5-6 言いたかったこと
「兄さん、久しぶりのゴールおめでとう!」
「久しぶり言うのやめろ」
千穂が俺の手にしたコップに瓶ビールを注ぎながらいたずらっぽく笑う。相変わらず尊敬の念が感じられない兄への扱いを咎めても、こいつはどこ吹く風だった。そんな俺の背後で誰かが「あと一勝だああああ!」と叫ぶと同時に店内の他の連中も大歓声を上げるので、店の天井が落ちるのではと冷や冷やした。
人数の不利を跳ね返した劇的な勝利に、わかやまFCのメンバーはまたも俺の家に集まっていた。やはり喜びは最高の肴だ、いつも以上のペースでビール瓶が空けられていく。
しかし正直に言うと酔っぱらうにはまだまだ早い。第13節のわかやまFCが勝利を収めた一方で、茨木FCもまた確実に勝ち点を積み上げているのだ。それも守備に定評のある六甲山FCに4-0の圧倒的点差、FWのフェルナンド・ヤマガタも絶好調でハットトリックを決めてしまった。
今日の試合結果を受けてシーズン成績はわかやまFCが9勝3敗1分け、対する茨木FCは10勝3敗。直接対決を残すのみの今季、わかやまFCが優勝するには勝って逆転優勝するしかない。引き分けは許されないのだ。
とはいえ試合は一週間後。今日くらいは景気づけに少しばかり引っ掛けても怒られはしないだろう。メンバーたちも気持ちよく飲んでいるし、ここで「飲んでばかりいないで練習しましょう」と止めに入るのは無粋と言うものだ。
と、わかやまFCが騒がしく飲み散らす中、戦隊もの特撮の主題歌のような音楽が突如流れ出す。
「お、電話だ」
鳥山キャプテンだった。スマホに着信があったようで、酒が入って顔を赤くしたキャプテンは大音量を鳴らすスマホを片手に店の外に出てしまった。ここで通話するには周りがうるさすぎるからな。
誰からの着信だろうと気にするほど正気を保っている者はおらず、面々は次の瓶へと手を伸ばしては空にする。
そしてしばらく経った頃、今度は岩尾の電話が鳴り始めたのだ。ポケットからスマホを取り出した岩尾は箸を置き、こんな騒々しい中でも通話を始める。
「はいもしもーし……て、横山!?」
驚く岩尾に、店の中の全員も飛び上がる。思わぬ名前の登場に、酔いも一瞬で醒めてしまった。
「おいおい、国際電話国際電話!」
騒ぎながらも岩尾の周囲に集まるメンバーたち。スピーカーから漏れ出る懐かしい声に、全員が耳を傾けていた。
「岩尾さん、お久しぶりです。さっき鳥山キャプテンにかけたんですけどちょうど話し中で。優勝決定戦なんて羨ましいです、僕もそこにいたかったですよ」
「トルコまで行って何言ってんだよ、お前の方がよっぽど羨ましいよ」
吹き出す岩尾につられてメンバーも「そうだそうだ」とはやし立てる。
「お前、今日もゴール決めたんだろ? 日本でもニュースで繰り返し映像流れてるぞ」
「ありがとうございます。みんなレベル高くてついていくのでやっとですけど、チームメイトとも仲良く過ごせていますよ」
「なら良かった、俺たちが言うのもなんだけど、頑張れよ!」
横山も元気そうでほっとした。
弱小サッカークラブにとって横山は希望そのもの。弱い中からでもこんなスゲーところまで上り詰められるんだという、不屈のシンボルのような存在だ。
「ところで松本君はいますか?」
漏れ出た横山の声を聞いて松本の顔がさらに明るくなる。岩尾が「ああ、代わるぞ」と言った途端、松本はその手からスマホを奪い取るように受け取った。
「横山さん!」
きらきらとした目だった。最も尊敬する先輩の声を久々に聞き、喜びを隠すことすらできないようだ。
「松本君、後半戦に入ってからゴールラッシュがすごいね」
「そんなことないです、まだまだ横山さんの足元にも及びません」
そんな若者の輝かしい姿を一同は微笑ましく見守っていた。FWの佐々木さんに至っては直接横山と話したことも無いというのに、目頭を押さえて嗚咽まで漏らしていた。結構涙もろいんだな。
あんなに騒がしい店内、今は音を立てるのは松本のみ。全員の注目が遠く離れた横山に注がれている。
その中でひとり、檜川さんは少し離れた机に腰かけ、松本を眺めながらちびちびと日本酒を嗜んでいた。飲みの席でもこの人はあまり口を開かず、ハメを外して騒ぐことも無い。
静かにたたずむ檜川さんの姿を目にして、俺はそっと席を立った。幸いにもみんな電話に意識を取られているおかげで、俺が移動していることに気付いてさえいない。
