2-3 追いつくぞ
「そんな……」
喜びに跳ねる相手選手を見つめながら、俺は芝の上にへたり込んだ。
コーナーキックのチャンス、指示に背いて自分の守備位置を離れたばかりか、点を奪われるきっかけまで作ってしまった。
俺があそこにいれば、この失点は防げたかもしれないのに……。
「おい、何をボケっとしてる。早く取り返すぞ!」
鳥山キャプテンが俺の背中をバシンとはたく。
「え、ええ」
茫然自失としていた俺はもたつきながらも自陣に戻る。誰も俺を責めないのが余計に惨めに感じさせた。
「まだ一点だ、いくらでも追い付ける」
岩尾のゴールキックを受け取った俺は素早くパスを前線に回す。一点のビハインドを背負った俺たちは残りの時間、何としても点を得なくてはならない。
だが俺たちが点を奪おうとするなら、相手は必死にリードを守る。先程よりもさらに守備を固めた六甲山FCはつけ入る隙を一分も見せず、俺たちはボールを回すしかない。
「かまうな、ドリブル突破をかけろ!」
キャプテンが指示するも少しでも攻め込むとたちまち2、3人に取り囲まれる。
「ひきつけてサイドを崩せ!」
そうは言われましても……。一歩進んで一歩下がるを繰り返していたまさにその時だった。
「FW、上がりなさい!」
女性の声。監督が叫んだのだ。
これまで柊監督が試合中に大声で指示を出したことはない。普段はより間近にいるキャプテンやGKに任せ、じっと見守るのが大半だ。
そんな監督が声を張り上げている。チーム全員が今こそが勝負どころであると理解するのに時間は不要だった。
「は、はい!」
ツートップが相手選手の間を抜けてゴール前に移動する。
「DFは絶対に動かない!」
俺は無言で頷き返した。いつもならクールビューティーという表現がぴったりの監督の顔は、この時ばかりは熱い気迫にたぎっていた。
「気にしないで突撃!」
言うが早いか、今までパスを回していたMFがわっとドリブルをかける。当然相手選手に取り囲まれるものの、ドリブルで無理矢理潜り抜ける。
「そうか、これが監督の言ってた作戦なんだ!」
一連のプレーを追っていた岩尾が突如雷に打たれたように声をあげるので、俺は「作戦?」と訝しげに尋ねた。
「肉を切らせて骨を断つ、目には目をカウンターにはカウンターを」
なんだかわかるようなわからないような。
その時だった。キャプテンのパスが反れ、なんと相手FWに渡ってしまったのだ。
カウンター自慢の取る行動といえば予想は簡単。相手選手たちはFWを先頭に、MFも含むほぼ全員が攻め上がる。わかやまFCの選手たちは守備を整える暇も与えられなかった。
「わかった!」
ここでようやく俺は監督の言っていたことを理解した。奪われたボールを見失わないよう、顔はしっかりと敵FWを追っていたが。
俺たちはこれまでボールをキープすることに意識を集中していた。ボールを敵に奪われなければ失点することは無いという現代サッカーの発想だ。
しかしそれだけでは相手も身構えるばかりでその守りを崩すことはできない。組織的な守備をゴリ押しで突破できるほど、俺たちは個の力が抜きん出ていない。
だが、もしボールが相手に渡ったら?
