4-4 奮起

 久々にスタメンとして出場するのは六甲山FCとの試合。強烈なカウンターが得意で前半戦では引き分けた相手、気を抜けば足元を掬われる。


「トルコでは今日が開幕戦みたいだ」


 ロッカールームで円陣を組む前、メンバーを前にキャプテンが高らかに話す。わかやまFCを離れた横山は今日、イスタンブール・イニチェリの試合に出場するかもしれない。


 トルコとの時差は6時間、当然日本の方が進んでいる。昼間に試合が始まれば日本時間の夜には結果も出ているだろう。


「横山も出場するだろう、あいつの勝利を願って俺たちも吉報を届けてやろう!」


 そしていつものように円陣を組み、「おお!」と意気込むわかやまFC。


 俺にとっても久々のスタメン出場だ、ここで俺が正CBセンターバックにふさわしいことを見せつけてやる!


 グラウンドに入場し、それぞれが守備位置につく。ホームでの開催とあって以前とは見違えるほどの数となったわかやまFCのサポーターが詰めかけ、観客席は緑一色に染まっていた。


「相手は堅守速攻だからな。DFはゾーンディフェンスでカウンターに備えろ」


 鳥山キャプテンの指示にDF陣は「はい!」と声をそろえる。ゴール前に陣取る檜川さんは俺たちに目配せし、互いの意思を確認した。


 そして試合スタート。ホイッスルと同時に敵選手はドリブルで突っ込み、まだ両軍陣形も整わぬうちに一気に攻撃を仕掛ける。さすがは速攻自慢だ。


 だが今日のわかやまFCはそんな攻撃も全て見越していた。俺たちDFは4人それぞれが一定の間隔を取りながら、右に左にと連動したように動く。それはまるで巨大な一体の生物のよう、これぞゾーンディフェンスの極意。


 ゾーンディフェンスの辞書的な意味は選手それぞれが自分の守る範囲を決められ、その中に敵選手が入ってきたときに対応する、といった風に説明されている。だがこれは決して敵のいない間は休んでよいという意味ではない。敵の動きに合わせて「ゾーンそのもの」を移動させるという意味も含まれているのだ。


 こうなると敵は俺たちの守備の間隙を無理矢理突破するしかなく、よほどの実力差がない限り守備側が有利だ。


 さすがに分が悪いと判断したのか、ガチンコの勝負は諦め敵はさっさとシュートを打つ。だがそんな中途半端な位置から狙ってゴールを割らせる俺たちではない、ボールは檜川さんの足に当たり勢いを殺されGKの岩尾が難なくキャッチする。


「よし、今度は俺たちの番だ。相手がカウンターサッカーならこっちはポゼッションサッカーだ!」


 岩尾からボールを受け取り、鳥山キャプテンが前線のMFにパスを回した。それを奪いに敵選手が襲い掛かるが、十分に惹きつけたところでMFはDFまでボールを回す。


 このように俺たちは互いにパスを回し合った。ボール保持率を上げるこのスタイルを取られれば、相手は守勢に回らざるを得ない。その時間が長引けば長引くほどストレスがかかり、また走りまわされるので疲労も蓄積する。


 当然ながらボールを受け取る方も味方がパスを出しやすい位置に立って、複数のパスコースを確保する必要がある。とにかく相手にボールを奪われず、翻弄し続けることがこの作戦では重要だ。


 こうやって少しずつ全体が前へと動き、最後に決める。身体的にずば抜けた選手はいなくとも、技術とチームワークで粘り勝つスペインで発展したパスサッカーのスタイルだ。


 思った通り、前半はカウンター対策で下手に攻め込まず両チーム0点で折り返したものの、後半20分で松本が1点を先制したのを皮切りに均衡が崩れる。散々走らされて疲れがたまっている敵選手が自棄になって攻めてくるものだから、ボールを奪うのは簡単だった。


 そしてあっという間に3-0。もう逆転は現実的に不可能、あとはどれだけ点差を広げられるかの勝負に、わかやまサポーターは大いに盛り上がった。


 そんな試合終了間際、敵陣深くで相手にボールが渡ると敵選手は破れかぶれのロングパス。それを受け取ったのはセンターラインに立っていた敵FWだった。


 せめて一矢報いようという意気込みか、FWは飛びかかるMFをかわし切ると、俺たちのゴールに向かって走り込んできたのだった。


「DF、ゾーンを意識しろ!」


 今しがた突破された鳥山キャプテンが振り向きながら叫ぶ。


 言われなくても当然そうするよ。俺は腰を低く落とし、いつでも飛び出せる臨戦態勢を取った。


 敵が突っ込んできたのはやや檜川さん寄り。このまままっすぐ来たなら対応すべきは檜川さんだ。


 だがこの試合、俺は何度かボールを奪ったものの点に結び付く活躍はできていなかった。敵が攻め込んでくることが数えるほどしか無く、それもゾーンディフェンスで真正面からの勝負も避けられてしまっては俺が直接ボールを奪いに行く機会はわずかしかない。


