3-3 急転直下

「横山選手のトルコへの移籍が決まったというのは本当ですか!?」


「シーズン途中の退団に関して、何か一言お願いします」


 いつの間に聞きつけたのやら、運営会社の入っているビルの前にはスポーツ新聞やテレビ局の記者が大勢押し掛けていた。本社にこれだけの取材がやってきたのはクラブ創設以来初めてのことだが、その内容がスター選手の電撃移籍とは皮肉なものだ。


「俺たちから話せることはありません」


 撮影するなと言いたげにキャプテンが手を振りながら記者を掻き分けると、俺達もそれに続く。最後尾には岩尾に背中を押されながらとぼとぼと歩く松本も続いていた。


 記者たちを撒いたわかやまFCは各自バスやタクシーに乗り込んで家へと向かう。俺はビル近くの駐車場に停めていた岩尾の自家用車の助手席に乗り込んだ。後部座席には松本も座り込む。


 運転席の岩尾がキーを回し、車を発進させる。練習場で落ち合うことの多い俺たちが本社ビルを訪ねることは稀だ。さらに市街地にあるこのビルに全員分の車を置くことはできない。公共交通機関を使うなり仲の良い者同士分乗するのが基本だ。


「横山ならいつか上のリーグに行けるとは思っていたけど……」


 信号待ちをしながら岩尾がぼそっと呟くと、ずっと黙っていた俺たちも次々に口を開いた。まさか二段も三段もステップアップしてしまうなんて。


「あいつは俺たちといっしょにサッカーをしていたようで、実はずっと違う次元に居続けたんだよ」


 俺は窓の外を見ながらつっけんどんに言った。


 チームにとっての影響も当然だが、俺たちが関西一部でもがいている間にひとりだけ先に行ってしまう。俺はそれを心よく受け入れられるほど懐の広い人間ではなかった。


 そのことを自覚しているだけに、余計惨めな気分になってしまう。それならば自分もサッカーがうまくなれば良いだけの話、成功者を羨むのはよいが逆恨みするのは違う。


 だが他のメンバーも少なからず俺と同じような感情を抱いているようだった。


「横山さん……」


 言葉にできない感情に苛まれているのだろう。じっと足元に目を落としていた松本に、岩尾はわざとらしく明るく声をかけた。


「松本、これからバイトなんだろ? 送るよ」




「兄さん、何よ今日の試合!?」


 家に帰った途端、カウンターに立っていた千穂の怒鳴り声が店に響いた。


 ここ数日は練習どころではなかった。横山の移籍をきっかけにチーム内の意識の差が顕在化し、雰囲気は最悪にまで落ち込んでいた。


 横山の意思と運営陣の意向も汲み取ろうという賛同派とリーグ中盤での移籍とは何事かという否定派とは、言葉を交わさずとも分断されていた。練習も声の掛け合いすらろくに行われない異常事態だった。


 監督と横山が合流しても賛同派はよそよそしいまでのポジティブさで接し、一方で否定派は目をも合わさんと一方的に壁を作る。


 岩尾やキャプテンが両派の仲を取り持とうとしても互いの溝は埋まらず、ただいたずらに時間だけが過ぎていった。


 その不和は今日の試合にも表れている。今年2部から上がったばかりでまだ1勝もしていない格下の姫路マイスター相手に、開始早々いきなりの2失点。俺たちの戦列はガタガタだった。


 前線に力無いパスを回し、最後は横山のリーグ離れした実力でハットトリックを決めたのでなんとか辛勝できたものの、チームワークの崩壊したわかやまFCに観客からはブーイングが巻き起こったのだった。


