6-5 魂の連鎖
せっかくのところでオフサイドとは。相手選手にボールを渡し、自陣に戻る檜川さんの足取りは重く影さえも背負っているようだった。
「さっきまでDFはゴール前にいたのに」
岩尾も苦虫を潰したように顔を歪めていた。
「きっと檜川さんがサイドから上がっているのに気付いて、全員が前に動いたんだな」
唸りながら俺が呟くと、岩尾は「オフサイドトラップを使われたのか!?」と仰天した。
サッカーと言えばあらゆる球技の中でも特にわかりやすいルールが特徴だ。小さな子供でもしばらく試合を眺めるだけで、直感的に決まり事を理解できる。
しかしそんな比較的単純なサッカーにおいても、最も複雑なルールと言えるのがこのオフサイドだろう。味方に向けてパスをした瞬間、相手ゴールまでとボールを受け取った味方選手の間に相手GK以外の選手が誰もいない場合は反則となり、相手にフリーキックが与えられるというものだ。
つまりはしっかりと細かいパスをつなぐよう、大きくボールを蹴り出して敵ゴール前まで一気に運ぶことを禁じたルールだ。もしオフサイドが設けられていなければ、今日のサッカーはボールがゴールを行ったり来たりするだけの大味なスポーツになっていただろう。
そしてこのルールを利用して試合を有利に進めるテクニックがオフサイドトラップだ。攻撃側が前線にパスを出すまさにその時、守備の選手が敵ゴール側に一斉に走り込むことでわざとオフサイドを起こしてフリーキックを得るのだ。これを成功させるにはチームの連携が必要で高度に先を読む力も要求されるが、相手の意表を突いて攻撃を未然に防ぐ隠し技としてその効果は絶大だ。
というわけで両軍ともに仕切り直し、センターライン付近からの茨木FCのフリーキックで試合は再開される。案の定、後ろの味方へとボールは回され、わかやまFCの手の届かない安全地帯へと引っ込められてしまった。相手にボールが渡れば強気のカウンターを、逆に自分たちが持てば鮮やかなポゼッションサッカーを見せつける茨木FCの切り替えの速さと連動性は元Jリーガーならではの手強さだ。
それでも諦めず先ほどと同様、わかやまFCの攻撃陣はボールを奪いに敵陣を駆け巡る。だが一度使った戦術がそう何度も通用するわけもなく、あっちこっちにボールを回され俺たちは翻弄され続けた。
後半もかなり時間が経ってしまった。開始早々でのシュートの打ち合い以降、試合は完全に膠着状態に突入していた。この状況は茨木にとっては好都合であるのだが、何としても得点を決めたいわかやまにとっては貴重な時間を削られる一方だ。
打開策は無いものか。選手も観客も、皆が皆フラストレーションに苛まれながらも思考を巡らしているのが伝わる。
「MF、もっとラインを上げろ!」
その時響いたのはキャプテンの声だった。後半も既に30分を経過し攻める以外の選択肢が残されていないこの場において、強気にも鳥山キャプテンは守備をDFのみに任せ、MF全員を攻撃参加させるつもりだ。
「キャプテン、この人数じゃ守備が不安ですよ」
DFの後輩が懇願する。だがキャプテンは首を横に振った。
「いや、これは賭けだ」
その声には力がこもっていた。弱音を漏らした後輩もうっと押し黙ってしまう。
「待てども待てども試合が動かないのなら、俺たちで動かさなきゃならねえ。この大一番で勝負を仕掛けて負けるよりも、敗北を恐れて優勝を逃す方がみっともねえ」
そう言い残して守備位置を前へと移動させたキャプテンは、センターライン付近のフェルナンドをしっかりとマークした。
極端なまでの守備シフト。この変化にベテランぞろいの茨木FCが気付かないはずが無い。そして同時に守備の薄さにも。消極的な試合運びを進める敵チームだが、ここまで確実性の高いゴールチャンスを見逃せるわけが無かった。
松本たちをたち十分惹きつけた敵DFが大きく蹴り出した。狙うはわかやまFCの陣形の最大の穴、DFとMFの間の広大なスペースだ。
狙い通り、センターラインを越えたボールを最初に拾ったのは相手FWだった。それをすぐさま並走するフェルナンドにつないだ瞬間、ボールはまるで命を吹き込まれたように自由自在に芝を転がり始める。彼のドリブルは群を抜いていた。
だがその時、俺はようやく理解した。カウンターの間は敵の守備も乱れている。ここで奪い返しさえすれば、俺たちにも反撃のチャンスは巡ってくるはずだ。
つまりはこのフェルナンドのドリブルを、DF3人で止めろということか!
