第2話 お見合いって!?
「お見合い?」
母の莉恵子の言葉に亜莉沙が驚いたのは、先月のことだった。
お見合いという言葉の意味を思い出すのに時間がかかった。昔の女たちはそうやって結婚していてのだと、いつだったか聞いたことがある。
「そう。お見合い。」
母はそう言いながら、少し興奮している。
「江古田の叔母さんが持ってきた話なんだけど、それが相手の男の人の条件がすごくいいのよ。」
「でも、ちょっと…。あたしまだ大学3年よ。お見合いって、結婚するためにするんでしょ。」
「そりゃそうよ。」
「そんな、大学生で結婚するなんて。」
母は芝居がかった表情で、亜莉沙を横目でにらんだ。
「だから今からキープしとくのよ。条件のいい結婚相手を。実際に結婚するのはずっと後でいいの。」
「そんなぁ・・。」
亜莉沙は話にならないという表情を作ったつもりである。でも、ちょっと内心興味も湧いてきている。「お見合い」という言葉に。
母は亜莉沙がキャバクラでバイトしていることは、もちろん知らない。深夜まで営業時間のあるカフェでバイトしていると言ってあるし、母もそれを信じ込んでいるようだ。
なにより亜莉沙には、夜の店でバイトしている雰囲気は全くない。
ふだんはシックな色合いの服を着ている。平日でも亜莉沙はパンツルックになることは全くない。これは亜莉沙のファッションのポリシーでもあるのだが、いつもスカートをはいている。
そのせいなのか、人からは「大人しそうなお嬢さん」とよく言われるものだ。
もっとも、キャバクラに行くとわかるのだが、大人しそうなお嬢さん風なキャストなどいくらでもいる。むしろ絵に描いたような派手なキャパ嬢タイプのほうが少ないくらいだ。
母は亜莉沙が少し興味を持ったようなのを、感じ取ったようである。
亜莉沙をキッチンの自分の横に座らせて、膝をたたいた。母がこんな仕草をするのは亜莉沙の記憶にない。
「相手の男の人、すごいのよ。御曹司。」
「御曹司?」
「ほら、ブライトってカメラの会社。知ってるでしょ。」
「うん。よくCMやってるね。」
「あそこのおぼっちゃま。お父さんが社長で、お祖父さんが会長だって。
…ちょっと待って。」
母は立ち上がって、すぐに何か持ってきた。上質の紙で包まれた書類のようなものだ。
「これが釣書よ。」
亜莉沙は釣書というものを初めて見る。母の脇から覗きこんだ。
母の手元にはB5サイズほどの写真があった。
そこにスーツを着た男性が写っている。メガネをかけていて、幼い感じがある。どこか中学生のようにも見える。
「この方が、武士沢昌之さん。たけしざわって読むのよ。面白いでしょ。」
「なんか中学生みたい。」
もっともこういったフォーマルな写真で見ると、実物よりかなりイメージが変わってしまうことは、亜莉沙もわかっている。
証明写真は二割減だ。
「経歴もすごいわよ。
開星中学高校卒よ。あの東大合格者で日本一の。」
母はもう一枚の、丁寧な和文でプリントされた文書を亜莉沙に見せた。
釣書とはこういうものなのか。
これも今時、年賀状でもこんな字体でプリントされていないと思うくらいの、時代がかった和書体で、読みにくい文章が印刷されている。
見ると大学は東亜義塾大学卒とある。
「でも東大じゃないのよね。」
ここで母と亜莉沙は顔を見合わせて笑った。
「落ちこぼれたんでしょ。
開星でもみんな東大に行くわけじゃなし。それに東亜義塾大学なら御の字じゃないの。」
それは亜莉沙も賛成である。大学の友人でも彼氏が東亜義塾大学ならば、皆鼻高々だ。
「それで今、商社に勤めてるわけね。
この親族の欄見て。すごいでしょ。」
亜莉沙は興味深々に覗き込む。
親族と書かれた欄には、父、ブライトホールディングス代表取締役社長。祖父、ブライトホールディングス会長とあった。
これがカメラで有名なあのブライトのことらしい。
「ブライトは知ってるでしょ。
ほらここに書いてある。主な事業、デジタルカメラ、コピー機、プリンター等精密機械製造販売って。
年商4兆1千億円。・・・へえ、思ってたより大企業なのねぇ。」
母はそこまで詳しくなかったようで、釣書を見てしきりに感心していた。
亜莉沙は写真に目がいってしまう。
武士沢昌之は、モナリザのように微妙な笑顔を浮かべて写真の中から亜莉沙を見ている。
特にピンとくるタイプではない。もちろんこれ自体は証明写真と似たようなもので、会ってみると印象は全く違うことはよくあることだ。
亜莉沙もそれはよくわかっている。
「興味湧いてきたでしょ。」
母は亜莉沙の表情をからそれを読み取ったようだ。
「ううん・・・」
亜莉沙はいいとも悪いとも言えない返事をした。
母はたたみかけるように続けた。
「さらにすごいのは、武士沢家の資産らしいの。
江古田の叔母さんの話だと、こんな世界的大企業のオーナー一族だけあって、なんと総額二千億とも言われてるらしいわよ。」
「二千億! それすごい。この人キープしとく。」
亜莉沙は冗談めかして言った。
母は亜莉沙の反応に満足したようだった。
「でもなんでうちなんかに、こんないい条件の人のお見合い話が来るわけ?」
「うちも名門じゃない。音羽家といえば、お祖父さんの代まで華族だったのよ。
だから音羽家がお見合いの相手に選ばれたのよ。」
亜莉沙はそのことは、子供の頃からよく聞かされていた。プライドの高い祖母が、自慢げにその話をしていたのを思い出す。
お見合いとはそういうものなのだろう。自分自身より、自分の家の格式のようなものが大きな意味を持つらしい。
亜莉沙は特にこの武士沢昌之という男性に興味を持ったわけではない。むしろ「お見合い」という時代めいた言葉に興味を持ったのである。
ちょっとやってみたいかも。
これが亜莉沙の抱いた感情であった。
結局、亜莉沙はこの武士沢昌之という男性とお見合いすることになった。
話はトントンと進んで、江古田に住んでいる叔母から、相手も乗り気であること。さっそく来月に都内のホテルで、両家出席のもとに「お見合い」の儀を執り行うことが決まったのだ。
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