1-5 祝勝会

「初勝利おめでとう! これ、うちからのお祝いね」


 妹の千穂が持ち出したのは地元和歌山の酒だった。


「ありがとう千穂ちゃん、応援してくれたおかげだよ」


 本日2得点のFW横山が嬉しそうに千穂から酌をもらう。


 結果は2-0の完封勝ち。後半開始直後のゴールに続き、28分でのコーナーキックでまたもうまく反応した横山は強烈なヘディングを叩き込んでいた。


 恐れていたスタミナ無尽蔵の敵FWはたしかに手強かった。試合終了間際になっても運動量がまったく落ちることはなく、最後の方は何度も危うく突破されそうになって肝を冷やした。90分フルで入っていれば疲れで対処できなかっただろう。


 いつもならぐだぐだと管を巻いている面々も気持ちよく酔っ払っている。やはり勝利の喜びは最高の酒の肴のようだ。


「岩尾さんも来ればよかったのに」


「あいつには大切な家族がいるんだ、お前とは違って」


「そんなこと言って、先輩この前結婚するかもとか話してたじゃないですか」


「けっ、あんな女のことなぞ知らん。みみっちすぎて家でくつろげやしねえ」


 そんなメンバーのくだらないやりとりを眺めながら、横山は「荒れてるなぁ」と苦笑いする。


「横山さん他人事みたい。兄さんの1億倍カッコいいんだからモテモテじゃないの?」


「千穂、喧嘩売ってるのか?」


 この妹は兄をまったく敬っていない。この花形FWの方が実の兄よりもよっぽどお気に入りのようだ。


「それにしても今日は完全に監督の采配が決まりましたね」


 妹の好意を薄々感付いているであろう、横山が話題を反らすと隣ですっかり顔を真っ赤にしていた鳥山キャプテンが割り込んだ。


「だなあ、あそこまでうまくハマるとは思わなかった。今シーズン、出だしこそ滑ったがまだまだいけるぞ」


 勝利と酔いでいつも以上に浮かれる元Jリーガー。あまりに短絡的な姿に、俺は一口酒を飲むとゆっくりとコップを置いた。


「たまたまですよ、たまたま。毎度こうはいきませんよ」


「釜田は頑固だなぁ。今日の試合に勝てたのは監督のおかげだと思うぞ、俺は」


 席を立ったキャプテンは俺の背中側に回ると、その掌を頭の上にのせた。俺はその手を払い「違いますよ」と首を振る。


「次も同じようにうまくいくとは限りません、リーグ戦はまだ続くのです。評価するには早すぎますよ」


 その時だった。店の引き戸ががらがらと開かれ、「皆さん!」と威勢の良い若い男の声が響く。


「やっぱりここにいた!」


 松本だ。横山との見事な連携で点をもぎ取るうちの期待のFWが、『井上鮮魚店』と書かれた帽子とジャンパーを着て店に入ってきたのだ。手には大きな発泡スチロールの箱を抱えている。


「おう、配達ご苦労さん」


 酔っ払ったメンバーがコップを掲げる。


 キャプテンも「どうしたんだ、仕事中だろ?」と眠そうな目で尋ねた。


「いえ、店長が勝ったと聞いて、これ持ってけって」


 そう言って松本はカウンターに箱を置くと、蓋を外した。


 中身を見た俺たちは「おおっ」と歓声を上げる。


「うお、クエじゃないか!」


 氷と一緒に収められていたのは、巨大な巨大な白身魚の切り身。素人は一見何の魚かはわからないだろう。だが俺たちにとっては最高のご馳走だった。


 ハタ科の魚、クエは和歌山の海が育む最高の宝石だ。大きな個体では1メートルを超えるこの巨大魚は煮ても焼いても刺身でも、他の魚が食べられなくなるほどの美味だ。


 しかし希少性のためキロ単位1万円は下らない。地元でも滅多に口にできない超高級魚に、わかやまFCは沸き立った。


「あんがとよ松本、一杯やってくか?」


「車なんでご遠慮しときます」


 先輩の誘いを松本は断る。店の前に魚屋のトラックを停めているのだろう。


 松本は定職に就いていない。サッカーに打ち込むため、バイトで生計を立てている。


 1年前にサッカーの名門大学を卒業したものの、プロ契約はおろか実業団に入ることもできなかった。そしてサッカーのできる場所を求め、実家の福岡からも遠く離れたわかやまFCに流れ着いてきたそうだ。


 そんな苦境にあっても松本はFWとして十分以上の活躍を見せている。サッカーに集中できるような環境が整えばもっと優れたパフォーマンスをこなしてくれるだろうに、本当勿体ない。


「じゃあ早速捌くね、お父さーん、ちょっとこっち来てー!」


 千穂が目を輝かせて店の奥で料理をしている父を呼んだ。


「魚屋のおっちゃんには感謝しないとな」


「ええ、恩返しはまずJFLに行くことですよ」


 そう言って盛り上がるわかやまFC。


 そんな簡単にいくかよ……俺は呆れながら親父が慣れた手つきでクエの身に包丁を入れるのを眺めていた。


 日本のサッカー界はJリーグをトップに、全国の市町村単位までピラミッド型の構造を形成している。


 トップはご存知J1リーグ、全国から選りすぐりの18クラブだ。選手のほぼ全員がプロ契約で、スター選手なら年俸数億円というまさに夢の舞台。


 その下がJ2リーグ、いわゆる2部リーグだ。新参の新興勢力やかつての古豪など22のクラブがJ1進出を巡って争っている。


 さらにその下にもJ3という3部リーグがあるのだが、Jリーグと呼べるのはここまで。ここより下は実業団や市民クラブなど、アマチュアが主体となる。


 それこそがJFL(日本フットボールリーグ)、プロアマ問わず全国18の強豪クラブが集う戦場だ。アマチュアにとってはここが最高峰だが、Jリーグ入りを目指すクラブには最後の通過点になる。このJFLで優秀な成績を残すことで、J3昇格が果たされるのだ。


 だが強豪のアマチュアは下手なJクラブより強い。多くのクラブが大手企業サッカー部などプロ級のクラブによって昇格を阻まれているのが実情だ。


 そしてこのJFLの下には全国を9つに分けた地域リーグが位置し、さらに下部に都道府県、市町村とより狭いエリアへとリーグは細分化している。そういった小さなクラブまで含めて全国には3万近くのクラブが存在し、それぞれが日々サッカーに励んでいるのだ。


 俺たちの属する関西サッカーリーグ1部は地域リーグに該当する。近畿2府4県から勝ち上がった8クラブが鎬を削っている。


 わかやまFCがJリーグまで昇格するにはまずここを突破し、JFLへとステップアップせねばならない。そのためには4月から9月までのリーグ戦を優勝し、さらに11月に開催される全国の地域リーグの優勝クラブの集う『全国地域サッカーチャンピオンズリーグ』を制する必要がある。


 詰まるところ俺たちがJリーグに至るまで、まだ関西1部、チャンピオンズリーグ、そしてJFLといくつもの高い壁が立ちはだかっているのだ。1勝できたからとこんなに浮かれているのでは、正直なところ次元が低すぎる。


「うまーい! よし、次も勝つぞ!」


 キャプテンがクエの刺身に舌鼓を打つと、他の連中も「おお!」と声を上げる。こいつらにはほとほと呆れさせられるが、まあもうしばらくは付き合ってやるか。

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