第30話 イメクラでの玲子

その後、亜莉沙は錦織玲子から、バイトを始めたイメクラ店の話を聞くことが出来た。

 玲子はお礼を言いたいからと言って、亜莉沙と舞美を修学院大学のカフェに誘って、飲み物をおごってくれたのだ。もちろん大した金額ではない。それでも玲子が感謝している気持ちは、よく伝わってきた。

玲子は結局、渋谷での白薔薇女子大の子たちに教えられた店に、入店することになった。


 赤前沙織は、自分はここでバイトしたことは無いと、しきりに念押ししつつも、「いい店だよ。バイトの女の子にも気をつかってくれるし。」と薦めたからだ。


「いいお店ですよ。沙織さんたちの言った通り。」


「よかったじゃない。」


 亜莉沙は玲子がおごってくれたカフェラテをストローで吸いながら言った。

 今は遅い時間だが、この時期は日が長い。明るいカフェは夜と言っていい時間を迎えて、さすがに人は少なかった。

 心の中には、昌之のことが巨大な渦を巻くように溢れている。それだからこそ、そのことを少しでも忘れられる玲子の誘いは嬉しかった。


「お店は『ヴィーナス女学院』てところです。渋谷では結構メジャーなお店みたい。」


「給料はどうなの。」


「悪くないと思います。他の店のこと知らないですけど、私が期待した以上は貰えてます。

 亜莉沙さんたちに聞いたキャバクラのバイト料の、倍は貰えてますよ。」


「店ではどんなことするの。」


「痴漢プレイとか、セクハラとか…。」


 亜莉沙の質問にも、この部分では純朴な玲子は声が小さくなる。

 それでも玲子にとっては結構な稼ぎになるらしく、スイスのビジネススクールへの留学費用も、順調にたまっているとのことだった。


「お店も女の子に気を使ってくれてますね。スタッフも親切だし、女の子を見下すようなこともないですし。」


「もっと詳しく教えて。」


 これを言ったのは舞美である。舞美も風俗でバイトした経験はない。興味を持ったようだった。


玲子の話では、「ヴィーナス女学院」は主に痴漢やセクハラプレイを売り物にする派遣型イメクラだった。

玲子たちは店からキャストと呼ばれ、出勤日を店に届け出る。無断欠勤は厳しく戒められる。「すぐクビだからね。」と、こればかりは怖い顔でスタッフに言われた。

 キャストの女の子たちは、顔にモザイクされた姿で、さらに自己紹介文とスリーサイズなどと一緒にホームページに掲載される。客はそのホームページから選んで、女の子を指名することになる。

 無断欠勤が厳しく戒められる理由なのだ。店に来ても指名した女の子がいなければ、客は怒るだろう。


「キャストの女の子たちは、店とは別の場所にある待機ルームってところにいるんです。

 沙織さんたちの話では、広い一部屋にみんなで居るって言ってましたけど、ヴィーナス女学院は待機ルームが個室になってます。」


 亜莉沙と舞美は頷きながら聞いている。初めて聞く風俗店の中の話は、その一瞬だけ亜莉沙に昌之のことを忘れさせた。


「人が1人入るといっぱいになるくらいのスペースですけど、中にはソファと机があって、コンセントもあるからスマホの充電もできます。

 待機ルームの入り口のカウンターには、飲み物とお菓子が用意されていて、それはいくらでも取っていいことになってます。」


 女の子は、客から指名が入ると個室に備え付けられたインターフォンで呼び出されるシステムである。

店のスタッフは、玲子に「あなたにはすぐに指名がつきますよ。」と言ったものだ。

リップサービスだろうと思っていたが、初めて店に入って待機ルームに腰を下ろすと、とたんにインターフォンが鳴り指名があったことが告げられて驚いたものだ。

 インターフォンの連絡で、指名を受けた相手の名前と男が入っているホテルとその部屋番号を教えられる。


「お客様のご指定は、痴漢プレイコースです。」


などと、客の性癖志向も告げられる。


「この時は、さすがに私もちょっと恥ずかしいです。でももう馴れましたけどね。

 それから、制服とかいろんなグッズ一式を持って、お客さんのいるホテルに行くんです。」


 ホテルに行って行為をするから、派遣型イメクラと呼ばれるのである。


「ホテルの部屋に行くと、お客さんにシャワーを浴びてくれるように言います。

 お客さんがシャワーを浴びている間に、私が女子校生の制服に着替えて、吊革のおもちゃをハンガー掛けにぶら下げて、目隠しを付けて、痴漢される準備をします。」


「痴漢される準備って…。」


 そこで亜莉沙と舞美は笑った。なんと言っていいのか解らない。ただこれは笑うしかないだろう。


 玲子も恥ずかしそうだった。


「目隠しってのが最初は気持ち悪かったですけどね。今は馴れましたよ。」


目隠しをするのは、痴漢は誰だかわからない相手にされるものであり。また男もほうも、誰ともわからない相手に、エロティックな悪戯をされている女子校生を見て欲情するので、こういう形にする。


「その時は、正直言うとちょっと怖いし気持ち悪いです。

世の中ヘンタイが多いって沙織さんが言ってましたけど、本当ですよね。」


 玲子は痴漢そのものは嫌いではないと言った。

むろん気持ちの良いものではないし、特にされたいことでもない。ただ都会という場所は妙なところだと思ったのだ。見知らぬ男と女が体を密着させ、エロティックな行為を可能にする。そういうシュチエ―ションには少々興奮させられたものだ。