数少ないチャンスに守備的だった相手陣形は一転攻撃的なものになり、全精力を注ぐ分だけ守りは薄くなる。その時こそが最大の好機、ここでボールをもう一度奪い返せばカウンターで一気に攻め上がる絶好のチャンスになる。いわばカウンターへのカウンターだ。
だがそのためには俺たちDFがきっちりとボールを奪い返さねばならない。ゴール前から動かないよう命じられた俺たちは、作戦の成否をすべて任されていると言っても過言ではない。この意味を知った俺は武者震いした。
「負けるか!」
勢いそのままに突っ込んでくる相手FW。ドリブルでペナルティエリアに足を踏み入れ、一発強烈なシュートを叩き込む。
だが俺たちDF4人の守りは固かった。渾身のシュートを俺は胸ではじき返し、足元に転がったボールを素早く拾い上げた味方DFが前線へと強く蹴り出す。
一気に攻め込んだ六甲山FCの頭上をボールは軽々飛び越える。それを受け止めたのは敵陣側で待機していたFWの横山だった。
「横山、頼んだぞ!」
FWの横山と松本が並走してピッチを走る。突如巡ってきた同点のチャンスに観客席は今日一番の盛り上がりを見せた。
そして手薄になった相手ゴール前、横山と松本は互いにボールをパスしながらDFをかわすと、最後はゴールネットギリギリを狙った松本の鋭いシュートにより1点を返したのだった。
「ゴール!」
芝を殴りつける相手GK。抱き合ってたたえ合う横山と松本。そして見事なカウンターに拍手喝采の観客。
「よ、良かった」
なんとか1-1に持ち込め、俺は喜びよりも安堵の方が大きかった。もしこの得点が無かったら、俺は敗戦の戦犯として非難されていただろう。
だがまだ試合は終わっていない。両軍陣形を整え直すと、相手GKのキックによりゲームは再開される。互いに2点目を目指して再び火花を散らすのだった。
この日の試合は結局1-1の引き分けで終了した。攻め込んで決定機を作るも、両軍ともDFの活躍で点を与えず、そのまま終わってしまったのだった。リーグ戦なので延長戦も無ければPK戦も無い。
「今日は前半つまらなかったのに、後半すごくおもしろかったわ!」
妹の千穂が興奮しながら酒を注ぐ。
バスで和歌山まで帰ってきたわかやまFCは、夜になるといつものように俺の実家の食堂に集まっていた。
「やっぱりパス回しよりもバンバカ攻め合ってる方が見ている方も盛り上がるわ。引き分けだけど久しぶりに満足しちゃった」
「千穂、無茶言うなよ。あれだけ走り回るの辛いんだぞ」
「兄さんゴール前から動かなかったじゃない。一番走り回ってたキャプテンの前でそれ言う?」
焼き魚をつついてた俺はうっと黙り込む。
「ははは、千穂ちゃんはよく選手を見てるなあ」
酒を注がれて上機嫌の鳥山キャプテンは嬉しそうに笑った。
「横山と松本、お前たちツートップがいなけりゃ今日の試合は負けていた。俺からのおごりだ、千穂ちゃん、サイコロステーキ追加で!」
「ありがとうございますキャプテン、ゴチになります」
並んでいた横山と松本は掌を合わせてキャプテンを拝む。特に普段倹約で食費も割けない松本は子供のような喜びようだった。
「それにしても兄さん、まさか監督の指示を守らなかったなんてアホじゃない? だからあの時先制点入れられたのよ」
注文を受けた千穂がフライパンで肉を炙りながら思い出したように言い放つ。
「うるさい、俺だって必死なんだ」
「必死だろうと何だろうと、あの結果じゃダメでしょ。ちゃんと監督には従いなさいよ」
胸が痛い。たしかに、前回も今回も、監督の作戦はドンピシャで当たっている。去年リーグ2位と3位の相手に勝ち点を稼げているのは大きな進歩だ。
「柊監督になって自信が付きました」
話し出したのは横山だった。少し酔っているのか、顔が仄かに赤い。
「今まで自分が本当にチームに貢献できているか不安だったのですが、松本君といっしょにFWとしての責務を任され、ちゃんとやるべきことを言われて……」
「横山、お前は前からうちの主力だろ。何を今さら」
はははと笑い飛ばす鳥山キャプテン。以前に増して彼も笑っていることが多くなった気がする。
これからも勝ちにこだわるなら、当分監督を信じてみるのも良いかもしれない。
「お待たせ!」
そんなこんなでサイコロステーキを焼き上げた千穂が皿を横山の前に置く。だがそこに盛られたのは、2人前はおろか10人前ほどもあるこんもりとした肉の小山だった。
「あれ、だいぶ多くない?」
「これみんなの分、兄さんのツケで払ってもらうわ。調子乗ってた兄さんへの妹からの罰よ」
途端に沸き立つわかやまFC。若い連中は「釜田さん、ゴチになります!」と俺をお地蔵様のごとく拝み始めた。
「千穂、なんてことしやがる!」
だが俺にとってはたまったものじゃない。兄の給料だと思って、この妹はどこまで図々しいんだ!
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