3-1 怪しい男

 新体制にも順応したわかやまアプリコットFCはその後も躍進を続けた。


 第5節では長年のライバル生駒サンチェルヴォに3-0で完勝し、開幕直後の不調を嘘のように払拭した。試合後には地元だけでなく関西地区全域でもテレビ番組で特集が組まれ、ファンの獲得を後押しした。


 だがやはり人気は柊監督、そしてFWの横山に集中していた。グッズの売り上げは加速度的に伸び、練習でも若い女性やおじさんが人垣を作ってグラウンドに押し掛け、「横山くーん」や「監督ー!」などと声援を贈るのだった。


 特に前の試合で2得点を奪ったのは大きかった。今となっては関西1部リーグは知らなくても、横山の名前は知っているというファンも多い。


「すごい人気だな」


 声援のことなど一切気にかけず、ひたすらドリブル練習に励む横山。そんな真剣な姿を眺めながら、ドリンクを飲んでいた俺たちはぼそっと呟いた。6月に入り暑さがきつくなるにつれ、ファンの熱気はさらに増していた。


「俺たちにもあの応援の1割だけでも分けてもらいたいもんだよ」


 GKの岩尾が冗談ぽく言う。だがふと黄色い歓声を送るファンから目を逸らすと、ネット越しに練習の様子を離れて見ている人影を見つけて「あれ?」と首を傾げたのだった。


「おい、あれ社長じゃないか?」


 岩尾が指差す先を、俺たちはじっと見つめる。遠目でもスーツを着た社長とわかる見慣れたシルエット、その隣に立っていたのはでっぷりと腹の突き出た浅黒い肌の大柄な男と、すっと背の高い若い男だった。見た目からして日本人ではない。


「本当だ、誰と一緒にいるんだろう。外国人か?」


「まさかわかやまアプリコットFCが海外進出とかあったりしてな」


「そんな実力、無いだろ」


 はははと笑い飛ばすわかやまFCのメンバーたち。そんな俺たちの声などまるで一切シャットアウトしているように、横山はひたすら練習に打ち込んでいた。




「ふう、今日も疲れたな……」


 練習を終えた俺たちはそれぞれ帰路に就く。練習場の運動公園の敷地を連れ立って歩きながらガチガチに固まった肩をコンコンと叩くと、学生の頃とは身体もだいぶ変わってきたことを実感する。


「疲れた時にはここのはちみつレモンが一番だぜ」


 ちょうど目についた自動販売機の前にメンバーの一人が駆け寄る。


「お前は子供か」


 俺は呆れて言い放つも、財布から硬貨を取り出している姿を見ていると俺の喉も一気に渇いたような気がした。


 スポーツドリンクでも買おうか。そう思ってズボンの尻ポケットに手を伸ばす。だが直後、いつもそこに入れているはずの財布が無いことに俺は気付いたのだった。


「あれ、財布がねえ!」


 慌ててカバンの中も覗き込む。だがジャージをひっくり返してみても財布は見つからなかった。


「更衣室に忘れたんじゃないか?」


「もう閉まってるだろ。事務所に届けられてるかもしれねえ」


 口々に言うメンバーたち。もしかしたら着替えている最中にポケットから滑り落ちたのかもしれない。


「ああ、ちょっと取ってくるわ。お前ら先帰っとけ」


 俺はダッシュで来た道を戻り、練習場近くの事務所に向かった。


 予想通り、財布は更衣室に落ちていたようだ。用務員さんが掃除の時に見つけ、事務所に届け出たらしい。財布を受け取った俺は安心しながらすっかり日も暮れ、誰もいなくなった運動公園を歩いていた。


「親切な用務員さんに感謝感謝……と?」


 だが駐車場に差し掛かったとき、俺はどこからか聞こえてくる話し声に足を止めた。


 見ると黒塗りの高級車の前で話し合う数名の人物。そう、社長と監督、そして先ほど見かけた外国人ふたり。そしてもうひとり、見慣れた人物が混じっているのに俺は言葉も出ないくらいに驚いた。


「横山……なんで?」


 FWの横山だった。わかやまFCの主力で、さらに一番人気のスター選手。最近のわかやまFCバブルは横山の活躍あってのものだと誰もが認めている。


 そんな横山がいつも以上に真剣な面持ちでじっと固まっている。俺は耳を傾けた。


「横山さんのプレーは素晴らしい。この前の試合での2得点は他を圧倒している」


 肥えた男が英語ではないどこかの外国語でまくしたてると、背の高い金髪の男が日本語に直す。通訳のようだ。


「ありがとうございます」


 横山がぺこりと頭を下げる。


「では、以前お話ししたように?」


 すかさず社長が尋ねると通訳の男は外国語で肥えた男に伝えた。それを受けて浅黒い肌の大男はにこりと微笑むと、太い手をすっと突き出したのだった。


「当然です、我がイスタンブール・イニチェリSKは全面的にそちらの条件を呑んで契約いたしましょう。横山さん、8月の開幕に間に合うようトルコのスュペル・リグにすぐにでもお越しください」


 通訳が淡々と伝える。聞くなり社長も男の手を握り返した。横山も監督も、ほっと安心したように笑みをこぼしている。


 だが俺はあまりのショックに息をするのも忘れて固まってしまった。

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