1-3 たまり場のわかやまFC
「なんだよあの女は!?」
俺は酒を飲み干したコップを叩き付けるように机に置いた。
「くたくたでから揚げが喉を通らん……明日の仕事に響く」
「へえ、柊監督ってそんなに練習きついんだ」
そんな俺たちを見て妹の千穂ちほはとくとくとコップに酒を注ぐと、これまた疲れ切った顔の横山に「はい」と手渡した。
ここは俺の自宅、もといその1階の料理屋だ。ひい爺さんの代から受け継がれているこの店は、昼間は近所の会社や工場の従業員向けの定食屋、夜は居酒屋として営業している。今は父さんと母さん、そして大学生の妹の3人で切り盛りしているが、俺も手の空いている日には雑用係として駆り出される。
練習場からも近いこの店はわかやまFCの選手たちのたまり場になっていた。店内には選手の写真やユニフォーム、応援旗が至る所に飾られている。今日も俺と岩尾に鳥山キャプテン、そして横山と松本のFWコンビの5人がカウンターに並んでいた。そろいもそろって全員、あまりの疲労に覇気を失っている。
「きついきつい。あんなの久しぶり、Jリーグにいた時以来だよ」
普段弱音を吐かないキャプテンでさえもビールをがぶ飲みして愚痴をこぼす。
「あの練習についてこれたんだから、女子高生のサッカー部ってすごいよな」
比較的元気な横山が隣の松本と頷き合う。24歳と23歳の若手FWはいつも一緒だ。
「まったく、女に監督ができるかってんだ」
俺が口を開くと、千穂はすかさず「兄さん、その発言は女性差別よ」と頬を膨らませた。
「差別じゃねえよ、女子と男子じゃフィジカル面で違いがありすぎる。女子日本代表でもそこらの男子高校生に敵わないのが現実だ。少年サッカーに毛の生えたレベルで成功しても、関西1部で通用するはずがない」
千穂が「そんなあ」と口ごもっていると、横からキャプテンがフォローを入れた。
「でも外国じゃプロのクラブを女性監督がまとめていることもある。それにまだ練習試合さえやってないだろ、本番はわからないぞ」
「そんなわかりきってること、試すまでもありません。本当、社長は本気で優勝するつもりあるのか?」
「僕はありますよ」
口をはさんできたのは横山だった。このうちの点取り屋は波打つコップの水面をじっと見つめ、静かにしかし力強く話し出す。
「今年こそ優勝したい、そしてJFL(日本フットボールリーグ)に昇格して、わかやまアプリコットFCの名を全国に轟かせたいと心の底から思っています」
そして新たなる監督に可能性を見出してか、ぎらぎらと目を輝かせる。そんなまっすぐすぎる姿勢に俺は心底呆れてしまった。
「お前なあ、現実見ろよ。去年は5位、全社(全国社会人サッカー選手権)でも1回戦敗退だ。その時のメンバーとほとんど変更ないうちがJFLに行けると思うか?」
「兄さんて現実家ってより、単にイヤミったらしいだけよね」
「うるさい、現実に揉まれたことの無い千穂に何が分かる」
俺だってかつては向上心に溢れていた。サッカーの強豪校で力をつけ、名門サッカー部を擁する東京の大学に入り、卒業後はJ2のクラブに入団もした。
だが入団直後、ハードワークが祟ったのか練習中にアキレス腱断裂の大けがを負ってしまう。それから3ヶ月間はボールを蹴ることすら許されなかった。そして満を持して復帰した時、俺のポストは既に別の選手で埋められていた。
その後調子を取り戻すまで時間を要した俺には試合出場の機会さえ与えられず、何の活躍もできないままチームを退団。地元和歌山に戻って関西1部リーグで足踏みしているわかやまアプリコットFCの入団テストを受け、プロ契約を結んだのだった。とはいえ出場給や勝利給を合わせても給料は虚しくなる金額しかもらえず、試合や練習の無い時はクラブの運営するサッカースクールでコーチをしている。
大学を卒業したばかりの頃の希望に溢れていた俺には、今25歳の自分がこんなに落ちぶれているなどこれっぽっちも予想できなかった。
それでも俺はプロ契約を取れているだけまだマシな方だ。J1やJ2の選手とは比べものにならないほど安くとも、まだサッカーで食っていけるのだから。
うちのチームのメンバーはほとんどがアマチュア契約、みんな別に仕事を持っていて、その合間に選手として活動している。工場勤務、農家の手伝い、GKの岩尾は先ほど話したように介護士だ。中には定職に就けずアルバイトで糊口をしのいでいる選手もいる。
プロ契約は俺と鳥山キャプテン、そしてFWの横山の3人だけ。いずれも各ポジションの主力としてチームを引っ張っている。
本当にどうしようもない現実。上を目指すにも余裕がなく、仕事とサッカーの両立だけでいっぱいいっぱい。それが俺たちわかやまアプリコットFCだ。
そもそもアプリコットなんて、どうしてこんな弱そうな名前付けたんだ?