全身の血が沸騰した。足が軽くなって空を飛んでいるような心地さえした。気が付けば俺はゴール前から駆け出し、フェルナンドめがけまっすぐに突っ込んでいた。
「いったれええええええ!」
茨木FCファンの大歓声。誰も彼もがフェルナンドの突破と決勝弾を期待していた。
「させるかああああああ!」
対抗するわかやまFCファンの怒号にも似た大絶叫。ふたつの声援を受け、俺とフェルナンドの身体はピッチで交錯する。
まさにふたりがぶつかる直前のことだった。フェルナンドはちらりと足元を見るとボールを救い上げるように足を動かしたのだ。小さい頃からずっとプレーを見てきたスター選手だ、こういう場面で何を仕掛けてくるか大方の予想はついていた。
ボールが宙に高く舞い上がる。相手選手の頭上をボールを飛び越えさせてのドリブル突破、フェルナンドをファンタジスタたらしめる真骨頂だ。
だがボールが垂直にふわっと浮き上がったその瞬間、走り込んでいた俺も芝を踏切り、身体を高くまで跳びはねさせていた。
ぎょっと目を剥くフェルナンド。その驚いた顔を見てにやりと笑ってやると、俺はちょうど上ってきたボールを額にクリーンヒットさせた。
勢いよく転がるボール。勢いあまって俺の身体は芝の上に倒れ込み、フェルナンドは間一髪で横に逃れた。
こぼれ球を最初に拾ったのはフェルナンドを追いかけて戻ってきた鳥山キャプテンだった。キャプテンはちらりと後ろを確認すると、前方から転がってきたボールを踵に引っ掛けて後方に送る。
それを受け取ったのは檜川さんだ。受け取った直後から檜川さんは手薄になっていたサイドを一気に駆け抜ける。慌てて敵MF陣も近付くが、センターラインを突破したところでやや後方に追走していた佐々木さんにパスをつないだ。
佐々木さんも持ち前の突破力で敵MFを振り切ると、いよいよペナルティエリア目前まで迫る。
俺の奪ったボールがつながって一本の道を描いている。当然その終点は敵ゴール、そこまでつながってこそのサッカーだ!
ボールは俺の、いや、わかやまFC全員の魂だ。わかやまFC全員の夢と想いを託されたこのボール、全員でつなぎ、最後のネットに叩き込むためここまで来たんだ!
それは選手だけではない。観客の声援に後押しされ、佐々木さんが芝を突っ走る。ボールには俺たちだけでなく、観客の応援もしみ込んでいる。
だがまだだ、ゴールは敵GKやDFががっちりと守りを固めている。このまま正面から枠内シュートを放っても、弾き返される可能性の方が高い。
とはいえ後方からは松本が、サイドからは檜川さんがゴールに向かって駆け上がっている。このままシュートを打つか、それともどちらかにパスを回すか、佐々木さんの決断にスタジアムの全員が注目していた。
「檜川さん!」
佐々木さんが檜川さんの方に目を向けた。ゴールを守る敵選手たちの視線が、一様に檜川さんに注がれる。こっちにパスを回すのかと、注意の対象を変更した。
だが佐々木さんの足は完全に逆だった。サイドの檜川さんではなく、そのパスは逆方向から上がっていた松本へと回されたのだ。
敵も俺も観客も、完全に虚を突かれた。慌てて視線を松本に移した時、そこに映り込んだのは腰の高さに飛んできたボールに合わせて身体を捻る松本姿。そして高く上げた脚で回し蹴りのようにボールを叩き付けるまさにその時だった。
芸術的なボレーシュート。心なしか一瞬、横山の姿が見えた気がした。
パスの勢いをさらに加速させた松本のシュートは、反応が遅れた敵にはボールに触れることさえ許さなかった。DFをすり抜けGKの身体をかいくぐり、ついにはネットに突き刺さったのだ。
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