第20話 辻本雄介とのデート

 男は辻本雄介と名乗った。年齢は42歳とのことだった。

 その日はホテルで1時間ほどセックスして2万円もらって別れた。別れ際にメールアドレスを交換しておいたので、舞美はすぐにお礼のメールを送った。


辻本へのメールには「また会いたいです」と書き加えておいた。

その次の週に、辻本からメールが来た。その時、舞美は授業中だった。メールにはまた逢えたら嬉しいとある。

舞美もすぐに「いいですよ。喜んで。」と、講義中の講師が睨みつけるのもかまわずスマホを操作して、そう返信した。

 こうして辻本と舞美は、その次の週に会うことになった。


「辻本さんとデートできて嬉しいです。」


 舞美はそうメールを送っていた。


「一緒に映画でも見ようよ。舞美ちゃんは女子大生だし、今どきの女子大生の好きな映画ってなんだろうな。今、検索してみてるけど、どんな映画がいいのかわからないよ。」


 辻本には女子大生の舞美に対して、少し遠慮があるようだった。

 舞美はこれを好意的に受け取っていた。

 ジェントルマンなのね、辻本さん。がつがつしていないとこがいい。

 そう感じて、辻本のメールを眺める舞美だった。


 デートの日は日曜日で、舞美が約束の時間に新宿の待ち合わせ場所に行くと、辻本はもうすでに来ていた。

 舞美は「すみません。」と息を切らし、それに辻本が「いいよ。僕も今来たところ。」と笑顔を返した。

 今日の辻本はラフな格好だった。コットンのパンツにスニーカー。上はパーカーを着ている。

「女房には、大学時代の友達と会うんだと言って来てるんだ。」

 特に聞いたわけではないのに、辻本はそう言い訳した。

 辻本が独身では無く家族がいることは、前にホテルに行ったときに、事実としてだけは知っていた。だが特にそれについて舞美が思うことは無い。42歳の辻本に家族がいるのはむしろ当たり前だった。

 辻本と舞美は近くの映画館に足を向けた。

 映画館ではハリウッドの恋愛映画がかかっていた。


「これにしようか。」


「ええ、私もこれ見たいです。」


 舞美はそう答えた。

 映画のタイトルは「ニューヨーク 冬の恋物語」とか言った感じの映画だった。

 もっとも舞美は、タイトルをあまりよく覚えていない。どんな映画なのかその時はほとんど気にしなかった。

 辻本と並んで映画を見られるのが嬉しかった。

 映画館の中では、辻本と並んで座った。

 映画は、舞美が雑誌で見たことがあるが、名前を覚えていない程度の印象しか持たなかった男性俳優が主役で、こちらは名前すら知らないヒロインの女優と、出会って恋が始まってというストーリーで、面白かったかといえば面白い映画だったかもしれない。


