1-4 作戦勝ち
「ほら、パパが入ってきたわよ」
いよいよ今季第3節、入場するわかやまアプリコットFCと天王寺電工サッカー部の選手たちを、歓声が迎え入れる。開幕からの連敗にも関わらず、スタジアムにはわかやまFCのサポーター700人が集まっていた。
「柊レイさーん、こっち向いてくださーい!」
おそらく美人新監督の噂を聞きつけたのだろう、その大半はおじさん世代だった。
「あれ、兄さんスタメンじゃないの?」
スコアボードに映し出された選手一覧を見たのだろう、観客席の千穂が漏らすのが聞こえる。
「くそ、どうして俺がベンチに……」
芝の上に散らばる選手たちを見送ると、俺はベンチに座り込んだ。
俺の背番号は4。チームの壁役である正センターバックにのみ許される神聖なる番号。だが今日、ピッチに立っているのは補欠の15番だ。
白線ギリギリの位置で立っていた柊監督の顔を覗き込んでみると、味方はもちろん敵選手までひとりひとりの動きを睨みつけるように観察している。たしかに整った顔立ちでも、言いようのない寒気を感じさせるものだった。
そしていよいよキックオフ。先攻のわかやまFCがボールをセンターラインから後方へと送り、その間に両チームともFWやMFがわっと敵陣まで上る。
そして相手FWが走り寄ってプレッシャーをかけるのをいなしながら、DFやMFでボールを回して突破の機会をうかがう。
現代サッカーの基本はポゼッションフットボール、ショートパスで仲間同士つなぎながらいかに長い時間ボールをキープするかが大切だ。こうなると相手はボールを奪うため走り回らねばならず、必要以上に体力を消費する。
そして時間をかけて布陣全体を前に進め、チャンスが来たら一気に攻め込むのだ。このポゼッションサッカーは実現に相応の習熟が要されるものの相手にも守備を固められる時間ができるので、総じて強いチーム同士の試合では0-0や1-0といったロースコアの試合になりやすい。
「この角度から試合を見るのも久しぶりだな……」
いつもならチームの最後尾で他のメンバーを見守っているのが、側面から見てみると全く感覚に陥る。攻めて守って、こいつらこんなにもピッチを行き来していたのかと改めて感心してしまう。
そして要注意の相手FW。うちの横山と同じくストライカーとしての役割を任されているのか、ボールが自陣深くまで持ち込まれても絶対に戻ることは無い。カウンターで蹴り出されたボールをすぐにでも拾おうという位置取りだ。
そうこうしている間に相手FWまでボールが回される。
だがわかやまのDFがすかさず走り寄ってシュートコースを塞ぐと、相手FWはパスで素早くボールを戻した。
「仕掛けようとはしないのですね」
「ああやって前半の間はパスを回してはわかやまの選手を惹きつけ体力を消耗させているのでしょう。後半になれば持ち前のスタミナで勝負をかけるはずです」
呟いた俺に監督は振り返りもせずじっとボールを目で追いながら言い放つ。
結局前半は両チームとも決定機は無く、無得点のまま終了した。
「ふう、なんとか守った」
普段スタメンに出ることは滅多に無い補欠の後輩が汗だくになってベンチに戻る。自分のなすべきことをきっちり果たしたその表情かおは実に爽やかだった。
「釜田さん、後半お願いします。ここからが本当の勝負ですよ」
「ええ、言われなくともわかってますとも」
監督に歩く口答えしながら後半、GK岩尾のすぐ前に陣取った俺は屈伸で脚を慣らす。
試合再開の笛が響き、相手のキックオフと同時にFWが前に出る。
相手の動きは迅速だった。陣形が整うや否や、自陣ゴール前で遊ばせていたボールをすぐさま仲間のMFにパスで送る。そしてドリブルと縦パスで素早く前へと運ぶと、あっという間にFWまでボールが渡されたのだった。
させるか!
俺は足を伸ばしてインターセプトする。こういう時に脚の長さ、身長の高さが強力な武器になる。
奪われたボールを取り返さんと相手が素早く踵を返すが、俺はくるりと背を向けてボールを守る。
地域リーグと言えど元Jリーガーの意地、1対1で奪われるほど衰えてはいない。それに俺は後半から入ったばかり、相手は前半も参加しており、いくらスタミナ自慢といえど疲れは隠せない。
「そら、行ったぞ!」
俺は素早くロングボールを敵陣へと蹴り出した。落ちた先で待ち構えていたのはFWの横山、ちょうど他の天王寺電工の選手たちが攻め上がってきているので、ゴール前の守備が薄くなっているところだった。
「走れ!」
キャプテンが声を出すよりも先にFWのふたりは動いていた。向きをかえてドリブルする横山と、それに並走する松本は誰もいない芝の上を一気に走り抜ける。
「ボールを奪え!」
相手GKの指示に敵陣を守っていたDFがボールを奪いに一斉に駆け寄る。だが横山と松本の華麗なパスとフェイントが決まり、いとも簡単に避けられる。スタジアムの歓声がひと際大きくなった。
ついに松本がボールを持ったままゴールへと突き進む。相手GKは真っ向勝負上等、とでも言いたげに腕を広げている。
だが松本はシュートを放たず、足元のボールをそのまま軽く横へと軽くパスしてしまった。
意表を突かれたGKが慌てて反応するも既に手遅れだった。敵DFのマークを外れ、疾風の如く走り込んできた横山がワンタッチで蹴りつけたボールは弾丸のように鋭くゴールネットに突き刺さったのだ。
「よし、先制点だ!」
自陣で守備についていた俺とボランチの鳥山キャプテンがぐっと腕を振り上げた。
このようなカウンター狙いの相手で先制点を取るのはこっちにとって大いに有利だ。相手は勝つためには2点以上奪う必要があり、攻めてくるしかない。そうなると動きが単純になる上守備にも隙が生まれやすく、こちらとしても対処が容易になる。
何より俺が起点となって反撃に転じられたことが嬉しかった。ゴール前を守る俺が得点に貢献する機会はポジションの関係上なかなか恵まれないが、これほどうまく流れを生み出せたのは久しぶりではないだろうか。
喜びのあまり思わずベンチに眼を向ける。だがその途端、俺は振り上げた腕を下ろしてしまった。柊監督は口角を少しだけ上げながら小さく拍手していたのだ。
監督の言う通りになってしまったのは俺にとって面白い結果ではない。一回作戦が決まったからと言ってこれですべて通用するとは思わないでほしい。
だがまあ……今シーズンくらいは付き合ってやってもかまわないだろう。
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