第10話 突然に・・・

舞美たちと別れてから、亜莉沙は昌之のSNSメッセージを見直した。

 やっとそう出来たのは帰宅する途中の電車の中だった。

 日が長いこの季節でも、車外はすでに真っ暗になっていた。丁度帰宅ラッシュの時間帯で、帰宅客で電車は混んでいる。亜莉沙はこういう場合に遠慮しないいつもの強引さで、なんとか座る席を確保していた。

 その亜莉沙の前にはすぐに人が立ち、通路は人でいっぱいになり、いつもの混雑が今日もはじまっていた。


 亜莉沙は座ったままスマホを取り出して、昌之のメッセージを開いた。

 SNSは大学の授業中でもしょっちゅう操作しているので、それほど手間はかからない。

 昌之からのメッセージは急ぎではなさそうだったので、届いたその場で返事をしなかった。怒っているかもしれない。

 もっとも、亜莉沙はあの温厚な昌之が怒っているところを、想像できなかったが。

 亜莉沙はSNSにメッセージを入力した。


亜莉沙∧ごめんなさい。さっきは友達と話をしてて、どうしても抜けられなくて。


 しばらくして昌之からメッセージが届く。


昌之∧気にしてないよ。お互い忙しいからね。


亜莉沙∧何ですか。昌之さんからメッセージなんて珍しい。


昌之∧ちょっと連絡しておきたいことがあってね。


 何だろう。

 亜莉沙は考えた。次のデートの日程を決めていなかった。そのことだろうか。

亜莉沙∧どんなこと?


昌之∧会社辞めたんだ。


亜莉沙∧会社って?


昌之∧だから、今勤めてる商社を辞めたんだ。


 意味が良くわからなかった。亜莉沙は少し考え込んだ。

 昌之は大企業であるブライトホールディングスの御曹司だ。いずれそこに戻って、父の後を継ぐことになるはずである。

 はっきり昌之からそう聞いていた訳ではないが、亜莉沙はそう思っていたし、そう理解しても間違いではないだろう。

 だからいつか、今の商社は辞めることになるのは解る。それが今だというのか


亜莉沙∧そうなんですか。


昌之∧あっさりしてるね。もっと驚くかと思ってた。


亜莉沙∧でも昌之さん、そのうちお家の会社に戻るんでしょ。それが今になったってこと?


 しばらくメッセージが戻って来なかった。

 昌之は考え込んでいるのかもしれない。もっとも亜莉沙にとっても、説明してもらわないとわからない状態でもある。


昌之∧説明が悪かったね。今勤めてる商社を辞めて、実家の会社にも戻らないんだ。そのつもりで辞めたんだ。


 こんどは亜莉沙が考え込む番だった。


亜莉沙∧じゃあどうするの?


昌之∧カメラの道を本格的にやるつもり。


亜莉沙∧カメラって。


昌之∧カメラマンになろうと思ってる。


 これは考え込むというレベルの話ではない。

 …冗談きつい。何を考えてるの。亜莉沙は信じられないという表情で息を飲み込んだ。

 亜莉沙の口からはかなり大きな音がしたようで、正面に立っているスーツ姿の男性がちらりと亜莉沙を見た。


昌之∧亜莉沙さんには済まないと思ってる。あなたが素晴らしい女性だと感じてたよ。これは本当だ。

 でも結婚はしばらく出来ない。


亜莉沙∧結婚しないってこと?


昌之∧そうは言わないよ。でもカメラマンを本気で目指すのなら、しばらくは結婚とか考えられない。そういうことだよ。


 昌之の言うことはわかる。カメラマンになるにはそれなりに下積みの期間が必要なはずだ。

 そうなるとしばらくは結婚など考えられないだろう。

 とは言うものの、昌之は置かれている環境が違う。彼は御曹司なのだ。実家は資産家で下積み生活を送ったところで、生活に困るような状況にはならないはずである。


 考え込んでいる間に、電車は大きく揺れて停車した。

 こんなに揺れて停まる駅は決まっている。亜莉沙の下車する駅はこの駅から2駅先になる。

 そこには今乗っている快速急行は停まらないので、ここで降りて乗り換えなければならない。

 亜莉沙はあわてて電車を降りた。亜莉沙の背後で、ギロチンのようにドアが閉まる。乗り越してしまうところだった

 快速急行はそのまま発車して、亜莉沙は続いてくるはずの各駅停車を待つ人たちの行列に並んだ。


 スマホは右手に持ったままである。

 いつもの亜莉沙はここまで注意散漫ではない。下車駅を間違えて乗り過ごしたことなど一度も無い。たとえ電車で座ったまま寝込んでしまった時でさえ。

 ただ今日はうっかり下車し忘れそうになった。それほど昌之のメッセージに動揺していたことになる。

 そのことが亜莉沙は自分でも意外だった。

 まだ昌之とは見合いの席も含めて2回しか会っていない。

 もちろん相手は結婚するかもしれない男性ではあるにしても、この程度の付き合いしか無い男からのメッセージで、これほどまでに動揺している自分に驚いていた。

 このSNSのルールからすれば、今度は亜莉沙がメッセージを返す番であったが、その前に昌之がまたメッセージを寄こした。


昌之∧亜莉沙さんには済まないと思ってる。いきなりでびっくりしたのかもね。


 同じ内容の繰り返しだったが、亜里沙は思う。そりゃびっくりするわよ…。

 今の感情は自分でもよくわからない。怒っているのでも、悲しんでいるのでもない。これが感情と言えるのかどうかわからないが、「びっくり」としか言いようが無い。


亜莉沙∧ええ、まあびっくりしました。どう返事していいのか。



昌之∧また連絡するよ。今日はこのくらいで。もっと詳しく話したいから。

 このSNSのメッセージボードには、会話の終了という概念は無いのだが、これ以上のメッセージのやりとりは今日は無さそうだった。


 そんな亜莉沙の目の前で、電車のドアが閉まったのに気付いた。

 何の電車なのか一瞬わからなかった。

 すぐにそれが自分が乗らなければならないはずだった、各駅停車の電車であることが解り、亜莉沙はそんな今の自分に呆れてしまった。

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