5-1 争奪戦
後半戦第6試合を目の前に控えたある日の練習後、俺は監督に呼び出された。
「釜田さんの最近の上達ぶりには驚かされています」
手にしたバインダーと俺の顔とで目線を何度も行き来させながら、監督は相変わらずいつもの淡々とした調子でしゃべる。その隣には対照的に、嬉しさで困惑を塗り隠したようににこにこと笑う社長が立っていた。
「釜田君、前回の試合は大活躍だったね。あのカウンターはさすがにやられたって思ったのに、まさか全部はじき返しちゃうんだもの」
前回の試合でも俺はSBでスタートしたものの、後半からは檜川さんとポジションを替わるよう指示された。そこで俺は他のDFに指示を飛ばしながら、無失点に抑えたのである。
いやあ、それほどでもと謙遜の態度でも示しておきたいところだが、生憎それはできない。何せ今俺の隣には、檜川さんも立っているのだから。
「檜川さん、多くの経験を基にDFを引っ張っていく姿は若いメンバーの目標となっています。特に咄嗟の事態への対応は目を見張るものがあります」
「はい、ありがとうございます」
顔色一つ変えず、檜川さんは深々と頭を下げる。この人は試合中のダイナミックなプレーからは想像できないが、普段は自分から口を開くことは無く怒っているのか笑っているのか、何を考えているのかさえも今ひとつつかみきれない。
「率直な話、柊監督は今すごく悩んでいるんだ」
社長が口をはさむ。監督の口からは伝えづらい内容であっても、この社長は包み隠さずいつもの口調で話してくれる。
「ふたりはCBとして戦力的に拮抗している、どちらも甲乙つけがたい。だからこそ決められないんだ、最終戦の茨木FC戦をどういう布陣で挑むべきか。本当、今までうちのクラブが経験したことのない贅沢な悩みだよ」
そういうことか。俺はちらりと隣の檜川さんに目を移した。だが檜川さんはじっと目を監督に向けたままだったので、俺はすぐ視線を元に戻した。
「先にお伝えしておきます。次の試合は前半後半に分かれておふたりともに出場してもらいます。それを基に最終戦のポジションを決めます。心づもりをしておいてください」
「はい!」
俺と檜川さんは声をそろえて返事をし、そのまま帰路に就いた。その最中、言葉を交わすことは一切なかった。
次の相手は姫路マイスター。去年2部リーグから上がってきたものの勝ち点を稼げず、結局1部で最下位争いを演じているチームだ。つまり格下も格下、Jリーグ経験者もいるわかやまFCなら順当にいって負けるはずがない。
だがそんな勝ちの見込める試合であっても、俺と檜川さんにとっては重要な一戦となってしまった。まさかここを正CBの最終テストを持ってくるとは。
最終戦はご存知関西1部最強の茨木FC。フェルナンド・ヤマガタをはじめ往年のプロ選手をそろえた別次元の強さを誇るクラブだ。今年も開幕から常時リーグ首位に居座り続けて絶好調ぶりを発揮していたが、後半戦はわかやまFCの怒涛の追い上げもあって徐々に差が縮まってきている。
そして次の試合でも茨木FCとうちとが勝利した場合、最終戦を前にこの2チームで首位か2位かが確定する。その差はわずか勝ち点2、よりにもよって優勝はリーグ最終戦の直接対決で決定してしまうことになる。競技は違うが1994年のプロ野球セ・リーグで実際に起こった10.8決戦のような状態だ。
詰まるところ絶対に落とせない試合。そんな重要な勝負でCBをどちらに任せるか、監督にとっても悩みの種だろう。実力が同等となれば尚更だ。
「釜田、負けるなよ」
事情を察してくれているのだろう、駐車場の自販機の前で缶コーヒーを飲んでいた岩尾が俺に向かって拳を突き出す。
俺も拳を突き返して岩尾に応える。だが自販機の前に立った俺は、百円玉を投入しながら返したのだった。
「ありがとな岩尾。でも負けるとか勝つとか、そういう話じゃないんだ。俺は全力出し切って、あとは監督に従うだけだよ」
練習後は疲労回復のための糖質とミネラルを補給しないとな。そう考えた末に俺が押したのははちみつレモンのペットボトルだった。
ガコンという音とともに取り出し口に転がるペットボトル。それを拾い上げた俺は、早速キャップを外し、冷たいジュースを胃に流し込んだのだった。
「お前、変わったなあ」
岩尾はにやつきながら、残っていた缶コーヒーを飲み干した。
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