この行為を、いわばお遊びとしてやってしばらくすると、客の男たちはたいてい「もういいよ。」と言って、玲子の目隠しを取る。


こうしていずれにせよ、玲子は客の顔を見ることになる。

そしてほとんど全ての客がと言っていいのだが、この手の変態行為を要求するのは、最初の1回目だけで、玲子を指名する2回目から後は、まるでやらなくなる。


「びっくりしたんですけど、お客さんは高齢者が多いですよ。」


「そんなにいるの。」


「キャストの中で、私だけがそうなのかもしれませんけど、指名してくれたお客さんに若い人はほとんどいないです。今までで20代だと思った人は1人もいませんでした。」


玲子を指名する客は、ほとんどが40代から60代。30代は1人しかいなかった。ましてや20代らしい若い客は1人も会ったことが無い。

実際に年齢を聞いたわけではないのだが、70代ではないかと思う客も一人いた。


「私はちょっと地方出身者の雰囲気が抜けてないからなのかもしれませんけどね。それはお店のスタッフに言われました。

 あなたは汚れてない感じがあるから、ものすごくたくさん指名が付きますよ、って。」


 その通りで、玲子は店の売れっ子になっていた。


 中には玲子をかなり気に入ってくれた客もいて、繰り返し指名してくれる男もいる。その客は、他のキャストの女の子は、全く指名していないようだった。

 そのほとんど全ての客は、2回目からは痴漢もセクハラも要求しない。

 そのかわりに、男たちは玲子に自分たちの性的嗜好に合わせて、いろいろなことを要求してくる。玲子は素直にそれに応じていた。


「お店の他の子は、結構そういうの嫌がったりするみたいなんです。私はほとんど嫌がらないし、それで私に人気が出て来たんだと思います。」


「暴力とか振るわれたりしないんでしょ。」


「それは無いです。そんな無茶なことされそうになったら、すぐにお店に連絡するように言われてるし、お客さんもそこまでする人はいないですよ。」


「玲子ちゃんが我慢できる範囲ならいいのかも。」


 亜莉沙はうなずいた。

 そのうち話題は、玲子の言い方で「面白いお客さん」の話に移っていった。


「山本さんって人がいるんです。本名かどうかわからないけど。60歳くらいの人だと思います。」


「60歳!」


 舞美は驚いたように声を上げた。玲子には折本雄介のことは話していないが、その折本ですら42歳なのだ。


「でもすごく元気で、ハイテンションな人なんです。…ちょっとハイテンションすぎるかも。」


 玲子によれば、山本はかなりハイテンションな男で、今の60歳ならば特に珍しくは無いのだろうが、老人と呼ぶのはためらわれるほどの、とにかく元気で陽気な男だった。

その山本の要求は、一緒に歌を歌うことだった。

 痴漢をさせらせたのは最初の回だけで、あとは山本とは裸になって並んで寝ころんで、実は話し込むことが多い。


山本はかなりのお喋りで、話し始めるとセックスのことなど忘れてしまうのだ。玲子は山本のどんな話でも興味深げに聞くので、時間がほとんど会話だけで終わってしまうこともあった。

 その山本が何回目かの指名の時、いきなり歌を一緒に歌わないかと言い始めたのだ。


「舟木一夫の『高校三年生』、知ってるかい。」


「知ってますよ。私高校生の時合唱部だったので、その歌を歌いました。」


「そりゃ本当かい。」


 山本は顔をぱっと明るくして、持ってきたバックの中からカラオケマイクを取り出した。

 よくあるマイクにカラオケセットが一体化されているもので、よく見るとかなり使い込んでいるようだ。山本の愛用のカラオケマイクなのだろう。


「今日は玲子ちゃんに、俺の自慢の歌声を聞かせてあげようと思って来たんだか、玲子ちゃんが『高校三年生』知っているとなると、むしろ玲子ちゃんの歌を聞きたいね。」


 それで玲子は、山本愛用のカラオケマイクを使って、舟木一夫の『高校三年生』を歌って見せた。


「高校三年生!」


 さすがにその話を聞くと、亜莉沙と舞美は笑い転げた。その場面は想像するだけでも笑ってしまう。


「そのうち山本さんも歌いだして、2人で『高校三年生』を合唱したんです。

 その時私は裸でしたし山本さんも裸だったから、2人でラブホテルで昭和歌謡を合唱するっていうのは、痴漢プレイにも劣らずヘンタイな感じですよね。」


 亜莉沙と舞美は玲子の話を聞きながら、笑いが止まらない。亜莉沙はこの時ばかりは、昌之への焦燥を忘れていた。

それにしても、これほど風俗店に高齢者が多いことは、やはり玲子には疑問だった。


「それで私、山本さんに聞いてみたことがあるんです。

『ご近所に同世代の女性の方とかいないんですか。私みたいな若い子よりその人たちのほうが、歌もよく知ってるし、話も合うんじゃないですか。』って。」


 すると山本はこう答えたらしい。


「勘弁してくれよ。

 俺はこう見えても、若い頃はプレイボーイで鳴らしたんだ。婆さんたちなんかナンパする気にもなれないね。


 だけど、渋谷で俺のようなジイさんが玲子ちゃんみたいな若い子をナンパしたからって、応じてくれるかい。一緒に歌を歌ったり、ホテルに行ったりしてくれるかい。

 そんなことあり得ないだろう。だからこうやって風俗店に来るんだよ。」


 この山本の言葉で、高齢者の客に抱いていた疑問が解けた気がしました。

と玲子は相変わらずの生真面目な表情で言った。

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