第6話 初デートで昌之は

 昌之との初デートはかなり平凡な始まりだった。

 つまり待ち合わせ場所が、アメリカ系コーヒーショップだったからで、資産家の息子の昌之のことだから、もっとリッチな待ち合わせ場所を予想していた亜莉沙は、この場所であることに少々驚いたものだ。

 昌之はすでに席に坐って、亜莉沙を待っていた。

 亜莉沙が店に入って来るのを見て、昌之は何か手に持っていたものをショルダーバックにしまっていた。


「お待たせしました。待ちましたか?」


「いや、そうでもないですよ。」


 亜莉沙と昌之は、これでまだ2回しか会っていない。ましてや「お見合い」で知り合った仲である。お互いなんとなく敬語の会話になってしまう。

 その後、2人はたいして内容の無い会話を交わした。

 こういう場面では、キャバクラバイトの経験豊富な亜莉沙のほうが、場慣れしているようだった。

 昌之から話題を振ってくる事はほとんど無く、昌之にはあまり女性経験が無いことを、なんとなく亜莉沙に感じさせた。

 そんなわけでその場は、亜莉沙主導で会話が進んだ。


「どんな話をしていいのか解らないんですよ。あなたみたいな女性に。」


 昌之は困ったような表情で言った。


「どんな話って、普通の会話でいいですよ。」


「いや、女子大生相手にして、その普通の会話ってのが僕には苦手で。」


「合コンとかしなかったんですか。

 昌之さんは東亜義塾大学だったし、合コンの話なんかいくらでもありそう。」


「そうでも無いですよ。」


 僕はモテなくて…。昌之はそう続けた。


「部活とかやってなかったんですか。」


「いや、写真部にいました。中高の頃は運動部にいたんですけど、それ以外にカメラの趣味があって、大学に入ってから写真部に入って、本格的に撮りはじめたんです。」


 昌之はカメラの話になるといささか饒舌になって、延々とその話をはじめた。

 亜莉沙はキャバクラ仕込みのマナーで、それに興味深そうに相槌を打っていたが、内心はカメラのたぐいには興味が全く無い。

 そういえば、大学の写真部の男の先輩にダマされて、ヌードを撮られた人がいたっけ…。

考えるのはそんなことばかりである。


 しばらくすると、昌之も亜莉沙は実はこの話に興味はなさそうだと察したようで、話を打ち切った。

 亜莉沙はお見合いの時に興味を持った、昌之のバーテンダーのバイトのことに話を振った。


「ああ、あれね。いや、たいして長いことやってたわけじゃないんですけど。」


 昌之は照れ臭そうにそう返した。


「でも、昌之さんのイメージに会わないし、どこでやってたんですか。」


「六本木の安いバーで。

 知り合いがそこを知ってて、バーテンダーやってみたいって言ったら、紹介してやるって言われたんですよ。」


「バーテンダーなんか、経験なくてすぐにできることじゃ無いですよね。」


 亜莉沙のキャバクラバイト経験からしてもそうだ。亜里沙の知る限り、バーテンダーは夜の店では地位の高いスタッフたちであった。

 学生の未経験者がすぐにやらせてもらえるバイトでは無いと思う。


「だからすぐにクビになりましたよ。

 そこは個人経営の店だったから、仕事は教えてもらえるってことで入店したんですけど、やっぱり僕には無理だった。

 まあ、カクテルの作り方とかわかって、勉強にはなりましたけどね。」


「女の子のいる店だったんですか。」


「いや、スタッフは男ばっかり。お客さんも男臭い人が多くて、ゲイの人もいたかな。

 …よく知ってますね。」


 亜莉沙はしまったと思って内心舌を出した。自分の夜のバイトを窺わせるようなことを言ってしまった。

 それでも亜莉沙はキャバクラで鍛えた手練の話し手であった。話の進んでいく方向を巧みに変えた。


「昌之さん、どうしてバーテンダーなんかやろうと思ったんですか。」


「どういうのかな…。

