5-5 俺にしかできないこと

 いくつもの決定機を作りながら相手の守備に阻まれ続け、試合は1-1のまま後半35分を迎えてしまった。


 もう残り10分。ピッチ上でもベンチでも、わかやまFCは誰もが焦っていた。このままでは次戦最終節を迎える前に自力優勝が消滅してしまう。


 焦燥のせいか攻め方も単調になっている。守りの堅いペナルティエリアの外から大きく蹴り上げて味方のヘディングを誘うが、いずれも姫路マイスターの必死の守りで無駄に終わる。


「一秒も無駄にするな、すぐにプレー再開だ!」


 キャプテンも声を荒げていた。刻一刻と迫るタイムリミット、しかし一向に揺れないネット。まさかの大健闘に盛り上がる観客に対し、俺たちは気が気でなかった。


 何度目のコーナーキックだろう、転がるボールを拾い上げたわかやまの選手がピッチの隅にボールを置き、敵味方がゴールネット前に密集する。そこめがけてボールを蹴り上げるが、全員守備を貫く姫路の数に圧倒され、ボールはまたしてもはじき出されてしまった。


「くそ、またダメか」


 ガラガラになった自陣で、GKの岩尾が吐き捨てる。普段温厚なこいつがこんな口調で話すのは珍しい。それほどこの試合での勝利を渇望しているのだろう。


 敵ゴール前で繰り広げられるボールの争奪戦。わかやまFCの放ったシュートが敵選手に当たり、ボールはまたしてもゴールネット裏に逸れていった。


 居ても立っても居られない気分だった。1点をもぎ取るため、全員が必死でゴール前に集まっている。俺もあそこに混じって、みんなの力になりたい。


 だがDFの俺たちは迂闊にここを離れることはできない。ただでさえいつもより1人少ないのだ、ここで俺が出て行けばさらに守備はガラガラになり無駄な失点を招いてしまう。


 しかしそれでも。


「お前たち、守備を頼んだぞ」


 SBの後輩たちに言い残し、俺は駆け出した。背後から岩尾の「おい釜田!」と怒鳴り声にも似た呼び声にも振り返らず、ゴール前に集まる仲間に手を振る。


 案の定、作戦との違いにぎょっと目を丸めるわかやまFCの面々。


「釜田、上がるのはまだ早いぞ!」


 戻れ戻れとキャプテンが岩尾の守るゴールを指差す。


「キャプテン、檜川さん、お願いします!」


 だが俺はそんな指示も撥ね退けた。


 俺のポジションはCB。だがCBとしての安定感は檜川さんの方が上手だ。いくつものクラブで様々な敵を相手にしてきた経験の差は一日二日で埋められるものではない。


 だがわかやまアプリコットFCのCBとしては俺の方が長い。このチームの本当の顔は、俺の方がよく知っている。


 FWツートップに攻撃を委ねるこのクラブは得点を決める選手の偏りが大きい。FWの不調は無得点に直結する。


 ではDFとして俺はどうすべきか。当然、その穴を埋めるのが仕事だ。


「ほんの少しでかまいません、檜川さんと俺と、ポジションを入れ替えてください!」


 俺は頭を下げた。


 何を言い出すのか。唖然とする一同、試合中なのに時そのものが止まったようだ。


「バカ言うな、監督の指示を忘れたのか。まだ時間はある、お前はゴールを守れ」


 最初に沈黙を破ったのはキャプテンだった。当然だろう、チーム全体の規律のため、俺一人の身勝手を押し通させることはできない。


「キャプテン、釜田くんは今日の試合そこまで走り回っていません。私より体力は残っています」


 だが隣から口をはさんだのは檜川さんだった。無茶を覚悟で願い出たところでの意外な返答に、キャプテンだけでなく俺も「え?」と顔を上げてしまった。


 呆気にとられた俺に檜川さんが向き直る。寡黙で何を考えているのかわからないこの人だが、この時は勝利への情熱が滾り出ていた。


「釜田君、俺がCBに戻ればいいんだな?」


「はい」


 俺は即答した。途端、檜川さんの顔は安堵したように緩んだ。


「わかった、頼んだよ」


 そう言って檜川さんは駆け出し、自陣ゴール前に戻る。SBもGKも何が起こったのか理解できず面食らっていた。


「松本!」


 コーナーに立ってぽかんと口を開けていた松本に大声で怒鳴りつける。松本は正気に戻ったように跳ね上がると、地面にボールを置いた。コーナーキックでの試合再開、わかやまFCも姫路マイスターも、飛んでくるボールに対応すべくゴール前に散らばった。


 185cmの檜川さんに比べ俺は3cmばかり身長は低いもののジャンプ力は勝っている。ゆえにコーナーキックからのセットプレーには自信があった。


 こんな時にわざわざ入れ替わったのだ、敵は全員が俺を注視していた。きっとこいつに合わせてヘディングシュートを撃ち込ませるつもりだと、誰もがそう読んでいる。


「いけえ松本!」


 俺の声に合わせて松本が大きく足を振った。姫路のメンバーは俺を取り囲むように動き出す。


 だが松本が蹴り出したのはショートコーナーだった。それも勢いも無く、ただ芝を転がるだけの弱々しいパス。


「あれ?」


 スタジアム全体が拍子抜けした空気に包まれる。せっかくの見せ場を台無しにされた、そんな気分だろう。


 転がったボールはニアサイドに控えていたFWの佐々木さんが拾うが、そこは敵味方の密集地、ボールを奪わんと姫路の選手が佐々木さんめがけて慌てて群がった。


 だが一瞬、佐々木さんはにやっと笑うと、受け取ったばかりのボールを松本に蹴り返したのだ。


 相変わらずコーナーギリギリの位置に立つ松本。ウォーミングアップのパス練習でももっと勢いはあるだろうというボールだが、人の足で追いつくには速すぎる。松本の周囲には敵も味方も誰もいなかった。むしろ敵はボールを奪おうと佐々木さんの周囲に集まっている。


 この好機を見逃すはずが無かった。松本はすくい上げるように、ボールを山なりに蹴り返す。


 佐々木さんの、姫路マイスターの選手たちの頭上をボールは大きく飛び越える。その向かう先は、ペナルティエリア内で待つ俺だった。


 敵GKの表情が歪み、貫手のようにグローブが伸ばされる。だが俺がヘディングを叩き込むには十分な余裕があった。


 跳びあがった俺は額にボールをぶつけてコースを変える。跳ね返ったボールは勢いを増し、そのままゴールネットに突き刺さった。


「は、入ったー!」


 少数ながら駆けつけたわかやまFCのファンが沸き立つと同時に、大勢の姫路ファンがため息を漏らす。


「釜田、でかしたぞ!」


 そんなまさかと地面に倒れ込む敵選手たちなど眼中にもなく、キャプテンが俺の肩に腕を回した。


「松本と佐々木さんのとっさの判断のおかげですよ」


 ちょって照れくさいがふたりのコンビネーションがなければ俺のヘディングは生まれなかった。以前、磯崎から教わった意表を突くプレーを真似てみたのだが、俺が何をしたいかを松本が察してくれたことに感謝しないと。


「さあ、まだ試合は終わっていない、リードを守り切るぞ!」


 キャプテンの声に「おお!」と声を合わせる一同。結局この日、俺たちは1-2のスコアを守り切り勝利を収めたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る