「負けるか!」


 せめて最後にファンの前でカッコいいところを見せつけてやりたい。そんな風に魔が差したと同時に、俺は守備位置を離れて飛び出していた。


「釜田、何してる!?」


 キャプテンが呆気にとられたように声を上げる。檜川さんもサイドから猛然と走り込む俺に気付き、ぎょっと目を丸めた。


 1対2になった俺たちの実力なら、敵のボールを奪えるのは確実だった。だが直後、俺は「あ!」と声を上げる。


 ガラ空きになった俺の守備位置に、後続の別の選手が走り込んできたのだ。


 ボールを持った敵選手は今追いついた選手にすかさずボールをパスする。方向転換しようにも、間に合わなかった。


 敵選手がシュートを放つ。だが幸いにもシュートはゴールを外れ、ボールは勢いよく観客席に放り込まれてしまったのだった。


 そしてそのまま試合終了。わかやまFCは3-0で勝ったものの、ファンから上がったのは歓声よりも最後のプレーで失点しなかったという安堵の声だった。




「釜田、またお前の悪癖が出たな」


 夜、俺の家の飲み屋で隣に座ったキャプテンが俺の頭をパシリと叩く。他のメンバーはそれぞれが飲めや食えやのどんちゃん騒ぎだが、俺はずっと無言で酒をついばんでいた。


 言い返す言葉も無い。サッカーはチームのスポーツだ、ひとりではできないビッグプレーが生まれることがあれば逆にひとりのミスがチーム全体をボロボロにすることもある。


 あの時、俺は定位置に「立っている」だけで敵のシュートコースを防いでいた。だからあそこで離れるべきではなかった。


 今さらなんて初歩的なことを……。そして同時に、今の俺に最も欠けている物を散々見せつけられた気分だった。


 俺と檜川さんの決定的な違いは、他のメンバーを見ているかどうか。


 俺は正CBに相応しくないのか? だから俺はJ2をクビになったのか?


 抱えきれない焦りといら立ちに、頭を抱え机に突っ伏す。


「おい、テレビ見ろ!」


 そんな時、飲んでいた一人が備え付けのテレビを指差しながら言った。ちょうど流れていたのは夜のスポーツニュース、海外サッカーのコーナーだった。


 アナウンサーの解説とともに、映っていたのは横山だった。


「今日、トルコのスュペル・リグが開幕しました。日本人の注目選手は関西1部わかやまアプリコットFCからイスタンブール・イニチェリSKに移籍した横山大祐」


 真新しいユニフォームに身を包み、入場する横山。現地のファンに手を振るその姿は俺たちの知る横山とまるで変わらなかった。


「超満員6万人のファンが押し寄せた開幕戦、横山はベンチスタート。0-0のまま迎えた後半、横山はトップ下と交替します」


 横山が海外リーグに出場した。それだけで飲み屋は一斉に沸き立ち、俺たちはテレビにくぎ付けになっていた。


「そして後半15分、縦パスを受け取った横山はネット際を狙いゴール!」


「よっしゃああああ!」


 横山のシュートにキーパーが飛びかかるが後逸する。その映像が何度も繰り返され、俺たちは止まらぬ歓声をあげた。


「さらに後半40分、ボールを運んでGKをひきつけたとことで横にパス、ゴールに貢献しました」


 さらなる活躍に俺たちはまたしても狂喜乱舞した。店内はまるでスポーツバーのようだった。


「デビュー戦で1ゴール1アシスト、イスタンブールのファンは日本からのFWを熱烈に歓迎しました」


 そして試合にも勝利し、チームメイトたちと肩を組んでカメラに向かってピースする横山。スタジアムの大歓声に包まれる横山は、いかにも誇らしげだった。


「やったぞ横山!」


「あいつもうまくやってるんだなぁ。さすがは俺が目をつけていただけある」


「お前何もしてないだろ」


 口々に我が身のように喜ぶわかやまFCのメンバーたち。やはり横山が世界で活躍するとなれば、仲間として鼻が高いのだろう。


 そんなテレビの映像を、俺はじっと眺めていた。そして目頭の奥、喉の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。


 このままじゃだめだ!


 自分の中で何かが生まれた。俺はスマホを取り出すと、すぐに騒々しい店から外にとび出したのだった。

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