 舞美はそれより、隣に座っている辻本のことが気になっていた。

 手を握ってきてくれるのではと期待したが、辻本はまったくそういうアクションを起こさなかった。

 やはり辻本はジェントルマンなのだと、そのことでますます好意を持つ。

 いちど手が触れたふりをして辻本に触ったが、そのアクションに対して、辻本は暗いなかでスクリーンの明るさで辛うじてそれとわかる笑顔を、舞美に送ってくれた。

 舞美はそれだけで幸せだった。


 それより舞美には気になることがあった。

 映画が終わった後、辻本は自分を抱いてくれるだろうかということだ。辻本の雰囲気からして、映画を見た後、帰ってしまいそうな気がした。

 そんなこんなで、舞美はあまり映画の内容が頭に入らないままで、映画館を出ることになった。


「お茶でもしようか。」


 辻本の言葉に、舞美と辻本は映画館の近くのカフェに入った。

 舞美はカフェラテを選び辻本はブラックコーヒーを注文し、代金は辻本が支払う。


「ありがとうございます。うれしいです。」


「いいよ。こんな程度のお金。気にしなくて。」


 2人は並んで腰を下ろした。

 最初は今見た映画の内容について、どうでもいい会話を交わした。舞美はほとんど映画の印象が残っていなかったので、すぐにこの話題は終わってしまった。


「辻本さんは、どちらにお住まいなんですか。」


「小田急線沿線だよ。仕事場が新宿にあるんだ。」


「どんなお仕事なんですか。」


 辻本は自分は税理士だと言った。

 父親の代から新宿に税務会計事務所を構えていて、今は自分が所長として切り回している。

 辻本は中央大学商学部に在学中に、税理士の資格を取ったのだと言った。


「まあ、それほど難しい試験じゃないんだけどね。」


 それでも辻本はそのことがいささか自慢なようで、舞美はその話を心底感心して聞いていた。


「結婚したのはもう10年前になるかな。今、子供がいて5歳と2歳だよ。2人とも男の子でね。」


「じゃあ大変ですね。」


「ああ、一番手がかかる年頃かな。」


 辻本の家族のことは、舞美から聞き始めたわけではない。

 あるいはこうして、家族がいるにもかかわらず女子大生の舞美と会っているということで、いささか引け目を感じたのかもしれない。自分からしきりに話をした。


「いや、家族のことはもういいかな。」


 しばらくして辻本は話を打ち切った。

 辻本の家族の話など、舞美も特に聞きたいわけではない。そのことに気付いたようだった。


「聞いてもいいかな。舞美ちゃんは大学どこだっけ。」


「修学院大学です。」


「ええっ、そうなの。そりゃ名門じゃないか。どうりでお嬢様なわけだ。舞美ちゃんは。」


「そんなことないですよ。」


「いや、大有りだな。俺が受験生の頃は、修学院大学は予備校の偏差値ランキングで中央大学より上だったんだぞ。

 舞美ちゃんの学部は?」


「文学部です。世界史専攻です。」


 ひとしきり、舞美の大学生活の話になった。

 舞美は今は家を出て学生マンションで一人暮らしをしていること。

いつもは友人とカフェでダベるのが好きだとか、授業は真面目に出席しているだとか、自分の日常について話をした。


「彼氏いるの。」


「いません。」


「そりゃウソっぽいぞ。舞美ちゃんはすごい美人だし、あり得ないと思うな。」


「本当に居ないんです。」


「そうかな。信じられないけどな。」


 辻本は笑いながら続けた。

 そうして辻本は腕を持ち上げて腕時計を見た。


「そろそろ行こうか。」


「ええ…。」


「舞美ちゃんも帰らないといけないんだろ。」


 辻本は腰を上げようとした。


「もう、今日はこれまでですか。」


「いや。」


 辻本は照れ笑いした。


「そりゃ、俺だって。…でもいいのかな。舞美ちゃんは。」


「いいですよ。私は。」


「でも、正直言うと今日は持ち合わせが少ないんだよ。」


 舞美は笑顔を作った。


「今日は要らないです。

 映画も見せていただいたし、ここのカフェラテもおごっていただいたし。」


 舞美の言葉に、辻本は少し驚いたようだった。

 やはり辻本には舞美は援助交際の相手だという意識がある。その舞美が今日はお金は要らないと言い出したのだ。

 いささかためらったように辻本は、「じゃあ、行こうか。」と言ってから立ち上がった。

 舞美もそれに続いて立ち上がる。

 2人はカフェを出た。


 並んで歩いてラブホテルのある方向に向かった。

 ホテル街に入ると辻本はかすれたような声で言った。


「どこのホテルにしようか。」


「どこでもいいですよ。」


「そう言われると困ったな。

 …じゃあ、あそこにしよう。」


 黒地にメタリックシルバーの文字でHOTELと書かれている看板のホテルを、辻本は指さした。

 辻本が先に入ると、舞美はためらうこともなく続いて入った。

 辻本は黙ったままだった。

 その顔からは、さきほどの驚きがまだ続いているようで、困ったような笑ったような複雑な表情を作っている。

 タッチパネルの前で部屋を選んだ。

 日曜の遅い午後は、それなりにラブホテルは混んでいるようで、空いている部屋は2室しか無かった。


「どっちにしようか。」


「では、こっちがいいです。」


 舞美はそのうちの1室を選んで、ボタンを押した。

 その舞美の手の動きを、辻本は熱病にうなされているような目線で見ていた。

 エレベーターで上に上がり、ランプが点灯している部屋を探して、辻本がドアを開いた。

 中に辻本が入り舞美が後から続く。

 舞美の後ろでドアが閉まる、ガチッという音がした。

 とたんに舞美は辻本に抱きついた。うふふ、うふふと絶え間ない笑い声を立てる。舞美は両手で辻本を抱きしめていた。

 頭の上から辻本の湿った声がした。


「ほら、手を離して。すぐに服を脱がせてあげる。」

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