6-6 歓喜の余韻

「兄さん、ほらここ!」


 朝、ジョギングから帰宅した途端、千穂が目の色を変えて駆け寄って来た。手にしていたのはスポーツ新聞、今朝配達されたばかりの最新版だった。その新聞を見せつけて指で指し示す。


「一面、わかやまFCが載ってる!」


「マジかよ!?」


 水分補給の冷蔵庫に向かうより先に、俺は新聞を手に取った。


 大阪に本社を置くスポーツ新聞だ。地元のニュースを取り上げるとはいえ、J1やJ2を差し置いて一面に『わかやまFC優勝』の文字が印刷されているのは奇跡のようなものだった。とはいえデカデカと写真が載っていたのは昨日の試合に勝った阪神タイガースだが、そこは仕方ない。


 新聞をめくり、二面の関連記事に移る。


「最後まで諦めなかったからこその勝利だった。守りを固める茨木FCに対し、凄絶なボールの奪い合いを見せたわかやまFCが、FW松本の劇的なシュートで勝利をもぎ取った」


 無意識の内に声に出して読んでいた。同時に昨日の出来事が今、目の前で起こっているかのように思い起こされる。


「ゴールを決めたわかやまFCに、今度は茨木FCの猛攻が襲い掛かる。フェルナンドはじめ往年のストライカーを揃えた茨木FCが12本ものシュートを放ち、試合は一方的な展開に。しかしわかやまFC選手全員による必死の守備が功を奏し、ゴールネットを守り切った」


 本当に、あのシュートの連続はきつかった。スイッチが入り包み隠さず本気を見せた茨木FCが、近距離中距離休みなく重いシュートを叩き込んできたのだ。


 その攻撃をしのいだのは俺たちDFとGKだった。足に胸に頭に、何発も何発も盾となってボールの雨をその身に受け続けたのだ、痛くないわけがない。だがそんなことはどうでもよかった、1点のリードを守り抜ければ俺たち守備陣の本懐は遂げられるのだ。


 そしてとうとう試合は終了。4月から始まったリーグ戦をわかやまFCは10勝3敗1分、茨木FCは10勝4敗と僅差での優勝が決定した。


 ホームでの直接対決を制した俺たちに贈られたのは拍手、歓声、そして雄叫び。観客も選手もそれぞれがあらゆる手段で歓喜を表現し、アナウンスが全く聞こえないほどの大音量が場内を覆った。


 試合後に開かれた優勝式典では運営委員長から手渡しで優勝プレートを授与され、マスコミ陣の前で堂々の記念撮影。同時に関西代表として11月に開かれる全国地域サッカーチャンピオンズリーグの出場権を得ることができた。


 そして何よりも嬉しかったのは茨木FCのフェルナンドからの一言だ。


「おめでとうわかやまFC! そしてありがとう、茨木FCがここまで強くなれたのも、すぐ傍にわかやまFCがいてくれたからだ」


 今は他チームのライバルとはいえ、フェルナンドは俺にとって幼少期からの憧れの選手であることに変わりはない。そんな尊敬すべきストライカーから褒められて、嬉しくないはずが無かろうか。


「僕たちは次の全国社会人選手権に出場する。そこで優勝して全国地域チャンピオンズリーグの出場権を得るから、是非また戦おう!」


「当然です、次も負けませんよ」


 チームを代表してキャプテンが握手を交わす。いつの間にやら涙を拭いたのだろうか、その眼は赤く充血していた。




 今日の練習は休みだ。だが来るべき大会に備え、大部分の選手は自主練に励んでいた。


 午前中にいつもの運動公園に着くと、ストレッチをしたりパスを出し合ったり、わかやまFCメンバー各々が軽めの練習に汗を流していた。


「あれ、岩尾は?」


 ジャージ姿で腕の筋を伸ばしていた俺は、近くで屈伸していたメンバーに尋ねる。


「あいつは今日は仕事だからな。昨日優勝したばっかりだってのに本当に大変だよな」


 そう言って笑う。


「どうも実感湧きませんね、自分たちが優勝したって」


 芝の上で股割りをしながら松本がぼそりと呟く。


 優勝したのは事実だ。実際にプレートも受け取ったし、インタビューにも応えた。来週には市内のホテルを借りての祝勝会も開かれる。


 だがあまりにも出来過ぎていて実感が伴ってこないのだ。こういう栄光は自分とは関係の無い、かけ離れた誰かの体験することであって、自分たちのような弱小チームが本当に引き起こしたのか、半信半疑の状態なのだ。


「バカ言うな、俺たち以外誰が優勝したってんだよ」


 そんな松本の頭を小突いたのは鳥山キャプテンだった。


「優勝して嬉しくないのか? 夢にまで見たLFL昇格のチャンスなんだぞ」


 誰よりも優勝を望み、そのためにすべてを捨ててきたキャプテンだ。実際のところ今回の優勝を最も身に感じているのはこの人だろう、証拠にその声はまるで血と肉が通っているようだった。


 怪訝そうに頭をさする松本に、キャプテンはスマホを取り出しぐいっと見せつける。


「それにほら、これ見て見ろ。横山からのメッセージだ」


「横山さんですか!?」


 松本はキャプテンのスマホを奪うように手に取ると、両手で持ちながら画面を食い入るように見つめた。


「わかやまFCの皆さん、優勝おめでとうございます! トルコからもネット中継でずっと試合を見ていました。全員が全員、持てる力を全て出し切ったからこその勝利だったと確信しています。特に松本君、あのボレーシュートは100点満点の150点でした、スュペル・リグのトップ選手でもあの動きはできません。本当なら私もわかやまFCでいっしょに優勝を味わいたかったのですが、心はいつも日本にあります。優勝が決定した瞬間、まるで自分のことのように部屋で騒いでいました……」


 読みながら松本の目がじわっと潤む。小さく「横山さん……!」と漏らすと、目をこすり顔を上げた。


「キャプテン、通話していいですか!?」


「落ち着け、今トルコは深夜だ。叩き起こしてやるなよ」


 松本にとって横山の存在はどれだけ大きかったのだろう。それはフェルナンドにとってのわかやまFCのように、すぐ近くにいたからこそ本気で強くなろうと思えた存在だったに違いない。


 そして俺にとっても。


「釜田君、今日も来てたのか」


 到着したばかりの檜川さんが声をかける。


「檜川さん、おはようございます」


 ストレッチをしながら軽く頭を下げる。俺にとっては檜川さんが目に見える目標だった。横山の移籍金で檜川さんが入団してこなかったら、今の俺は無かっただろう。サッカーへの情熱を取り戻せたのは檜川さん、そして横山のおかげだった。


「檜川さん、あとでパスの練習やりませんか?」


「ああ、準備運動したらすぐに始めよう」

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