 横山を誰よりも慕っていた松本も、いつものコンビネーションは完全になりを潜めていた。あまりの有様に前半途中で選手交替を命じられたほどだ。


 俺は何も答えず「晩飯」とだけ言う。


「まったく、みんな大人になりなさいよ」


 チームの内部事情を聞いている千穂は不服ながらも温めていた煮物を小鉢によそう。


 ここ最近、俺たちわかやまFCは毎日記者からの質問攻めで心身ともにストレスが溜まっていた。


 ニュースでも関西一部からトルコの強豪クラブへの移籍は前代未聞の大出世とあって連日取りざたされている。全国規模のスポーツ番組からも取材を受け、わかやまFCにはかつてない注目が集まっていた。期待するファンは数知れないが、当事者である俺たちにとってはそんな好意的に受け取れる内容ではなかった。


「こんばんはー」


 聞き慣れた声とともに店の扉が開けられる。


「岩尾さん、松本さん!」


「やあ千穂ちゃん」


 入ってきたのは岩尾と松本だった。いつもの気さくな様子の岩尾の隣には、すっかりしょげこんだ松本がくっついていた。


「僕たち監督にこっぴどく叱られてね。あんな顔する監督始めて見たよ。今日は傷を舐め合うから、たくさん飲むよ」


 そう言って岩尾は松本をカウンター席に座らせる。本当に気の回る奴だ。こういう気遣いから、チームメイトは全員岩尾のことをわかやまFCの良心だと思っている。


 この日の俺たちは超がつくほどハイペースだった。お通しもほどほどにいきなり度の強い焼酎をバカスカ飲み交わし、思いの丈をぶちまける。


「まあ前向きに考えよう。横山の移籍のおかげでわかやまFCに注目が集まっているのは事実なんだし、これをチャンスにもっと人気取れるよ」


 顔を赤くした岩尾が言うと、イカの刺身を醤油をべったりと浸しながら俺は答えた。


「人気を引っ張ってたのは横山だろ。あいつがいなくなればカスしか残らねえぞ」


「本当、残りカスの気持ちも考えてほしいです」


「松本さんがカスなら兄さんなんて耳垢みたいなものじゃない」


「千穂、お前はその耳クソの妹だからな」


 いつも以上の汚い飲み。そこにまたしても新たな客が訪れる。


「邪魔するぜー、よう千穂ちゃん」


「キャプテン、ちょっとこの人たちどうにかしてよ」


 カウンターに肘をついて千穂がため息を吐いた。俺たちがどんな話をしていたか大方予想はついていたのだろう、キャプテンは苦笑いしながら席に着く。


「女々しいなお前たち、何そんなに沈んでんだよ」


「キャプテンはいいのですか、横山が抜けても」


「横山さん……僕たちだけ残して……」


 ぶーぶーと垂れるメンバーに、キャプテンは呆れたように言った。


「松本、横山だって人間だ。向上心もあればこんな地域リーグを抜け出して上に行きたいって気持ちもある。むしろ爽やかに送り出してやるのが俺たちのやるべきことだろ」


「それはわかっています。ですが……やっぱり僕は横山さんと一緒に優勝したかった」


「お前なぁ、横山がいないと何もできないのか?」


 聞いて松本はキャプテンを一瞬睨みつけた。だがすぐに弱々しく俯くと、焼酎のロックを一気に飲み干したのだった。


「正直言うと自信無いんですよ……横山さんみたいにずば抜けたプレイヤーがいなくなると、その穴は僕たちみんなが埋めなくちゃならない。でも本当にそれができるのかなって」


 キャプテンはじっと静かに聞いていたが、突如無言でスマホを取り出し、どこかに電話をかける。


「もしもし、良い頃合いですよ」


「どこにかけてるんです?」


 アツアツのから揚げを頬張っていた俺が訊く。だがキャプテンはそんな俺を無視し、突っ伏している松本を小突いた。


「松本、実はお前に大切な話があるんだ。が、それは本人の口から聞いた方がいいだろな」


 その時、店の引き戸がガララと開けられる。


「いらっしゃいま……せ!?」


 千穂の声が途中で裏返った。


 当然だろう、普段絶対にここには来ない人たちの突然の来訪に、俺たちは全員飛び上がって驚いた。


「監督!?」


「それに社長!?」


 俺は口に入れていたから揚げをポロリと落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る