 なんか今の自分を変えたいっていうか、それまでずっと優等生でやってきてたし、そうでない自分を試したいと思ったというか。

 まあ、それもどうにもならないことが自覚出来た。そういう結果に終わったわけですけど。」


 そこで突然、昌之は話を切った。


「…ちょっと歩かないか。今日は天気もいいし。」


 熱心に話したせいなのか、昌之の話し方がくだけた調子になっていた。

 コーヒーも丁度飲み終わっていたところでもあり、2人はカフェを出た。

 外は春の風が盛りになっている時期で、暑くもなく寒くも無い。散歩するのにはもってこいの季節だった。

 桜は散り終えて、樹木はすでに色の濃い緑に染まっている。


 昌之と亜莉沙は並んで舗道を歩いた。特に会話らしい会話も無い。「信号長いですね。」とか「今日は天気がよくてよかったね。」とか、そんな話ばかりであった。

 昌之は自分に関心が無いのかもしれない。亜里沙はそんな気がした。

 それでも昌之に気に入られたかった。

 なにしろ条件はものすごくいい。これから後の人生で、これほどの資産家の息子と知り合えるかどうか自信が無い。キープしておきたい男性である。

 それに昌之も、特に男として魅力があるとは言えなかったが、亜莉沙はこの優等生っぽさを漂わせる男性に興味を持っていた。見た目どおりの優等生でも無いような、昌之のその内面にである。


 歩きながら昌之は押し黙ったままで、緑の樹木を見上げていた。それからおもむろにショルダーバックを開けて、カメラを取り出した。

 亜莉沙はそれを見て、少々ぎょっとした。その大きさにである。

 カメラは巨大で複雑な形をしていた。まるでマシンガンかバズーカ砲でも見るようだ。量販店のカメラコーナーで見たことはあるが、目の前でそれを取り出されたことで、驚いてしまったのである。

 亜里沙はバズーカ砲を初めて見る女の子のように、あっけにとられて昌之を見ていた。

 昌之はそれを構えると、馴れた手つきで2.3の操作を行ってから、樹木にレンズを向けた。

 カシャカシャと機械的な音が響く。亜莉沙はこういう巨大なカメラからは、こんな大きな音が響くのかとさらに驚いていた。


 この間、昌之は終始無言で亜莉沙も話をしなかった。

 シャッター音が終わると、昌之は亜莉沙のほうを向いた。


「ごめん。つい夢中になってしまって。」


「すごいカメラね。」


「うん、でも重くてね。」


「いつも持ち歩いてるの。」


「会社に行くときは持ってないよ。でも今日みたいにプライベートな時は、バックに入れてる。」


「すごく重そう…。」


「重いよ。」


 昌之はそう言って笑った。


「でも、シャッターチャンスはいつ訪れるかわからない。

 いい被写体は、こっちから探しに行くもんじゃなくて、被写体のほうから僕のところにやって来てくれる。でも、それは被写体側がいつ僕のところに来るのか決めるものだから、こっちはいつもカメラを用意して、被写体の来訪を待ってなきゃいけない。」


 わかったようなわからないような昌之の話である。


「今、何を撮ったんですか。」


「空を。」


 昌之は空を見上げて言った。


「でも木にカメラを向けてましたよね。」


「よく見てるね。そうだよ木にカメラを向けたんだ。でも撮っていたのは木じゃない。木の向こうにある空なんだ。」


 昌之は空を見上げた。

 不思議な目をしていると亜莉沙は思った。

 憧れのような、寂しさのような、どうとでも取れる感情が昌之の目から伺える。

 いや、昌之のその時の目には、亜莉沙が知っている人の感じるすべての感情がこもっているように思えた。


 それとも、この優等生っぽい男性は亜莉沙のまだ知らない、何か特別な感情を感じることが出来るのだろうか。

 亜莉沙は昌之の横顔を見ながら、そう思っていた。

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