5-3 圧倒的不利

「おいおい、今のは故意じゃないだろ!?」


「いや、今のハンドは得点機会の阻止だ。あれがなければまっすぐ入っていた」


 わかやまFCと姫路マイスターの選手が互いに審判に詰め寄っていた。


 あまりにも突然すぎる一発退場。だが判定は覆ることなく、審判は首を横に振るばかりだった。


「レッドカード、退場で姫路マイスターにPKです」


 不運にも後輩はペナルティエリアの中でハンドを起こしてしまった。イエローであれレッドであれ、こうなるのは確実。


 ファンの歓声にスタジアムが揺れた。負けていた姫路マイスターがわかやまFCに追いつくチャンスとあれば当然だろう。


「岩尾!」


 キャプテンがネット前に立つGKに喝を入れるように叫ぶ。GKの岩尾は屈伸をして身体を慣らしながらくるりと頷き返した。


 そして運命のPK戦。ゴール前にボールを置き、姫路選手がふうと呼吸を整える。対する岩尾は低く身構え、相手の目と足と、あらゆる部分をじっと観察していた。


 一息ついて、姫路の選手がボールを蹴り出す。低く鋭いシュート、ボールが飛び出す前から岩尾は既に動いていた。


「ああ!」


 ベンチで俺たちは思わず声をあげるが、すぐさま落胆に代わる。岩尾が飛んだのは反対方向だった。


 ゴールネットに突き刺さるボール。割れんばかりの大歓声。直後、スコアボードに1-1の数字が表示されると同時に前半終了のホイッスルが鳴り響いた。




「すみません、すみません」


「気にするな、俺が後半3点取る」


 泣き出しそうな後輩の肩にキャプテンが腕を回す。ハーフタイムのミーティングは久々の重々しい空気に包まれていた。ロッカールームに集まったメンバーは誰も声を上げず、ホワイトボードの前に立つ監督をじっと向いている。


 人員補強を行ってから比較的楽勝で進めてきた後半戦、メンバー全員がここまで真剣になったのは初めてかもしれない。


「後半は10人で戦わねばなりません」


 監督はペンを片手にホワイトボードを睨みつけていた。顔には出さないが、相当苛立っているのは誰にでもわかった。


 思わぬ形で追いつかれてしまった。ここで勝とうと思えばあと1点を奪い、さらに守り通さなくてはならない。


 もしこの試合でなければ引き分け狙いで守備に徹することもできただろうが、そうなれば優勝は一気に遠のく。姫路マイスターには勝利して勝ち点3を稼ぐことが至上命題だ。


「守勢に回っていては勝つことはできません。攻めの姿勢を貫いてください」


 俺たちは強く「はい!」と答える。だがそう言ったものの、個々の技術は俺たちの方が勝っているとはいえ1人少ないのは大きなハンデだ。


 似たような事例で、2018年サッカーワールドカップロシア大会グループリーグでの日本対コロンビア戦での出来事は記憶に新しい。試合開始早々、香川真司の放ったシュートにとびついたコロンビアの選手がハンドを取られて一発レッドカード。さらにペナルティエリア内での反則であったためにPKも与えられ、ここできっちりと得点を決めた日本はその後も数的優位を生かし61.2%という高いボールポゼッションで試合を進めた。そして後半28分、コーナーキックからの大迫勇也のヘディングシュートが決勝点となり勝利を収めたのである。


 コロンビアは当時世界ランキング13位の強豪。それを当時世界ランキング61位の日本が挙げた金星は世界に衝撃を与えた。さらにこの勝利は長い歴史を誇るワールドカップにおいて、アジアのチームが初めて南米のチーム相手に勝ったという歴史的な一戦となった。


 レッドカードがどれだけの不利を招くかは十分おわかりいただけただろう。


 では逆に、10人になったチームはどうすべきか?


 一般的にはFWをひとり減らし、守備を固めたサッカーを取ることが定石とされている。無理に攻め込まず、とにかく失点を防ぐ引き分け狙いの戦法を取ることが多い。


 この典型的な例が2014年ワールドカップブラジル大会グループリーグでの日本対ギリシャ戦だろう。ザッケローニ監督率いる日本代表は前評判も高く、この試合では勝利も見込まれていた。日本は攻め続け、前半38分で相手選手がイエローカードの累積で退場。絶好のチャンスに日本は歓喜した。


 しかし後半、ひとり多いはずの日本はどれだけ攻め込んでもネットを揺らすことができなかった。長身選手をゴール前にそろえ、守備に徹したギリシャの砦を崩すことができなかったのだ。


 結局試合はスコアレスドロー。この大会で得た勝ち点はギリシャ戦での引き分け1のみで、日本代表にとっては苦い思い出の残るワールドカップとなってしまった。


 この後半、どう点を取るか。監督は考えに考え何度もホワイトボードと選手の顔を見比べていた。そしてついに結論が出たようだ、ペンのキャップを外し図を書き込む。


「後半ですが、今4人いるDFを3人に減らします。そして3-4-2で攻撃の手を緩めないでください」


 監督の提案に選手は誰一人声を上げなかった。勝たねばならぬ試合、守勢に回っていてはいけないとある程度予想していた。


「私たちはここで勝たなくてはなりません。そして勝つには点を入れなくてはなりません。檜川さん」


 突如名を呼ばれた檜川さんが「はい」と答える。


「ハーフタイムで変わってもらう予定でしたが、状況が状況なので後半もお願いします」


「わかりました」


 即座に返事する。こういう不測の事態においてはやはり経験豊富な檜川さんが適役だ。


 仕方ないか。俺は密かにがっくりと肩を落とした。


 後半は俺のテストの場だが、勝利そのものを逃してしまっては最終戦もクソもない。やはり後半戦をずっと引っ張っていた檜川さんにやってもらうべきか。


「そして釜田さん」


 納得できる理由を探して諦め用としてたまさにその時、突然監督に名を呼ばれた俺は「はい?」と間抜けにもとび上がってしまった。


「CBに入ってください」


「……へ?」


「釜田さんはCBでゴール前を守ってください。檜川さんはMFに回ってください、できますよね?」


「はい、もちろん」


 檜川さんが答え、俺はようやく意味を理解できたつまり檜川さんを急遽MFに移し、DFのひとりと俺を交替するということだ。


「みんな、頼んだぞ!」


 キャプテンが意気込んで全員を鼓舞する。


 一瞬の間を置いて、息をそろえたメンバーは「おおっ!」と建物全体を震わせる。


 不利な状況で振出しに戻ったわかやまFC。俺たちは急造のポジションチェンジを経て、後半のピッチに向かったのだった。

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