「じゃあ、これうちからのサービスね。次の試合は見に行けるから、絶対に勝ってね!」
嫌なことを思い出してむかむかしていると、いつの間にやら千穂がイカの刺身を俺たちの前に置いていた。今朝、和歌浦湾わかのうらわんで獲れたばかりの新鮮なアオリイカだ。
「ありがとう千穂ちゃん。もちろん、絶対に勝ってくるよ」
透き通るようなイカと妹の笑顔に、疲れたメンバーの顔もついほころぶ。
本当、おめでたい奴らだ。
翌週末、またしてもホームで迎えたのは大阪の実業団、天王寺電工。昨季リーグ2位の実力を誇る難敵だ。
「今日は嫁が子供を連れてきているから、絶対に出たいよ」
ユニフォームに着替え、ロッカールームのベンチに座った岩尾が意気込む。岩尾は数少ない妻帯者のひとりで夫婦ともに介護士として勤務しながら1歳の子供を育てている。29歳1児の父にしてサッカーに打ち込めるなんて、なんとも理解のある奥さんだ。
「では、今日のスタメンを発表します」
全員が着替え終わったところで部屋に入ってきた監督は、早速備え付けのホワイトボードにペンを走らせる。
GKは岩尾、鳥山キャプテンはMF、そして横山と松本のFWツートップはいつも通り。うちが最も得意とする4-4-2(DF4人、MF4人、FW2人)の布陣だ。
「……え?」
だが選手の名前を見た俺は愕然とした。今日のスタメンはいつもと決定的に違う点が、ひとつある。
「俺の名前が無いだと!?」
いくら見直しても、『釜田』の名はどこにも無かった。当然俺だけでなく、メンバー全員がざわついていた。
これはどういうことだ、俺は他よりも優れているからプロ契約を結べているんだぞ。その俺をスタメンから外すなんて、どういう了見だ?
「釜田さんは今日の試合ベンチスタートです」
素っ気なく言い放つ監督に、俺は「どういう意味です?」と強く訊き返した。
こんな屈辱は受けたことがない。元Jリーガーとして、プロ選手としてのプライドを粉々に砕かれた気分だ。
「格上の天王寺電工を攻略するにはこれまでとはまた違う作戦が必要です。過去の試合を見ると相手の主力FWはスタミナに非常に優れていて、得点のほとんどが後半に集中しています。そこでDFの釜田さんを後半まで温存し、相手が攻め上がってきたところでボールを奪い、カウンターで点を取ろうというのが狙いです」
「俺が90分入っていればいいだけじゃないですか! 俺のポジションは
「いえ、それでは恐らく突破されてしまいます」
軽く声を荒げても柊監督は平然としていた。
「去年のわかやまFCとの試合の動画を見ると、先発していた釜田さんは前半はしのいでいたのですが、後半35分にかわされたことが失点につながっていました。後半に入って運動量が落ちていたのは明白です。相手は去年よりも腕を上げているはずです、現状のままでは通用しません」
言い返す言葉も無い。
「釜田、監督の指示だ。おとなしく従え」
キャプテンも渋い顔を向けながら俺に追い討ちをかける。
もうどうにでもなれ。俺は「今回限りですよ」と悪態をつくように吐き捨てた。
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