「あの、檜川さん」
小声で声をかける。檜川さんはこちらに眼を向けると、表情を崩さず「やあ、おめでとう」と言い放った。
罪悪感にも似た感情。言い知れぬ胸の痛みに、俺は言葉がうまく出せなかった。
試合終了後、反省のミーティングに集まった俺たちを前に、監督は淡々と告げた。
「次の試合のCBは釜田さんでいきます」
わかやまFC一同は誰も声を上げなかった。当の俺はよっしゃという達成感と安堵に一瞬胸が高鳴るも、その時檜川さんにちらりと目を向けて口を噤んでしまった。普段何を考えているのかまったくわからない男の目が、ほんの少し曇っていたのだ。
「すみません、俺……」
どう声をかければ良いものか、もやもやした感情の整理さえもつかない。だがチャンスは今だけだと酒の力も借りて、俺は準備も無くこの場で話しかけていた。
だが檜川さんはそっと掌を向けて制する。その顔は不思議と笑っているようにも見えた。
「釜田君が気にすることは無い。私は君よりもうまくプレーができなかった、ただそれだけだ。大事な試合なんだ、上手い選手を使わない理由は無い」
何も言い返せない。
俺は選考に勝ち、檜川さんは負けた。スポーツの世界では当たり前のことで、俺にとっても今に始まった経験ではない。それでもどうして、今回ばかりはここまで心に引っかかるのだろう。
苦しまぎれに「ですが」と続けるが、それでも檜川さんは首を横に振る。
「試合に出られる人数には限りがある、チームが強くするには強い個人が選ばれる。チームの特性をよく知っていて、短期間で強くなった釜田君が選出されるのは当然だよ」
はっと息が止まった。
強くなる。その言葉を耳にした途端、俺の身体を電流が走った。
肉体的にも技術的にも精神的にも、後半戦に入ってから俺が強くなったのは自他ともに認めている事実だ。対外的にはチーム改革のおかげと言ってまとめることができるだろう。だが実際は違う、少なくとも前半戦の俺は以前の俺とほとんど変わっていない。
では、何がきっかけか。答えは明白だった。
「俺、横山さんのおかげで強くなれましたから!」
ちょうどスマホに向かって松本が強く言い切ったところだった。それに合わせてメンバーが「イエーイ!」と盛り上がる。
そうだ、今俺が檜川さんに一番伝えたいことは謝罪ではない。あの若造と全く同じ、ストレートな想いだ。
「ですが檜川さん、これだけは何があっても言わせてください」
語気を強める俺に、檜川さんも思わず圧倒されてきょとんと目を丸めた。
「俺は檜川さんのおかげで強くなれました、ありがとうございます!」
檜川さんは呆気にとられた様子だった。こんな顔、誰にも見せたことが無い。
だが数秒後、その頬は今まで見たこと無いほど緩むと、檜川さんは自分のとは違う新しいお猪口を手に取った。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。日本に戻ってわかやまFCに入って、本当に良かった」
柔和で穏やかな声だった。そう笑いながら檜川さんは手にしたお猪口に徳利で酒を注いでいた。
ちょっとばかし飲み過ぎた。最近はトレーニングで禁酒を貫いていたから、久ぶりの酒に身体がびっくりしてしまったようだ。
夜風に当たって身体を冷やそうと外に出る。爽やかな外の空気を取り入れようと息を深く吸っていると、店の隣からごにょごにょと男の話し声が聞こえた。
「ああ、必ず行くからな」
キャプテンの声だ。誰と話しているのだろうと、俺はそっと覗き込んだ。
店の壁にもたれかかり、熱心な眼差しで電話に話しかける鳥山キャプテン。普段メンバーには聞かせることの無い、優しい話し方だった。
「絶対にテレビ見てくれよ。パパが優勝トロフィーを持ってるところ、カズキにも見せてやるからな」
聞いた途端、俺は握り拳に力を込めた。
J2にしろJ3にしろ、長いサッカー生活で一度も優勝した経験の無い鳥山キャプテン。以前は結婚して家族もいたが、サッカーに固執し続けるあまり奥さんは子どもを連れて出て行ってしまったと聞いている。
父であること夫であることを捨ててまで願い続けた優勝。この人も人生をサッカーに捧げてきたのだ、次の試合、勝つ以外の選択肢は無い。
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