちはチームなんだから」


「お前って普段温厚なのに勝負事だと殊更シビアよな」


 そしてついに試合が始まった。


 やはり六甲山FCはFWを含めた全員が自陣まで下がり、ペナルティエリア前に分厚い壁を形成する。並大抵の突破力ではこの守りは破れない。


 こちらとしても下手に仕掛ければカウンターを狙われる。ボールを回して様子をうかがうも、つけ入る隙はまったく無いようだ。


「このまま90分過ぎちまうぞ……」


 自陣側に一人残された俺は、わかやまFC選手間でパスされ合うボールをぼうっと眺めていた。一方的なボールポゼッションが相手陣内で展開され、見ている者にとってはなんとも飽きのくる試合だろう。


 だがついにわかやまFCのMFにボールが渡った時、その選手がおもむろに前へと進みだす。これならいけると踏んだのか、はたまた痺れを切らしたのかはわからないが、ともかくこれまでとは違った動きにフィールドの全員が反応した。


 数にものをいわせ襲い来る六甲山FC。だがこれは陽動、MFは保持していたボールをそっと斜め後ろにパスをすると、駆け上がってきた鳥山キャプテンがディフェンスラインの裏へと山なりに蹴り上げる。


 示し合わせたように横山と松本のFWコンビがゴール前まで走り込み、あとはシュートを決めるだけとなった。


 だがふたりの間に割って入ったのは長身の相手DFをはじめとする複数の敵選手。キャプテンからのパスは空中に飛び出した壁に阻まれ、ボールはペナルティエリア内を転がったのだった。


 直後、相手選手のひとりが大きくボールをけり出す。見計らったように、今の今まで自陣に下がっていた中から相手選手のひとりが全力で駆け出し、守りの薄くなったわかやまFC陣に乗り込んできたのだった。


「カウンターがくるぞ!」


 岩尾の声。急遽陥ったピンチに観客席からもどよめきが起こる。


 だが相手FWの動きは比較的単純。Jリーグ経験もある俺にとっては防げないものではない。


 GK岩尾の位置取りを見ながらペナルティエリアギリギリまで相手を惹きつける。ついにゴールめがけてシュートが放たれるが、視線や脚の動きで俺は相手のコースを先読みし、横っ飛びで身体を入れた。


 結果として、ボールは俺の胸で跳ね返った。勢いづいた強力なシュートだが、軌道を読んだ俺にぶつかったおかげで戻ってきた鳥山キャプテンが拾うと、すぐさまパスで他の選手に回し陣形を整えたのだった。


「やったな、釜田!」


 GK岩尾が拍手を贈ると、観客も俺のプレーにどっと盛り上がる。


 この空気、悪いものでもないな。俺は得意げになりながらも「まあな」とぶつかった痛みに胸をさすった。

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